墓場まで――『“文学少女”と神に臨む作家(下)』に関する繰り言

 私には読書(に限った話でもないが)というのは究極的に「孤独なもの」だという考えがあって、たとえばある本を読んで感想を抱いたとき、それは本人の中にあるときにだけ真実なのであって、他人と共有しようと言葉に変えようとすると、途端に「真でないもの」に変わってしまう、と思っている。ついでに言うと、私は他人の言葉に影響を受けやすくて、誰かに「この本はこうじゃない?」と言われると、真実であったはずの自分の考えや気持ちさえもすぐに揺らいでしまう。

 だから、本当に心から好きだと思える本に出会えたときは、その本について他人と意見を共有するのを拒否する。そもそもその本について自分から語ることをやめる*1(その本がどんな風に好きかを、うまく言葉にできなくなるというのもある)。ひどいときは、自分がこの世でその本を一番理解できると思いこんで、「自分の前でこの本について語る奴は全員死ね」とか思ったりする。もちろん半分は冗談だけれど、でもそういうもんじゃないの、とも思う。

 何が言いたいかというと、つまりこの『“文学少女”と神に臨む作家(下)』という本は、そう思えるくらい私にとって大好きな本だった、ということです。


 この本に出会えてよかった。

 またひとつ、墓まで持って行きたい作品ができた。そのことを、何よりも嬉しく思う。

*1:じゃあなんでこんな文書いてんのよ、と思う向きもあるだろうが、感想とはまた違う、最低限の意思表示、ということで。もともと自分用ひとりごとスペースみたいなもんだし。