/実在したエアカー

いやあ。
あったんですねえ。
ホバークラフトでなく、エアカー
もちろん広義のホバークラフトではあるんだけどそうじゃなくて、「エアカー」と聞いて思い浮かべるあの形、タイヤのない乗用車の形をした乗り物が。
 
youtubeで、"Curtiss-Wright air car"で検索するとこんな動画がヒットします。
まずはモノクロ。最後は特長を誇示するように水上を走行します。

鮮やかなカラーフィルムで撮られたものもあった。屋根がソフトトップ(オープンカー)なのがはっきりと見て取れます。しかし、こうして見るとサイドビューは乗用車よりもディーゼル機関車っぽいかも。

3つ目はカラー動画、プラスナレーション。タイトルが"Hovercraft"になってますが、これは1966年設立のブリティッシュホバークラフト社の商標なので、ナレーションと合わせて後年に付け加えたものでしょう。

ナレーションが英語でないものまでありました。これはモノクロ。

どうもクロアチア語のようで、Auto+Vzn〓〓adlo の合成語らしい。
http://sk.wikipedia.org/wiki/Vzn%C3%A1%C5%A1adlo
 
先日、国際こども図書館で複写してきた資料、『ソビエトの少年科学2 エア・カー』(イェ・イ・ルジッキ著 藤川健治訳。誠文堂新光社1967年)には以下のように書かれています。

自動車の製造に特別熱心なアメリカでは、エア・カーの発展にとくに大きな関心をもっています。大々的にとりあつかうのが好きなアメリカの新聞は、最初のエア・クッション機が現れたとき、自動車製造に大革命をもたらすものと報道しました。それは、エア・クッション機は、道のない場所を自由に行くという問題を実現し、また、ゴムタイヤがすりへるという問題をまったくとりのぞいてしまうからです。
そこで、ゼネラル・モータース、フォードなどの大自動車会社をはじめ、多くの会社や研究所が、エア・カーの設計と製作に着手しました。そして1959年(昭和34年)に、カーチス・ライト社が、アメリカで最初の実験用エア・カー<エア・カー・I>を作りました。
(p112)

この<エア・カー・I>とは、上の動画の3番め、"Vintage Hovercraft Test Films"の冒頭に登場している機体です。地上を走る空飛ぶ円盤、というべき外観で(なんだその形容矛盾)いかにも実験機然としているのですが、翌1960年には動画を紹介したエア・カー2500が登場します。

この実験機の試験が終わった後、1960(昭和35)年に、それとはや違った4人乗りの<エア・カー2500>がカーチス・ライト社で作られましたが、このエア・カーは、その性能が1959〜1960年に生産されたアメリカの乗用車に近いもので、違っていたのは機体が大きくて重量も重く、エンジンの出力が360〜400馬力という強力なものであったことです。
(p114)

そして、<エア・カー2500>の構造や操作法などの解説がひとしきり入って……。

こうしたエア・カーを大量に生産して、それを自家用として売り出すことも提案されました。しかし、このエア・カーは、進行する場合に必要な安全性を保証することができなかったので、アメリカの道路で使うことは許可されませんでした。ですから、会社が、いくつかの実験用のエア・カーを作っただけでした。

と、エア・カーの話題は締めくくられます。
つまり、60年代前半にはかなり具体的な「未来の車」の姿だった。マスコミやメーカーはさかんにそう喧伝してきた。その頃に描かれた未来予想図が人々の心に深く刻まれて、以後は未来といえばエアカー、タイヤのない車が行き交う風景となった。しかし現実においては、(この本は1697年刊ですから)60年代後半にさしかかった頃には既に未来は閉ざされており、研究・開発も止まってしまった。そのため、フィクションの未来にはエアカーが生き残り、一方で現実では全く実用化の気配がなくなったばかりか、実験機の存在すら忘れ去られるという乖離が生じた……といったところでしょう。