だから、全て嘘だ。私は、ジェンダー的なものにコミットし切れない。なぜなら、ジェンダーは、出産や中絶に関して、女性の自己決定権という観点から議論することはできても、「子ども自身(そうして生まれさせられるもの)のことを考慮して、決定することが、できるのかどうか(もちろん、私は決定不可能と考えている)」という問題に触れられないのではないか、と苦慮しているからだ。もちろん私は「女性の自己決定権」という観点が必要であることを認めることは、やぶさかではない。しかし、ジェンダー的な思考が、それで満足して、「決定不可能な

ボクは、ジェンダーフェミニズムの話をしている時に、「今ここで」議論しているはずなのに、「いつかどこかで」話していた・話しているだろう、というような感覚でしかいられないのだ。
うわべだけ、親フェミであるといえば言いすぎかも知れないが、そう、つまり、ボクが「話の分からない奴」という烙印を押されて、攻め立てられることを恐れるかのごとくにただ、空気に波乗りしている「かもしれない」ことが、彼女等の脳裏によぎる可能性を考慮して、あえて「ジェンダーやフェミ」的な問題を議論することは「好きではない」と、あらかじめことわっておいて、「でもしっかりコミットしてるじゃん、えらいえらい(いい子いい子ナデナデ)」的なシナリオのための演出が施されていたのであれば、ボクはどう責任を扱えばいいのだろう。
と、いう罪悪感を背負っているからこその発言です、先日の発言は↓。

ボクはジェンダー(関連の問題)は好きではないですから

頼みますから、WAKA-tは話の分かる奴だ、と、かいかぶったり、誤解したりしないでください。
そして、あいつは、あんな(絶対平和主義的な)丸顔で腹の中では何を考えてるか分からないから気をつけろ、と警戒してください。
ボクは他者です。

それゆえに、ボクは、あえて丸顔でいるわけで、それを戦略的に利用しているのです。

ホントは、ボクって「しゅっ」としてるんですよ。

いろいろ