不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

百万のマルコ/柳広司

百万のマルコ (創元推理文庫)

百万のマルコ (創元推理文庫)

 1298年、ジェノヴァ。戦争捕虜たちは牢獄で退屈しきっており、黄金があれば何でもできるのにとぼやく。しかしそこで、新入りの囚人が、不適な笑みを浮かべつつ、黄金など役に立たないとして不思議な話をし始める。彼こそは、ジェノヴァ出身の商人で、大ハーン・フビライに仕えていた《百万のマルコ》であった。
 柳広司はこれまで、近現代における社会派的なファクターを作品内の重要テーマとして多用してきた。しかしそれらのモチーフは、思想的に練られていないことが多く、しばしばたいへん表面的な考察に止まっていた。さらに、登場人物造形がいかにも本格本格しており、これまた問題であった。
 直球で正面から社会テーマを扱う場合は、やはり一定レベルのリアルさを有する人物*1が主要登場人物を務めるべきである。無闇に勿体をつけて形而上的な物言いに終始し、目の前の事件から過剰に何かを読み取ったりする登場人物は、『虚無への供物』のような象徴劇においては威力を発揮するものの、社会的な事象に登場人物が巻き込まれる中で当該事象に直接言及し、かつ作者・作品も(観念的にではなく)何らかの具体的な態度表明をおこなうタイプの社会派小説においては、どうにも浅薄な印象を読者に与えるのではないか。
 というわけで、私はこれまで柳広司をさほど評価してこなかったのだが、『百万のマルコ』を読んで素直に感心することになる。
 柳広治は社会派テーマを直接扱うことをあっさり止めた。『百万のマルコ』は、近世におけるホラ話として描き出されるのである。マルコの口から語られる、謎と不思議に満ちたエキゾティックな物語は、ただそれだけで魅力的であると同時に、マルコをはじめとする登場人物たちの、一種リアルさが弱い態度・言動も、ホラ話としての興趣を高めている。そして、マルコの物語は、捕虜たちの現実生活に対する絶妙な寓話性を発揮する。そう、マルコが語る物語の数々は、作品内で象徴劇として機能しているのだ。実に綺麗な落とし所であり、たいへん素晴らしい。
 ミステリとしては小ネタ揃いであり、しかもネタ自体はどこかで見たようなものばかりだが、13編全て、東方見聞録風の異国譚として非常にうまく処理されていて、これまた面白い。大ネタを求められても困るが、楽しく読める作品として、広くお薦めしたい。

*1:ここで言う「リアル」とは、作品世界内におけるリアル云々ではなく、現実に我々が生きる世界におけるリアルを意味している。