不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

八月の舟/樋口有介

八月の舟 (文春文庫)

八月の舟 (文春文庫)

 17歳の研介は、豪快な性格の母と二人暮しである。その夏、研介は、友人・田中やその知り合い・アキ子さんと一緒にドライブしている最中、事故を起こしてしまう。
 恋愛と死に彩られたひと夏の青春模様を描く、非ミステリ作品である。この作家にとって本書は最初期の作品に当たるが、デビュー作『ぼくと、ぼくらの夏』と同様、キャリア初期から樋口の作風に一貫性があることを実証する。強い自意識を抱えつつ斜に構えた態度をとる主人公。ツンデレのツンが大分勝った女性との、衝突じみた恋愛。主要登場人物たちの、それぞれにワケありな家庭環境。これらの設定を彩るのは、ブルーな出来事とそこから立ち上る感傷的な哀愁である。筆致は樋口有介らしく、繊細であり解像度も高いものだ。
 もっとも柚木草平シリーズとは異なって、本書の主人公たちは青春真っ盛りであり、若さに比例して「自分の過去からの呼び声」はか細い。彼らが相手をするのは主に「今」であり、その「今」は、人生における最も熱き時期「青春」に他ならない。だからこそ、本書の季節設定は熱い夏でなければならかったのだろう。
 個人的には、非ミステリ作品だと『雨の匂い』の方が好みである。あの作品における、女の魔性と雨の空気感の妙なる調和は本当に素晴らしかった。しかし『八月の舟』も十分以上に良作だし、作家のルーツを探るという観点からも、無視できない作品といえるだろう。

不良少女/樋口有介

不良少女 (創元推理文庫)

不良少女 (創元推理文庫)

 見知らぬ男からの手紙が女子高生に届いたという「秋の手紙」、代議士の死の直前に屋敷で不審な出来事が起きていた「薔薇虫」、万引き少女の家で騒動が持ち上がる「不良少女」、高級娼婦に絡むトラブルを描いた「スペインの海」の4編を収録している。いずれも柚木草平もので、毎回、当然のように美女が登場し、探偵をきりきり舞いさせる。「不良少女」と「スペインの海」では柚木が珍しく依頼人(に近い女性)と寝ており、『夢の終わりとその続き』は突然変異ではなかったのだなと思わされた。
 ただし、柚木は寝たからといって彼女たちに特段執着しない。むろん彼は女好きだが、ひょっとすると彼はセックスや交際ではなく、異なる性との微妙に理解し合えない交流を楽しんでいるのではないか、という節がある。そこには彼女たちの本質を理解したいとの気迫や切迫感はない。無論、彼の言動には幾許かの「惻隠の情」が込められている。だが、目の前にいる人間への深い愛情や同情はない。彼の事件にかけるモチベーションは、自分に対するプライドと痩せ我慢、そして好奇心だけではないか。そんな気がしてならないのである。
 そしてこれが、初出時は柚木草平ものではなかった『夢の終わりとその続き』との最大の相違である。あちらの柚木はもっと必死だった。だからこそ、作者は彼の年齢を『夢〜』でのみ若干下げたのかも知れない。より必死なことが多い青春小説を思い起こすと、樋口有介は、加齢と共に男の内面を諦念が蝕んでいく過程をその創作活動を通してしっかり描き出そうとしているのかも知れない。
『不良少女』所収の各編は、ミステリとしては通常どおり小粒である。しかし事件の構図は、やはり綺麗に浮かび上がる。流麗な筆致も変わらず素晴らしい。樋口ファンには強くお勧めできるし、『彼女はたぶん魔法を使う』『ぼくと、ぼくらの夏』と同様に、入門書にも適しているかも知れない。