つっ走る。やがてぽっきりと折れることを知りつつ、つっ走る


 だがイエスつっ走る。やがてぽっきりと折れることを知りつつ、つっ走る。けれども彼の宗教的熱狂は、現実の灰色をばら色に見間違えて熱狂するのとはいささか趣きを異にする。現実の灰色をばら色に見間違え、やがてその見間違えを言いつくろう屁理屈が陰湿な教団や党派の教条を作り出すのだが、どうもイエスの場合は、現実の灰色を灰色と知りつつ、それに熱狂的に立ち向かう趣きがある。それだけに独自な力にあふれ、行動の積極さが目立つ。
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新しく生まれつつある力、発酵しつつある生命力、生成過程にある動きの力が、いかに古いものをつき破っていくか、と言っているのだ。自分はその力を担っている、自分自身がその力だ、という緊張した、かつ積極的な意識がイエスにはある。灰色の現実をばら色に見間違って夢を見ているわけではない。言うなれば、灰色の現実を灰色にしている力をつき破ろうとしているのだ。

田川建三「イエスという男」1980 ISBN:4878936819