ここは「桜の園」だ

ここは「桜の園」だ。
「ここ」とは、写真関係のことであり、現代美術業界のことであり、日本のことだ。

 チェーホフ桜の園」のテーマは、「もうだめ」だ。何代も続いたサクランボ農場が行き詰まり、生産を停止して数十年、とうとう経営破綻した。農場は競売にかけられ、新興起業家が落札してリゾート開発されることになる。そのサクランボ農場最後の数ヶ月間を、旧農場関係者の側から描いた芝居なのだから、テーマは「もうだめ」だ。
 「もうだめ」の中味には悲劇も悲惨も同情の余地もなく、「そりゃ倒産するわ」としか言いようがない衰亡期の惨状が語られている。だって、そもそも競売を競り勝った起業家は、農場経営者一族を救済しようとしてるんだよ? 「無駄に放置されている元農場地だが、交通至便で環境も申し分ないです。リゾート地として再開発すれば、やっていけます。ついては私が資本金を提供します。それで何とか凌いでください。」と申し出てる。 「ありがとう、そうさせてもらいます、恩に着ます」で破産せずにやっていけた筈。それをなぜか妙なプライドをちらつかせて拒み、親戚筋からの借金で凌ごうとする。しかし親戚からは送られて来たのは、長大な説教と些少な一時金だけ。利息の払いにさえ足りず、結局なすすべもなく破産してすべてを失う。
「バカじゃないの?」 と思う。実際、バカなんだろう。破産寸前だというのに取り巻きやらニートやらお雇い外国語教師やらをぞろぞろひきつれて豪奢な食事をして、破産してなお悟らずに相変わらずホストに貢ごうとしているバカがバカでなくてなんだ? 余りに惨めなバカばかり登場して、「ほらやっぱり!」とばかりにみんな揃って破滅へむかう。昔羽振りの良かった惨めなバカを見下すのはこの上なく愉しいものなのだろう。観客はさかんに含み笑いを漏らす。破滅する方にとっては悲惨な悲劇だが、関係ない分には滑稽で安心して笑える格好の見せ物だ。だから、チェーホフ桜の園」は、好景気時代の甘美な夢に浸りながら滅びていくバブル世代を見下しながら笑い興じる喜劇なのだ。
 そして、その「桜の園」が、そのまま「いま-ここ」のことでもあるのだ。

 ここは「桜の園」だ。どのみち、滅びる。外からは桜の木を切り倒す音が響いている。 優秀な連中は見切りをつけてとうの昔に出て行ってしまった。出るしかない。もう時間もない。焦りばかりつのる。でも、なにもしたくない。なにもできない。ならいっそ、衰亡に身を任せ、誰からも忘れら去られたまま、「桜の園」の片隅に孤独死するのも悪くはない。

http://www1.plala.or.jp/yoko/sakuranosono/yamada_writing.html


アントン・チェーホフ「桜の園」(神西清訳)



桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

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