Mon. 敬老の日 ダチョウの卵

  雪の日の初潮のゆうべ赤飯を祝いくれたる祖母の恋いしも

  老いてなお母は母なり敬老の日は祖母の日と今にし思う  


 
鬼灯の当て字はどんな訳



    
ダチョウの卵・ばかりではなくソーセージの類も販売。仁賀保で飼育しているという
diary
☆ 敬老の日。さてどなたを・・とめぐらしてみても老人はもういない。というか、おのれじゃあ。しかし未満。だから今日は平常日。
英会話のない今日はグラウンドゴルフに行きたいが、雨。まだまだ続く予報。ウォーキングもままならぬ。
☆ ふたりの子を育てて、ひもじい思いをさせたことは働き通したことによるのが多いが、祖父母のいない核家庭にもっと欠けているのが大きかった。勿論暇ができると祖父母の家に帰ったが。
わたしには祖父母がいつも一緒だった。厳しい目で見た父母に対して、祖父母は敬愛するふたりである。優しい気持ちになれるのは、それだけ慈しまれたのである。きょうだいが寄ると両親よりも祖父母のことをまず追憶する、面白いことに、それぞれの印象が違う。下宿から帰っていた高校の夏休みに祖母は脳卒中で倒れ、不自由な半身になやまされた。あるとき便秘が続いて苦しむ祖母を前にして、往診の医師は、肛門に指を入れて掻き出すことを提案した。その時祖母は孫の私に向かって手をあわせた。
石鹸水で手を濡らして、高校生の私は泣きながら初めての介護にあたった。短く切った爪の間に硬い便がくい込んでいる。
後日これは正当な対症法であることを知ったが当時は知るよしもなく、その年の夏休みの日課で、逃げるわけにはいかなかった。しかしこの体験は祖母との間の血の一体感を強くした。
喘息持ちの祖父は、ある朝母が起こしに行ったらこときれていた。隣に寝ていた祖母も気がつかない終わりようであった。心臓が弱っていたのだ。
私たちはふたりが老いて弱って行く姿を見続けた。
それから父母が病んで弱くなってゆく段になって、狼狽せずに受け入れられた。
これらのバトンタッチは老境にあって、次に迫っている私たちの行く末に、大きな示唆を与えてくれる。
しかしふたりの子供たちにはそれがない。初めて出会う自らの老後や病気や老衰にどう向かうのだろうか。不憫でならない。