酒井直樹『日本/映像/米国 共感の共同体と帝国的国民主義』

井上ひさし論を書く関係で酒井直樹『日本/映像/米国 共感の共同体と帝国的国民主義』(青土社、二〇〇七)を読んだ。全体の感想はここには書かないが、歴史学者とあろうものが「一九八九年九月昭和天皇危篤の知らせが世界中に広がった」(二二三頁)と書くのはまずいのではないか。一九八八年九月の間違いだ。

まあ、そういう悪魔に魅入られたような凡ミスというのは時にはあるかもしれない。ただ、続いて『ニューヨーク・タイムズ』に投稿した自分たちの手紙を紹介しているのだが、それが「フォビオン・パワーズ氏の回想文に抗議する手紙」となっている。パワーズではない、バワーズだ。「ダグラス・マッカーサー将軍の秘書を勤めて戦後天皇制の演出に重要な役割を果たしたといわれる」(二二四頁)と書くのは間違いだとは言えないのかもしれないが、ファビオン・バワーズ(Faubion Bowers)といえばまず「歌舞伎を救った男」であることを知らないのではないか。ちなみに「歌舞伎を救った」というのも言い過ぎであることはバワーズの自己宣伝癖とともに演劇研究者のあいだではよく知られている。

また、注に掲載されている『ニューヨーク・タイムズ』掲載時の記事の日付はそれぞれ September 30, 1989(バワーズの回想文) October 11, 1989(酒井と山口二郎の抗議文)となっている。もちろんこれはどちらも 1988年のことだ。念のため『タイムズ』のサイトで確かめたが、月日は合っている。掲載月日は覚えていて、相手の名前と掲載年を間違えた、ってことがあるのか? 原稿を書くために記事を再読していればこんな間違いはしないはずだ。