貴戸は本当にシューレを批判していたのか?



なんだか書かないといけないみたいなので、貴戸本への再エントリをしたいと思う。


まぁ、やっぱりというか、貴戸本が本当に東京シューレを批判していたのかな?という疑問に原点に戻らざるを得ないように思う。東京シューレが貴戸を批判している事実をもって、貴戸が東京シューレを批判していたと予断が働いている気がする。


貴戸の本に登場する「不登校」は当事者にとっては当たり前のことだと言ってよい。これは2ちゃんねるの書き込みでも言及されていた。

正直言うと、当事者のひとりとしてなんら新しい発見ではない。気の会う仲間内では、自分の知る限り十数年前からずっと繰り返し語られてきたことだ。フリ−スク−ルや親の会のなかでもとりわけ仲のよい家族や友達とだけ、酒でも飲んだときにこっそりと語られてきたことにすぎない。

貴戸本は「本音」の部分を語っていて、不登校の本に特有の嘘臭さが無かった。


実際に当事者や親や支援者の思ってる不登校と運動でアピールされる不登校は違う。運動でアピールされる「無臭ニンニク」(常野雄次郎の言葉)のような不登校イメージをメディアや文化人はベタに信用したわけだけども、実際は臭いプンプンのニンニクだし、人には絶対言えないようなこともいっぱいある*1。そういうことを書いたのが貴戸本であったと思う。


そういう貴戸本が東京シューレに運動的に批判されることにやはり疑問を持たざるを得ない。不登校になってひきこもりになって、臭いプンプンのニンニクになった人間としては、貴戸本が「本音」を言っただけで批判されていることに納得がいかない。「臭いプンプンでごめんなさい」「フリースクールにも行けなくてごめんなさい」「ひきこもっちゃてごめんなさい」と言うしかない。


明るい不登校の発言によって、隠蔽された不登校がいるように、東京シューレなどの活動によってひきこもりの存在が隠蔽されたのは事実である。彼らが臭いプンプンのニンニクに接してきて、不登校が無臭ではないということを認識して、子どもたちを力の限り支援してきたのは知ってるし、それを批判しようなど考えてもいない。しかし、東京シューレの政治的運動が*2バッドエンドを向かえた不登校を隠蔽してしまったのも事実である*3


東京シューレもひきこもりのことを考えてるぞー」と雑誌を紹介してくれた人もいた*4が、「ひきこもり当事者には様々な人がいる」と言いながら、その雑誌には高岡健芹沢俊介が登場しているのはなぜなのだろうか? 彼らが語るひきこもりとは、ハッピーエンドが待ってる不登校のサクセスストーリーと同じようなもので、言うならば「無臭ひきこもり」だ。不登校のバッドエンドとしてひきこもりが存在したように、ひきこもりのバッドエンドとしてさらに過酷な状況がある。東京シューレがひきこもりのことを考えてるのはもちろん事実だけども、またいつぞやの隠蔽が繰り返されてしまっている。


このブログで見解文に登場する被害を受けて傷ついた当事者たちを批判するかのようなエントリをしたのも事実。しかし、彼らが貴戸本を潰す政治的運動に荷担するなら、「あなた達が東京シューレの活動に協力することで、また隠蔽される人たちがいるんですけど」と批判するのは間違っていることなのだろうか? 彼らは調査においての被害者だけども、彼らの振る舞いは政治的には明らかに加害者だ。


以前、このブログで「いつまでもひきこもりは続けてはいけない」ということを書いたことがあった。これはひきこもるのがダメということではなくて、親が死んだり、金がなくなったり、本当にどうしようもない状況になって、いつかは「ひきこもり」から脱出しなければならないという意味だ。親殺し、餓死、自殺という極限例でなくても、ひきこもり続けるというのは非常な苦痛を伴うし、徐々に社会性が失われていく。だから、早期脱出ができればそれに越したことはない。


だけども、引きこもることは否定したくない。


引きこもるのは良くないよ、と言われるかも知れないが、とんでもなく苦痛の伴う「外部」から逃げ出して篭もることは悪い事じゃない。立ち向かって討ち死にするんだったら、ひきこもって何が悪い。


ひきこもりを肯定することというのは、ひきこもりの闇の部分を葬り去ることではなく、闇の部分も含めて肯定することだと思う。自力脱出例だけに焦点を当てて、「ひきこもりを肯定する」という人たちのちゃらけたひきこもり論は、ひきこもりの否定に等しい。


不登校も同じだ。不登校は、ハッピーエンドに終わらないし、ひきこもりになったりもする。貴戸本はそのような当事者の声を表に出した。


この行為が運動的に否定されるなら、こんなにおかしいことはない。

*1:「無臭ニンニク」の登場する本を読んで不登校を分かった気になるのはやめて欲しい

*2:恐らく意図せざる結果としてだろうと思うが

*3:彼らの実際に当事者と共に行っている活動と政治的効果を混同している人がいて困る。ひきこもり当事者が持っている不信感は彼らの運動の政治的効果の方である

*4:そんなことは知ってるというツッコミは置いといて