2012-01-12 ハーモニーは宝石箱
ハーモニーは宝石箱
大人は1日に15回笑うということを聞いた。
子供は400回笑うんだって。
だったら、君と君の分身で415回。
でも、君たちはきっと800回笑っているだろうね。
ひとりぼっちにしないために、同じように笑ってあげているだろうね。
君のきれいな笑顔がハーモニーを奏でるときに、
君の周りに笑顔が並ぶ。
笑顔は光の中でもとびっきりの光。
笑顔はワクワクの始まり。
ワクワクはエネルギー始まり。
エネルギーは未来を引き寄せる。
君の考えた人生を引き寄せるのは君のワクワク。
思った通りに、願った通りに、君がワクワクするほど近づいてくる。
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【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために【アサーティブを学ぶ】
2012-01-02
【自分を変える】統合する最後の第8ステップ
このステップに辿りついて、統合の効果で、よくやくすっきりとした安定を感じることだろう。
統合は、新しい自分のアイデンティティの誕生を体感させる。
実際にはまだ足を踏み出していなくても、すでに自分が変わったように感じるだろう。
統合によって、本当の自分に出会ったように感じる。それまで随所、随所に相反する考えがいくつもあった上、他者の価値観まで紛れ込んでいたアンビバレンツな自分しか知らなかったからだ。
統合によって、考えたこととは、別のことを感じ、さらにもう一つ別のことをするいったバラバラ感がなくなる。
人に限らず部分がバラバラにされると完全感を失う。混乱の状態は人形をバラバラにして目に入る混沌とした状態と同じだ。
統合はそれが完全に修復されたイメージとよく似ている。統合とは自分でも気がつかなかった自身の回復なのだ。
感情、考え、行動は全体としてのまとまっていき、さらに経験することで、統合は深まる。
以前より気づきの機会が多くなり、効果的に問題を処理できる能力が高まっていく。副産物は平穏と安心、そして喜びだ。
統合は問題の消滅ではない。それでも古い習慣や恐怖、信念を捨て、新しいものと結ぶ。
単なるアイデンティティーの変化ではなく、以前以上に強く、深く、幅広いアイデンティティーに変わるのだ。
それが自信になりPDCAを回すことを受け入れる。この受容こそが変化なのだ。
個人的な変化は、環境(組織文化、配偶者の価値観など)に支えられなければ維持しにくいものだ。
気づいてバックアップしてくれる人がいるとよいが、そうでない場合でも落胆せずに、「そんなものだ」と肯定的な解釈をして、自らサポート体制をつくるようにすることが大切だ。
サポート体制をつくるには、自分が成し遂げた変化を受け入れて尊重してくれる人が傍にいてくれるといいだろう。
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【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために【アサーティブを学ぶ】
2011-12-31 【自分を変える】決断の第7ステップ
【自分を変える】決断の第7ステップ
障害となっている恐怖心と、恐怖から生じる抵抗を認めない限り、払拭のしょうがない。
払拭できるから次のステップに進めるのだ。それまではどれほど自分に変化することを誓っても破ってしまう。
特に物事をコントロールしようとする人や、格好をつけたい欲求を捨てられない人には、PDCAを使いまくって、失敗を厭わず正解を発見することはできない。
この種の人には、これ以上前に進むことは無理な相談で、自らが恐怖心を体裁で覆い隠す習慣を克服しない限りほとんど期待が出来ない。
「問題解決スキル」を含んだ「意志決定スキル」の脆弱さが原因なのだ。
決定するために、事実を一つ残らず把握し、必要な対策を打っておこうと考える。
それは理想であっても、すべての事実を把握するのは神技のようなものだ。
人間技でないことを平凡な自分に要求するわけだから、自分の欲求に自分が押潰されてしまい、身動きがとれなくなり行動に踏み切れないのだ。
恋した相手がイエスと言う保証がないと気持ちを打ち明けないのと同じだ。
自分を変えるには、この段階を越えて次の第7ステップに進まないと行くしかないが、見栄や体裁で自分の弱さをガードしている自分を変えるのが難しい人は、ここで元の状態の方向へUターンしてしまう確率が非常に高い。正に運命の分かれ道なのだ。
考えてみてほしい。恋した相手がイエスと言う保証がないと気持ちを打ち明けないというのは、何もなかったのと同じことだ。
余談になるが、得恋は自分が傷つかないと考えがちで、実は自分も相手も傷つくことなのだ。
人を思うとは記憶することであり、しかもすぐに忘れる一時的な記憶ではない。
脳科学的には、心に深く刻むとは、その段階ですでに自分の心に傷つけていることなのだ。
得恋、失恋、結果がどちらでも同じなのだ。行動して傷つくほうが良いと知ることが大切だといえる。
しかもビジネスや研究で、PDCAを回す場合では、どこから始まっても同じなのだ。
つまりここでも見栄や体裁が邪魔なのだ。
理想とする条件が整わないから始めないというのは邪道なのだ。
克服するには一度自分の感情を公然と認めることがとても大切だ。
第7ステップに必要なのは、「これでいい」という思い切りだ。
それはあきらめにも似ているが、違う点は不退転の決意の有無だ。
それはどんなに恥をかいても、石にかじりついてPDCAを回し続ける覚悟に他ならない。
そこにたどり着いた瞬間、自分の内側でバラバラに主張していた意見が、遂にひとつにまとまり、合意したことを感じるだろう。遂に統合が起こり、霧が晴れたように、迷いが消えたのだ。
第7ステップの土台になっているのは共感性と自己認識スキルだ。
この能力を伸ばすには、日常的にバラバラな意見、主張にある相違点を否定せずに、一旦受け入れた上で、相違点を明確にして、点と点をつないでまとめあげるトレーニングをしておくといい。
このトレーニングをするほどその努力は創造力になって結実する。
このスキルは男女問わず、人の営みのすべての面で力を発揮する。
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【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために【アサーティブを学ぶ】
2011-12-29 【自分を変える】進路を選択する第 6ステップ
【自分を変える】進路を選択する第 6ステップ
私にはできるかもしれないと可能性を信じると、逆に決して道は一つというわけではないと仮想する。
自分がこれまでと違うことを自分に要求するわけだから、選択肢が増えるのは当然のことでもある。
そうは言ってもまったく未経験、未知の世界に簡単に行ける訳でもないので、仮想と現実の間を行ったり来たり試行錯誤するす。
目的を現実のものにする上で最も好ましい選択肢を見きわめようとするだろう。
この作業を通じて飛び込む準備が万全かどうか、自分を見極めているのだ。
この第 6ステップの段階で無意識の人生脚本に気をつけたい。
油断するとネガティブな人生脚本に組み込まれてしまうからだ。
対策としては幸福なシナリオを具体的につくることだ。具体的にするほど危険を避けることができる。
1%でもあきらめの気持ちがあれば99%はないのと同じだと心したい。
完璧主義の人は、過ちに対する不安と恐怖が表面に出てくる場合もあるが、自信がなくても行動することが大事だ。
そうしてPDCAをフル回転させるといいのだ。完全にできることと、100%の自信には関係があるようで実はない。
100%の力があっても99%の自信しかないのなら0%の自信しかないのと同じだ。
反対に70%の力しかなくても100%の自信があれば100%の自信はキープされ、不足する30%の力は補われる。
あれこれ思い悩んで確実さを求めて決定を先延ばしにして、結局、時間を無駄にするだけだ。
現実には、どんなに重大な決定であっても、完全なデータをそろえることは不可能なのだ。
行動してPDCAをフル回転させることが重要だ。
完璧さを自らに要求するならPDCAをフル回転することに関心を持つほうが重要なのだ。
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【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために【アサーティブを学ぶ】
2011-12-28 【自分を変える】夢と向き合う第5ステップ
【自分を変える】夢と向き合う第5ステップ
第5ステップは変化のプロセスでももっとも重要なステップだ。夢と向き合うステップだ。
状況を受け入れて、そこから立ち上がる。
目標を達成したらいま以上に自分は進化し、よりよい状態が手に入る」と考えるようになる。
このステップでは、まだ受け入れざるを得ないという諦めに似た消極的な一面が残っているが、そこからモチベーションを高めて積極的に関わっていこうと決断する変化が始まる。人間の最も美しい一瞬を見る事が出来るだろう。
自分が心から望んでいる状態をはっきりと具体的にイメージすることがモチベーションを高め、主体性を獲得する。
これはよりよい結果を出す上で特に効果的だ。
イメージが具体的であればあるほど、イメージは羅針盤の役割を果たし、主体性を発揮する。主体性を持てば持つほど自分を過去のこわわりから解放する。
重要なことは、感情的になってカラ元気で刹那的にモチベーションをあげるのではなく、客観的に考え、現実的で具体的なプランを持つことだ。
(福井市内 松本通り)
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2011-12-26 【自分を変える】慣れとこだわりを捨てる第4ステップ
【自分を変える】 慣れとこだわりを捨てる第4ステップ
自分を変えるステップ4では、自分の居場所を失ったような気分になるだろう。
どこへ行こうとしているのかさえ曖昧だが、どこかに進まなければいけないことだけは分っているという頼りのない状態になることもある。
孤立感、孤独を感じて不安になる。
それは誰でもそうなることで自分を否定する必要はない。
だからステップ4では、人の教えを受け入れられる素直で謙虚な態度をとることが重要だ。
そうすると孤立感から救われるが、助けを否認するとストレスが高じて状況は悪くなるだけだ。
堂々と率直に助けを求めればいい。
なじみのある古いやり方が適切とは思えなくても、より良い未体験の方法が分っているわけでもないので、ただ成り行きを見守っている気分になり、手も足も出ない自分が情けなくなるかも知れない。
そうすると古いやり方が適切でなくても、感情的になり、未練を持つ。
もう二度と戻ってこない恐怖があるが、自分が捨てるものに別れと告げる覚悟が必要だ。
もし悲しくなるなら、自分流にセレモニーをしたっていい。
そして変化に自主的にポジティブに関わるように意識して、万一、犠牲感があるなら誤解を手離すようにすることが重要だ。
人には自分のルールとも言える行動パターンがある。
自分の苦手意識を避けて適応しているかどうかに関係なく、取り組んだというアリバイ作りでしかない、やりやすいように無意識に作った行動パターンなのだ。
この際、見直してみるチャンスだ。効果のないアリバイ作りのためのやり方を捨てるときだ。捨てた後にPDCAで新しいルールを作るようにする。
新しいルールは、やがて変化が起こるときに集約される。
PDCAを続けて、疑問とナゾに慣れるようにする。この方法はもっとも効果的な練習だ。
PDCAを繰り返すうちに効果的なやり方を発見できる。
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2011-12-24 【自分を変える】第3ステップ 現実と向き合う
【自分を変える】第3ステップ 現実と向き合う
ステップ3では、「否認がなくなり、助けの必要性や対策を考えずにはいられなくなる。「もう、逃けることはできないL というあきらめから現実に向き合うようになるんだ。
変化の必要性を認めることに苛立ちを感じても、徐々に抵抗できなくなってくる。
それに自分が気づいて受け入れてしまうと、現実を率直に見る目が確かになり、受け入れ速度が加速する。
しかし、まっすぐに進むことは稀で、一進一退、時には一進二退というように状態の悪化が起こり、そのプロセスでは自己憐憫の感情に陥ることもある。
恐怖と希望、不安と意欲という相反する意識が同時に立ち上がり混乱する。 この段階では失うことの悲しみに落胆することもあるが、心はすでに現実を認めているので、時間がかかっても、葛藤が収束に向かい、やがて未知の世界に進む判断が現実のものになってくる。
葛藤が終わると、アンビバレンツな状態から解放され安心するようになるだろう。
この段階で意識と現実がひとつになり、意識がはっきりしてくるのだ。
完全ではないものの、ようやく変化のはじまりを迎える。
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2011-12-23 【自分を変える】第2のステップ 否認の段階
【自分を変える】第2のステップ 否認の段階
自分を変えるにははじまりから、変化に到達するまで、全部で8つのステップがある。
2つめのステップは、否認だ。
この段階では危機を認めようとせずに、「きっと何もかもうまくいくさ」と表向き楽観的にとらえる。「知らんぷりしていればいい。」と決め込み、「何かの間違いだ。きっと問題はないんだ。」と不快感から逃げようとする。
現実が事実を突きつけるまでは、自己防衛的な思い込みではぐらかし、成功する。
成功とは先送り以外の何でもない。
否認は自分への嘘でしかなく、実際には潜在意識のレベルで気になっているのだ。
問題が先送りされている間もストレスが自分を痛めつけている。
そういう経験はないかい?
不快感から身を守ろうとする心情は理解できるが、このようなパターンは百害あって一利なしだ。
この姿勢を克服する意識を持つことが変化のはじまりになる。なぜなら不快感から身を守ろうとする心情そのものが、危機を感じていることに他ならないだ。何もなければ否認することも、逃げることもないのだ。
変化以前の危機を察知するスキルまで自分で封じ込めているというわけだ。
このような態度は世界的な金融危機にも通じているといると思わないか?
変化で何かを失う恐怖感、あるいは大した理由もないままに変わりたくない欲求が自分の心を束縛しているのだ。
解き放つには真正面から向きしかない。
人生を豊かにする鍵は、どこか遠くにあるわけではなく、いつだって君の手にある。
Very Very Merry Chiristmas
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2011-11-12 【自分を変える】最初の関門
【自分を変える】最初の関門
自分を変える必要があっても、簡単にはできないのものだ。もしすてきな君が何らかの事情から、自分を変えたいと思ったときのために、予め知っておくと役に立つと思うので、自分を変えるのがなぜ難しいのか、どうすればいいのか、今日はそのメカニズムを考えてみよう。
【自分を変えるための最初の関門】
落ち着かない気分は、ふつう心地のよいものではないようね。心が乱れるのは自分の内側か自分の外側の世界に何か問題があるからだ。
こういう場合には対策が必要だが、人間にはできることとできないことがある。自分自身のことは自分にできるが、自分の外側にあることは自分にはできない。外側のことというのは、他者、状況などだ。
変化を嫌う人は、他者、状況を変えようとする。また変わる必要が解っていても、Yes,But,If........その通り、しかし、もしを使って否定してしまう。つまり「なるほど、その通りです。でも○○○○○なので、それは出来ないですね。もし、状況が変わればやりたいですが」というようにして認めないのだ。怖いからね。
でも、この構文を使っている限り、変化が起こることはあり得ないんだ。
それにしてもなぜ変わりたくないのか?
人に頼ったり、弱さを見せると嫌な顔をされる環境で育ったことに原因があるのかも知れない。そのような人にとって最も都合がいいのは状況が変わってくれることだ。状況をコントロールしようとする。しかし状況を変えることは誰にとっても無理な相談なんだよ。むしろ状況をコントロールしょうとするほど状態は悪くなる。
状況のコントロールに熱心でいると、失敗はいつも恥であり恐怖でしかなく、解決の扉というもうひとつの側面であることに気がつかない。これではPDCAを使う機会を放棄しているのと同じだ。
もし、自分を変えることに集中していると、自然にPDCAを使わざるを得なくなる。行動した後に何が起こったかを見て、どこに間違いがあったか、どこを直せばいいのか、その結果を再度実行してみる。あきらめない限り失敗はなく、やがて成功にたどり着く。君ならできるさ。こうした考え方も状況を変えることしか頭にないと「そんなにうまくいくはずがない」と否定的になってしまうんだ。いつも考えてばかりの習慣が身についていて行動しないから解らなくなるんだ。
いつも考えてばかりいるのは、弱さがバレルのが極端にイヤだからだ。人間は相反する思考あるいは感情を持っていると、引き裂かれた状態と同じで身動きできなくなる。
「何かがおかしい」と感じるとき、実際に「何かがおかしい」ものだ。その認識が最初の段階だが、やがて本能的に次の段階に進み「問題など存在しない」という否認の段階に進んでしまうとそこで行き止りだ。鈍い人はそこで止まってしまうが、敏感な人は相反する認識が交互に現れてストレスになる。自己否定感が強いと、不快感を手離したいので、第二段階の認識を意識しようとせず切り離すが、潜在意識に潜り込みストレスになる。
自分を変えるためには、第二段階の認識をすることだ。そしてPDCAを回すんだ。いまこの瞬間に集中するようにするといい。
自分を変えるためのスタートの機会になるのは、安心感を保つことができる適切な対策を見つけることに限る。それが最上の策だ。ほとんどの人はそれまで、怖くて自分を変えることはできない。つまり自分の実力を認識した上で、つまり自分に合った効果的な方法を発見することが必要なんだ。
しかし簡単に発見できるものではない。その発見は何度もPDCAを回してみないと分らないんだ。自分に変化を起こす上で避けて通れない必要なスキルだ。でも君ならできる。
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2011-10-12 人は意識と想像の区別が苦手だ。
人は意識と想像の区別が苦手だ。
人は意識と想像の区別が苦手だ。
たとえばまだ起こっていない先のことを考える、これは想像。過去のことは体験したことを思い浮かべているので、これも想像だ。
本当の意味で意識できるのは、現在(いまこの瞬間)のことだけだが、人は意識だけを使って考えていない。たとえば目の前にある皿を丸だと思うけれど、丸だと意識できるのは上から見たときだけで、違う角度で見たら丸ではない。それを真上から見なくても想像力を使うことで、丸だと客観的な判断が出来ているにすぎない。
このように想像と意識を混ぜ合わせて考えるから一応まともな意見が交わせる。(本当は錯覚だが、気がついている人も、そのことを問題にしても逆に混乱するだけなので、大局に立って社会のルールに合わして暮らしている。)
しかし、人の苦悩はここから始まっている。すでに現実と想像が区別できなくなっていることに、気がつかないからだ。想像と意識を混ぜ合わせて考えるから、考え出したら、過去の体験と先の想像がいま起こっている現実に加わって、歯止めが効かずに現実がなにか分からない状態になる。みんな、この状態で暮らしているが、認識できていない。認識していないから正しいと思い込んでいるだけだ。
現実だけにしぼって行くと、すべての現実は川の流れのごとく変化し続けていることが分かるだろう。自分も周りも全部、変化し続けている。その事実を知っているのは身体だけで、その証拠に突然病気になる。でも本当は突然でなく、その兆候(経過)は発症以前に起こっている。脳はこれを認識できない。
つまり執着とは想像へのこだわりであって、現実を認識しているわけではない。想像のなかには五感で記憶したことが混ざっているからますます分りにくい。人生脚本は、五感と過去の記憶、想像で書かれていて、しかも意識できない。そこで使えるのはまだ使っていない意識しかないのです。ところが脳はたくさんのことを意識することが苦手だ。だから感情に流されて消えてしまう。
はっきりと目的を意識しないと、どこへいくか分らないのだ。
意識できるようにすることが重要で、意識したことはふさわしい努力さえすれば、何でもできる。逆に意識していないことは簡単なことでもできない。
事実、病院におけるリハビリとはこの戦いだね。意識と身体が遮断されたために身体が思うように動かなくなっているのを、再度、意識を身体にインプットする作業だ。なかなか成果の表れない地味で単純な作業でも、自分を信じてあきらめずに、繰り返し、繰り返し続けて奇跡を起こそうとした者だけが夢見た回復を獲得している。
人生脚本を書き直すのも同じで、インプットする場所が身体ではなく五感と潜在意識なのだ。どうしたいのかを明確にして、繰り返し、繰り返し、自分に教え込む。
なれる最高の自分になる努力だ。それが足らないと、小泉八雲の「怪談」に出てくる「耳なし芳一」のように後一歩で失敗してしまう。油断禁物、繰り返し、繰り返し、自分に教え込む。
過去のイライラ、不安があっても、それは終わったこと、この先のことはまだ起こっていない。出来ることは目の前のことに誠心誠意、ベストを尽くすことしかない。その瞬間、瞬間を肯定的に取り組んでいけばいい、それしかできない。
なぜならみんな変わり続けているからです。彼と会っていても昨日の彼とは違うし、こちらも違う。奇跡的な偶然を除いて、同じ状況で向かい合うことのない一期一会なのだ。だから以前こうだったからと思い煩うことなく、自分と相手の両方に成長を期待し、熱意を持って淡々と進めていくしかできない。
その人間の真実ともいうべきことが受け入れることができると、世界は変わって見えはじめ、恐れが減っていく。もし世界が変わって見えたら、それはそれとして奥底に持っていたらいい。議論しだすとヘンな奴だと思われるだけかも知れない。
君が望む具体的なイメージを強くもって、その実現に瞬間、瞬間の対応を心がけるようにするんだ。瞬間、瞬間の対応を心がけるには具体的なイメージを強くもっていないと局面の感情に流されてしまうので、イメージが実現できなくなる可能性が潜んでいることに気をつけてほしい。
イメージを明確に意識して、顕在化しょう。
飛躍した意見に感じられるかも知れないが、それが本当だ。なりたいイメージを明確にして、否定的にならず肯定感を強く意識してベストを尽くすんだ。
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【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために【アサーティブを学ぶ】
2011-08-12 ひたすら優先順位
ひたすら優先順位
■ひたすら優先順位
目的、目標を達成することに直結していることには、自分の能力のすべてを惜しまず使う。
感情を目的にするといい。「親子で明るく楽しい家庭にしたい」というのでもいいさ。人、モノ、金、時間の先には必ず感情があるからね。つまりそれらは偽りの目的のようなもので、感情こそ本当に求めていることだ。
それに感情は自分のあり方で必ず実現できる。目標はそれを具体的にしたものにしたらいいね。
目的と目標の達成に実行するだけの値打ちのないことはしなくていいんだ。
目的、目標が達成されないようなことは決して優先しないようにしよう。他人の価値観を自分の中に持ち込むことはしないのさ。
ひたすら目的を叶える毎日を過ごしてほしい。
君ならきっと出来るよね。
ボクの優先順位の一番は、死ぬまでいつも君だよ。
ハッピーバースデーに、君の幸福駅行きの列車が、ピンクの煙を吹き上げながら、ひたすら走る夢を見たよ。 お誕生日おめでとう。
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【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために【アサーティブを学ぶ】
2011-07-12 20:80の原則
20:80の原則
■20:80の原則
目標がないと優先順位も決められない。その時々の気分で行き当たりばったりで作業すればいい行き方だ。これでは自分の価値がどんどん下がってしまう。
君も知っているようにパレートの原則と呼ばれている20:80の原則がある。重要な20%のことが80%の結果を実現しているという考え方だ。つまり重要でない80%のことをしていても、20%の成果しか得られない。
この考え方を自分に活かすには「優先順位決定」が欠かせない。優先順位がないと生産性が向上しないばかりか、マイナスになることがどんどん起こる。
生産性というとビジネスとお金を想像するかも知れないが、それだけではない。創造されないという意味も含んでいる。
人が1時間コミュニケーションして、なにも生まれないというのは、人生のムダ遣いだと言えないだろうか。悲しいことだよね。
すてきな君は君の知恵と工夫で人生はいくらでも素敵にできる。だから小説を読み、映画を観ても、自分の人生に使えることを発見して活かさないともったいない。
知恵と工夫は時間なしには使うことができず、なにをするにしても時間が必要だ。
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2011-06-12 キャリアプラン
キャリアプラン
キャリアアップ、キャリアプランニング(キャリアデザイン)、キャリアディベロップメント・・・・キャリアには、いくつかの言葉がある。
どんなキャリアを育むのか、どんな能力と収入の目標を立てるのか、どんな仕事でどのように収入を得るのか、どのようにキャリアプランの実現を目指して行われる長期的、計画的な能力開発をするのか。
HOWとWHYは一対なので、働く目的がその答えになる。仕事における目的には意味と価値が含まれているのだ。
しかし人は、そんなことを考えて整理できる前に社会に踏み込まざるを得ない環境で暮らしている。そこで男女共に、整理ができていないまま、キャリアに向かい合っている場合が多く、特に結婚・子育てという未知数を考慮する女性の場合、夫の従属的になる傾向が強いので複雑だ。
しかし、だからこそ女性の場合、働く目的を明確にしておくことが重要だといえる。働く目的は、キャリアの羅針盤になり方向性を教えてくれる。充実した人生を送る上でのサポートとエネルギーになるだろう。
目的には意味と価値が含まれているが、それは最初からあるわけではない。
自分が意味と価値を与えていくのだ。キャリアを志向するとは、目的を明確にしていくことに他ならない。それは生きることで人生の意味づけをしていくのと同じように、働くことで働く目的をより明確にしていくようになる。なれる最高の自分にしていくのだ。ある程度、明確にしておくことがさらに明確にする道筋になるだろう。
女性がキャリアを志向するのは、単に経済的な理由以上に、自己実現を求めていることが影響している。
またパートナーとの関係においても本当の意味でのパートナーを志向する女性が増えているのもその理由の一片だ。そこには支配と依存の影響を受けた主従関係から脱出したい健全な欲求がある。その気持ちは大事にしたいものだ。
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2011-05-29 仕事の目的
仕事の目的
■ 仕事の目的
働く目的は、「なぜ働くのか?」に対する答えであり、理由だ。
仕事の目的は、その仕事で、なにをするのか、仕事そのものが持っている目的だ。
しばしば道具が使う人によって、機能も目的も変わるように、働く目的によって仕事の目的もしばしば変化する。
だから、働く目的で、仕事の意味は変わるので、働く目的を開眼すると、仕事の意味も変わる。
「セールスの仕事はいやだな」と考えていた人が、働く目的が変わると、セールスの意味も変わる。そこから俄然やる気が強くなり別人のようになることがある。
働く目的が変わっているにもかかわらず、仕事の目的が変わらない・・・・時代の空気、新興国の追い上げ・・・変化し続ける一方で、いま多くの人も組織もその狭間でやる気を見つけ出すことに苦慮している。自分のモチベーションを高めるスキルは、子育てのスキルにも通じている。部下を持つ場合も、顧客と向かい合う場合にも通じる道だ。道というからには、ゴールがあり、プロセスがある。
組織に従属していると組織のゴールがはっきりしているので、しばしば自由がないと思う場面に遭遇する。しかしプロセスには>クリエイティブな機会があり、その仕事をすることで何をしたいのか、主体性を発揮しながらゴールに到達することができる。そのエネルギーになるのが働く目的である場合がしばしばある。
人間は自分のためよりも、人のために働くほうがよりやる気が出るものなのだ。
裏を返せば、厳しい条件を乗り越えてきた人ほど、働く目的がより大きな世界に貢献したいと考える傾向がある。お金や欲では乗り越えられないレベルに対峙したとき、それを支えにする以外になかったと言える。
だから同じものを売っていても、人によって提案力が変わってしまう。それは人によって成功の基準が違うことを意味している。
なんでもいいから売ったらいいのだと考える人もいれば、お客さまが喜んでくれないと満足できないという人もいるのだ。
人は変わり続けるものだ。変わることが悪いわけではない。成長するときもあれば、逆に退化するときもある。合わせて働く目的、仕事の目的も変わるかも知れない。いずれにしても、その時点、時点ではっきりしておくことは自分自身への励ましになるだろう。
成功していると見える人から、「心配だらけでストレスにさらされ夜も眠れない」という相談をよく受ける。
ストレスは必ずしも悪い物ではないのだ。個人の成功の定義を決定するのは自分自身だ。成功の定義は目的であり、ゴールになる。
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【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために【アサーティブを学ぶ】
2011-05-23 特別史跡 福井市 朝倉氏遺跡
2011-05-12 仕事のこと 働く目的
仕事のこと 働く目的
■働く目的
働く最大の目的は、お金だろう。お金は、男女、年齢、既婚を問わず、働くエネルギーになる。お金、自分の欲のために働くことは悪いことではない。
安い給料で働いているフリーターの独身女性は、人の役に立つ仕事がしたいとよくいう。自分のことで精一杯にはずなのに、なぜだろう?つながりが欲しい、あなたが必要だと言われたらうれしいからだ。実際には人の役に立った与える側より与えられたい立場なのだ。
健康のために運動することがいいと知っていても、運動をしていない人にとっては、なかなかできるものではない。
ところが異性にもてたいからとか、人と関わった目的があると一念発起してやる気になれる。
働く目的も、それによく似ている。
最初はお金や欲が満たすことをエネルギーにしたらいい。
しかしそれが満たされると、それだけでは働く意欲が保てなくなる。その先には「誰か自分以外の人」が必要だ。
一番身近な人は家族です。結婚してこどもができると、家族のために頑張りたいと思うだろう。”お金、欲、人の役に立つ”の三点セットのエネルギーになる。それでいいのだ。
より多くの人に接するようになり、社会のいい点、欠陥や矛盾に触れると、自分の世界が広がります。より大きな世界に貢献したいに変わっても不思議ではない。やがてより多くの人、社会に貢献することが働くエネルギーになるだろう。
働く目的の最初はお金や欲でいい。そこからスタートしてより大きな世界にコミットメントしていく。対応する力が必要になり「なれる最高の自分になりたい」欲求が芽生える。成長するとはそういうことだと思う。
自分が成長すれば働く目的が変わる。目的が変わると、自分が成長する。成長と目的は二人三脚で、補完しあう関係にある。しかも自分だけでなく自分の周囲の人にも同じような関係を作ります。自立する子育てや、より成熟した夫婦関係のエネルギーになる。それに「仕事の現場」には、ライフスキルを育むすべての要素が凝縮されている。特に問題を乗り越えることを学ぶ点でうってつけの場所であって、家族の仕組みを学ぶ場所でもある。
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2011-04-12 家族から学んで実行する自立の学習
家族から学んで実行する自立の学習
■家族から学んで実行する自立の学習
・ 目的を持つ
・ 自分の「限界」を恐れないで、限界を認識する
・ 限界に対処する方法を工夫する
・ 「助け」が求められる自分になる。
・ いまこの瞬間に「集中」する。
・ 愛とは励ますこと。
私たちの暮らしはコミュニケーションがすべてと言っても過言ではない。
毎日、あらゆるところから不意にメッセージが投げかけられる。楽しいものもあれば、不愉快になるものもあり、それらによって自分の気持ちが動く。しかし気持ちが動く前に、投げ込んだ当事者に返すものが大半だ。
「じぶんぢから」とは「コミュニケーション力」に他ならない。
では、どうして自立したコミュニケーションができると、自分が価値ある存在と思えるようになるのだろうか?
まず、自分のままでいいと思えるのは自立しているからだ。自分に否定的だと自分の不足を依存で賄おうとする。しかし自立は、足るところも足らないところもあるけれど、自分の責任は自分が引き受ける状態だ。必要があれば助けを求めることもできる。助けを求めた責任を自分が引き受けるから、助けを求めることができるのだ。どのような状態であっても自分を引き受けるとは、次のような態度と結びついている。
●自分と周囲の人を尊重し励ます
● プロセスに注目する
● 決めたことは責任をとる
● できるまでやる
● いまこの瞬間に集中する
● 理想と現実の差をうめる目標を選ぶ
● 感情的な行動をしない
このような態度を自分に課せられると不安に感じるのは、努力の必要を感じるからだろう。努力の必要が生じるのは、そこに限界があるからで、ネガティブな受け止め方をしてしまう。しかし、限界を認識できることで、なにをどのように努力したら、自分はどう変わるのか判ってくる。同時に努力してもできないことも分かるようになる。そうして自分のアイデンティティが分かってくる。
自分にはできること、できないことがある。だから助けを求めるが、同じように、相手から助けを求められることもある。やはり自分と同じで相手にもできること、できないことがあるからだ。お互いのできる、できないことを確認して、できることは「イエス」、できないことは「ノー」と返す。それはお互いさまである。
これは普通の感覚ですが、自分の限界が判らないと、できないことでも「イエス」と言ってしまう。逆にできることでも「ノー」と言う。自分の責任範囲があやふやで混乱してしまう。自分の限界が判らなくなるのは感情が先走ってしまうからだ。相手が不機嫌になるといやだとか、断ると嫌われるとか、自分が不利になるとか心配するからだ。しかし、自分は万能の神ではあることはない。限界のある人間なのだ。自分の仕事とそうでない仕事がある。断ると嫌われるとか、自分が不利になるとか、考える以前の問題だ。
役割分担もないままに使った食器を使った人が洗わないのは、洗う人の限界を気にとめない、つまり尊重しないからだし、伝えないままに引き受けている人の責任なのだ。このように「イエス」、「ノー」が混乱してくると、自分が尊重されていない気持ちが強くなる。否定的なメッセージを受け取っていると、自分でも自分に否定的になる。しかも「ノー」と言うべきところを「イエス」と言って引き受けていたら責任範囲が拡大する一方だ。押し付けられたメッセージ、相手の問題は相手に返すのが、コミュニケーションをよくするポイントだ。
コミュニケーションのあり方を学ぶ場所が「家族」なのだ。「イエス」、「ノー」は日常的に多く使う言葉だが、使い方で人生は変わる。家族はそのことをよく認識して「家庭」は学習の場だと知っておくことが大切だ。
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【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために【アサーティブを学ぶ】
2011-03-30 機能する家族
機能する家族
自分が何を苦痛としているのか、どう考えているのかを探究することで、子供を励ます能力を磨く。
親はパートナー以上に、こどもを通じて学ぶことができるのだ。子供に注意をするとき、叱るとき、あるいは子供が言うことを聞かないとき、親は気分を害すが、
パートナーに比べると防衛することは少ない。その分、自分が何を恐れ、不安になり、苛立っているのかが、晴れた日の空を見るように見やすい。
もし、こどもを通じて学ぶ意志がなく、苛立って叱責するなら、こどもへの態度は白か黒かのように、甘やかすか、あるいは厳格、感情的になるかに分かれるだろう。
学ぼうとしない親の態度や表情は、親自身にも、こどもたちにも、プラスになるものはなにもないのだ。
このような体験を積んでいくと、子供はコントロールされることに不満を持ち、親から離れようとする。うっとうしいから距離を置きたいという理由からだ。子供は親の仕組みを真似してコントロールしょうするのだ。しかしそれは自立に向かっているものではなく、自分の放棄でしかない。パートナーの場合と同じく、愛されていないと感じている。
思春期のこどもの反抗は、自立したい欲求が背景にある。にも、関わらず親がいつまでもコントロールしようとするから複雑になるのだ。親のコントロールはこどもへの愛情ではなく、親自身の不安から起こっているといえる。こどもがそれに反抗するのは、こどもに生じた不安に対する防衛だ。反抗は双方が自分を失っている証しなのだ。
親子が不安になっていたら、家族に安定はなくなる。「反抗期」は、突然やってくるのではなく、そこに至るまでの結果なのだ。
親が境界を認識して、こどもの自由つまり率直、誠実、対等、自己責任を柱にした良心と、良心で使いこなせる知識、知恵からなる良識を尊重すればこどもの欲求をくじくことはない。
不透明な限界への不安、アイデンティティの混乱、自立へのとまどいと葛藤が生じると価値観の衝突が起こるので対立は避けられないにしても、あっておかしくない問題は乗り越えることができる。対立を通して愛されていると感じて、家族の親密さが深まる。食事の時間も寝る時間も、親密で愛情のあるひとときになる。
家族の基盤は、ひとり、ひとりのありようで作る。
パートナーのそれぞれが自分の恐怖や価値観を認識していないと、防衛的になる。防衛的になると、相手に力を誇示するか、逆に力不足を強調する支配的なコミュニケーションをするようになる。
日常的に主導権争いが家庭は戦場になる。戦火が鎮まるのは無関心、服従になったときですが、仮面をかぶっただけなので、親密で愛情のあるコミュニケーションはなく、本当の平和はない。
率直、誠実、対等、自己責任を柱にしたコミュニケーションができなくなり、愛情を感じることも学ぶこともできなくなる。
他者の庭からは青い芝生に見えてもその実態は枯れているのだ。
家族で大切なことは、境界を守ることだ。
ひとりひとりの「個室」があっても、境界を守らなければ「個室」はないのだ。
物質的な豊かさを実現しても、虚ろなのは、親密な愛情が欠けているからだ。親密な愛情の正体は境界つまり個人の自由を尊重した励ましのある関係だ。
自由とは、良心と良識だ。
良心とは、率直、誠実、対等、自己責任を柱にした心だ。良識とは、知識、知恵を良心で使いこなせるスキルだ。自由は、境界の領域にしかないのだ。
相手が誰であっても、支配的、防衛的、依存的な態度・言動は自由を尊重しないものだ。
自由を尊重するとは、自分を考え、相手を考えることだ。
相手を変えようとするかわりに、「相手のことを知りたい、学びたい」と心から思うとき、喜びが跳ねながらやってくるだろう。
コントロールしたい欲求を捨てることは難しいものだ。学ぶよりも楽だからだ。手抜きだ。つまりそれこそが愛情の不足なのだ。
愛情とは、その難儀を難儀と思わず、心から「相手のことを知りたい、学びたい」と思い実行することなのだ。
ひとりひとりの欲求や権利が尊重されると、ひとりひとりが学び成長しながら、全員で愛する体験をつくっていける。これが機能する家族の仕組みの基盤なのだ。
このやり方が難しいと感じるのは、他のシステムを疑いもしないで受け入れているからだ。
国、地域、学校、家族、あらゆる共同体が、問題意識もないまま当たり前のように恐怖心や罪悪感を利用して、コントロールしている状態になれているからだ。しかしそれらは安心や意欲を引き出す代わりに不安、不信、反感を引き出してしまうのだ。
たとえば人の評価をするときに、その人の内側にある本当の価値に無関心なまま、なにを手に入れたかで判断するように、自分に対しても同じ評価をしている。
なぜ、そういう評価をしているのか、考えてみることが必要なのだ。
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2011-03-26 家族としての選択
家族としての選択
■家族としての選択
・仲良くしたくない、家族はどうなってもいい
・仲良くしたいが、家族はどうでもいい
・仲良くしたくないが、家族は大切だ
・仲良くしたいし、家族も大切だ
自分と家族に愛情があるなら、4つの選択肢から選ぶ道は、ひとつしかないはずだ。
「仲良くしたいし、家族も大切だ」を選ぶのが最適な選択のはずだ。葛藤するとき、対立するときはあるが、まず自分を探究することだ。自分がなにをどう考えて、どのように行動しているのかを客観的な目で探究することだ。仲良くしたいし、家族も大切なら、苦痛をオープンに伝えることなしにはできない。しかし愛情に満ちた親密さを失ったパートナーとの関係では、その反対が起こる。無視される、拒絶される、真剣に聞いてもらえないと考える。しかし、その不安に対する反応と行動が愛情の満ちた親密さを失ってきた理由なのだ。
無視される、拒絶される、真剣に聞いてもらえないかも知れない。しかしその理由も不安に対する反応と行動なのでしかない。つまり両者は同じ思いで同じ反応と行動をしていることになる。相手が変わることを期待するのをやめて、自分が変わることをしないと決着はつかないのだ。
いますぐ主導権争いをやめて防御しないことが解決方法だ。探究によってたどり着いた自分の内側にある本当の不安を告白することが親密さのエネルギーになる。
自分を心配してくれる人に苦痛を聞いてもらい認めてもらうと気持ちは楽になるものだ。そこで思う。パートナーとは苦痛を分かち合えないのに、なぜ不倫相手とは苦痛を打ち明けて分かち合えるのか?やはりパートナーとは相性が悪いのではないかと考えがちだ。
しかし、たいていの場合、不倫相手がパートナーより優っているわけではない。不倫相手も苦痛を聞いてもらい認めてもらいたいからだ。
その点ではパートナーも同じだが、パートナーの場合は、相手の不安を知らずに、互いに不安にさせた責任があると思い込んでいるのだ。もし率直に不安を伝えたら相手は驚愕だろう。
「アグレッシブ(攻撃的)な受け身」でも、「ノン・アサーティブ(非主張)な受け身」ではなく、「アサーティブに能動的」なコミュニケーションに変えよう。
それで夫婦仲が改善できなくても、家族間のコミュニケーションは改善できる。
家族とは、自立を進化させる基地。なれる最高の自分になる基地、必要なサポートを受けることができる自分になる基地だ。健全な家族とは問題がないことではなく、問題があっても乗り越える力を持っていることだ。
・仲良くしたくない、家族はどうなってもいい
・仲良くしたいが、家族はどうでもいい
・仲良くしたくないが、家族は大切だ
・仲良くしたいし、家族も大切だ
自分と家族に愛情があるなら、4つの選択肢から選ぶ道は、ひとつしかないはずだ。
「仲良くしたいし、家族も大切だ」を選ぶのが最適な選択のはずだ。葛藤するとき、対立するときはあるが、まず自分を探究することだ。自分がなにをどう考えて、どのように行動しているのかを客観的な目で探究することだ。仲良くしたいし、家族も大切なら、苦痛をオープンに伝えることなしにはできない。しかし愛情に満ちた親密さを失ったパートナーとの関係では、その反対が起こる。無視される、拒絶される、真剣に聞いてもらえないと考える。しかし、その不安に対する反応と行動が愛情の満ちた親密さを失ってきた理由なのだ。
無視される、拒絶される、真剣に聞いてもらえないかも知れない。しかしその理由も不安に対する反応と行動なのでしかない。つまり両者は同じ思いで同じ反応と行動をしていることになる。相手が変わることを期待するのをやめて、自分が変わることをしないと決着はつかないのだ。
いますぐ主導権争いをやめて防御しないことが解決方法だ。探究によってたどり着いた自分の内側にある本当の不安を告白することが親密さのエネルギーになる。
自分を心配してくれる人に苦痛を聞いてもらい認めてもらうと気持ちは楽になるものだ。そこで思う。パートナーとは苦痛を分かち合えないのに、なぜ不倫相手とは苦痛を打ち明けて分かち合えるのか?やはりパートナーとは相性が悪いのではないかと考えがちだ。
しかし、たいていの場合、不倫相手がパートナーより優っているわけではない。不倫相手も苦痛を聞いてもらい認めてもらいたいからだ。
その点ではパートナーも同じだが、パートナーの場合は、相手の不安を知らずに、互いに不安にさせた責任があると思い込んでいるのだ。もし率直に不安を伝えたら相手は驚愕だろう。
「アグレッシブ(攻撃的)な受け身」でも、「ノン・アサーティブ(非主張)な受け身」ではなく、「アサーティブに能動的」なコミュニケーションに変えよう。
それで夫婦仲が改善できなくても、家族間のコミュニケーションは改善できる。
家族とは、自立を進化させる基地。なれる最高の自分になる基地、必要なサポートを受けることができる自分になる基地だ。健全な家族とは問題がないことではなく、問題があっても乗り越える力を持っていることだ。
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2011-03-25 間違った優しさは家族を破壊する
間違った優しさは家族を破壊する
■間違った優しさは家族を破壊する
幼い頃、貧しくて欲しいものを我慢する生活を強いられた女の子がいた。やがて成長して結婚、ふたりの娘を授かった。母親になった女の子は、自分が果たせなかった思いを、ふたりの娘に託した。ふたりの娘を甘やかせ、娘の気ままにまかせた。ご主人が他界された後、一層激しくなり、自分が働き、欲しいものをすべて与えて、娘には働かせなかった。何年も続き、ふたりの娘は家に引っ込んだまま、結婚適齢期を過ごした。
やがて母親は病気になり他界する。後に残ったふたりの娘は、母親が健在だったときと変わらず、同じように暮らしている。働かないので、社会との接点もなく引きこもり状態だ。母親が自分と娘は別の人格であることを忘れて境界を越えて、娘に依存させ続けた結果、娘の自立を台無しにしたのだ。彼女たちには最高の母親だったのだ。
彼女たちに結婚できるチャンスがあったにしても、やはり依存するこどもしか育てられない。そしてパートナーも破壊するか、あるいは自分を破壊するだろう。彼女たちには、依存させることが励ましと映っているのだ。
なんという皮肉だ。因果関係の怖さを感じる。愛情という仮面をかぶった自分への愛着は特に母と娘の関係で起こりやすいので、気をつけてほしい。
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【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために【アサーティブを学ぶ】
2011-03-24 曖昧な国ニッポン
曖昧な国ニッポン
■曖昧な国ニッポン
持ちつ持たれつという言葉には共依存の匂いがある。責任範囲を曖昧にするコミュニケーション、ノーと言わない、言えない風土は、妬む、憎む、怒る、愚痴る温床になる。
曖昧さは、夫婦、親子、家族、学校、職場、政治とどんどん広がり国際政治の場面にまで拡大していて、諸外国からも奇異の視線が届く。
この曖昧さは家庭内の女性を直撃していて、支配と依存から来るストレスを与え続けている。支配と依存のストレスに対して「主人が働いていてくれているので」と弁護するが不安定な力関係が二人の関係の基礎になっていて自立を阻害する。
不安定な力関係のバランスをとっているのが、自分の支えが必要だと言う。典型的な共依存では両者は自分を消し去る作業に余念がない。
伝統的にニッポンの家庭には「支配」と「依存」の風潮がある。さらに追い討ちをかけるように依存症のいる家庭では体面を保つために他者との間に壁を作ることで家族の秘密にする。こういう家族では「秘密」が励ましの代わりになる。
秘密が習慣になり、不安に反応した防衛的なコミュニケーションによって断絶した家庭内でコントロール、無関心、服従がシステム化する。こどもは成人しても、その独特のスタイルを社会に持ち込み、他者をコントロールしようとする。依存が連鎖する。
夫婦が愛情を間違って認識していると、やがてこどもも間違った認識をしてしまう。
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【アサーティブネス】自分をじぶんの味方にするために【アサーティブを学ぶ】
2011-03-12 受容されるとライフスキルは育つ
受容されるとライフスキルは育つ
福井市足羽山麓
■受容されるとライフスキルは育つ
ライフスキルの基礎は「自己肯定感」だ。
自己肯定感が脆弱だと、ライフスキル全体への影響力の強い自己認識スキルが、身につけるのが難しくなる。
自己認識スキルは、自分の感情や考えを認識できるスキルだが、安定して自覚するには、率直、誠実に受け入れる力が欠かせない。 ありのまま自分を否定することなく受け入れる勇気がないと難しくなる。
自分の扱い方は、他者の扱い方の基礎になり、自分を信頼できず大切に扱えないと、他者に対しても、自らが比較するため、他者も比較すると思い込みが働いてしまう。
意味もなく競争的になり、否定的になると共に、他者からの誠実な批判も率直に受け入れることが出来ないので、人間関係に影響する。
自分の基礎である「自己肯定感」は、家族から、尊重されて、大切にされることで身につく。
しかし親になる人自身に未解決な問題があると、親の役割を十分に果たせない。不幸にして受容されなかった親になる人は、受容される経験をやり直す「育てなおし」をするといい。
人はそれを恋愛に求めることが多いが、恋愛の中心は「自立」と「励まし」にあるのが本当だ。
しかも不安からの防衛に利用すると依存的な関係に陥り、満たされることは少ないので恋愛を繰り返し、その都度、満足を得ようとするものの不安から防衛的な交流を重ねて、ますます自己否定を深める。
受容の体験は、多人数で構成している共同体、グループ、チーム、会社などを通して獲得する方が適していて、その方が肯定感もしっかり身につく。
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