祝!セ・リーグ連覇!!

本当に落合監督はすごい。こんな黄金時代が来るなんて想像もしていなかった。

今回の優勝で、ドラゴンズの歴史上、優勝は9回となるが、
(1954年、1974年、1982年、1988年、1999年、2004年、2006年、2010年、2011年)
私が記憶しているのは1988年の優勝から。当時10歳、小学5年生だったと思う。
郭源治が空振り三振をとって優勝を決めるシーンは今でも鮮明に思い出せる。
クラスの男子の大半が、優勝時の中日スポーツをモチーフにした下敷きを持っていたものだ。

星野監督の下で優勝を果たし、その後もドラゴンズはそこそこの成績を残すようになった。たまに5位とか最下位に沈むこともあったが、Aクラスの常連ではあった。
しかし、優勝は遠かった。私が次に優勝の歓喜を味わうまでに実に11年の歳月が必要だった。
1999年、第2次星野政権下、本拠地はナゴヤドームに変わっていた。その頃からだろうか、恐竜打線という打のイメージから守備重視のチームカラーに変わっていったのは。

広いドームでの野球に適応し、見事優勝を果たした。記憶に残っているのは先日楽天を退団した山崎武司が名古屋ドームで放った逆転サヨナラスリーラン。これまた打った後、ホームランを確信した彼のガッツポーズ鮮明に思い出せる。

10年に1回、そんなもんだろうと思っていた。あと何回優勝見られるだろうか?5〜6回?
その後もまた、ちゃんと「Aクラスの常連、時々5位」に戻ったドラゴンズ。2位は本当に多かった気がする。

ところが。転機は2004年。落合監督の就任。正直驚いた。彼は監督向きなのか?確かに偉大な打者だが、天才肌のバッターが監督に向く、という印象はなかった。人望はあるのか?選手がついてくるのか?色々と疑問に思ったものだ。

就任会見だったと思う。「補強は要らない。現有戦力を10%底上げすれば十分優勝できる」言い放った。
そして始まった猛練習。練習量は12球団1とも言われる。先日テレビで見た、当時の落合監督の言葉
「これで優勝したら、プロ野球が変わるかもしれない」
そして、先日の優勝会見での言葉
「2004年からの練習量の違いだと思う」

練習の成果だろうか?それは分からないが、2004年、監督就任初年の落合監督率いるドラゴンズは優勝した。
まさに有限実行。そして5年ぶりという間隔の短さ。10年に1回だと思っていたのに、たったの5年でまた優勝の歓喜を味わえる。それがすごかった。

結局2011年までの8シーズンで4回の優勝、2位からの勝ち上がりだが、日本一も1回。
Bクラスに落ちることなく、2位が3回、3位が1回。この8年間、実に2年に1回のペースでチームを優勝に導いてくれた。
初めて歓喜を味わった10歳の頃。2度目の歓喜まで11年かかった21歳の頃、こんな黄金時代が来るなんて全く想像できなかった。

ファンにとっては勝てるチームを作ってくれた落合監督は最高の監督だった。
落合監督、本当にありがとう。
最後、CS突破、日本シリーズ優勝期待してます。