草軽電鉄駅舎跡と桜並木







1909年の開業から1962年までの約半世紀間、日本を代表する避暑地・軽井沢と、日本を代表する温泉地・草津温泉とを結んでいた草軽電気鉄道、略して草軽電鉄。山岳地帯を走る鉄道なのにトンネルがなく、急カーブやスイッチバックがいくつもあり、55.5キロを走破するのに3時間近くもかかったという。


夏には窓がないサマーオープンカーが走り、高原の風を頬で受けながら「カブト虫」に引かれるその姿は、一帯の風物詩であった。もしこの鉄道が今でも残っていたら、夢の高原列車として、観光の目玉になっただろう…と、半世紀を経た今も、廃線を惜しむ声は後を絶たない。


友人に案内され、路線跡をたどって二度上駅跡を訪ねた。手入れをしていない路線跡は薮化が進み、森林へと戻るのは時間の問題であろう。

駅舎の屋根が半分土に埋もれてしまっているところに出て、そこが二度上駅だったということを確認した。スイッチバックの跡をなんとなく確認して、目の前にあった桜の大木に挨拶をして帰ろうとしたら、桜が私のことを引き止めた。


『もう行くんですか?私たちはここにいますよ』


周囲を見渡したら、他にも桜が何本かあった。ここは駅舎から続く桜並木道だったのだ。

半世紀前までは毎年、春になると大勢の花見客で賑わっていた。酒をひっくり返されて飲みたくもない酒を浴びせられることもしばしば。それでも、桜はうれしかった。人と寄り添って生きていくことができてうれしかった。たくさんの出会いと別れ、再会も祝福も見てきた。自分の存在で場を演出することができて誇らしかった。


やがて時流の変遷によって人は動き去ったが、桜は動くことができない。でも待つことはできる。50年でも、100年でも。

私が来るのを待っていてくれたのか。先月会いに来れなくてすまなかった。あなたのことを皆に紹介しよう。そして桜の咲く頃、もう一度会いに来よう。きっと約束しよう。