道陸神峠〜屏風岩〜雁ヶ沢城跡(吾妻渓谷を山ルートで長野原町から東吾妻町へ)



この春から毎年恒例にする予定の、シリーズイベント


戦国真田の吾妻侵攻と妻侵攻と、あがつまの山・里・花を訪ねるエコツアー
http://ecotourism.or.jp/sengokusanada.html


は、戦国時代に真田軍(武田軍)が吾妻を侵攻したルートとその遺構、史跡を訪問しつつ…というコンセプトなのですが、この中に


『吾妻渓谷』と『道陸神峠越えむかし道』探索エコツアー
 〜 『ムラサキツツジミツバツツジ)』咲く渓谷 〜
http://ecotourism.or.jp/sengokusanada/agatsumakeikoku-tsutsuji01.html


というコースがあります。さて、道陸神峠から雁ヶ沢への山道は、本当に通れるものなのか? 途中には屏風岩の絶壁があり、その上を通らなくてはなりません。加沢記にあるように、真田幸隆は横谷雁ヶ沢口に軍をすすめることができたのでしょうか?


実際にこの道を歩いて見ることにしました。恐らくインターネット初公開です。





吾妻渓谷の、旧国道に設置されている公衆トイレのあたりから山に入ります。



    


誰のために設置されたのか意味不明な灰皿、イワヒバが張り付いた大岩の手前から小さな尾根を越えると、





気持ちの良い天然林があります。この美しい林に癒されるためだけのプログラムをどれだけ作りたいと思ったことでしょう。



      


この急崖を横切る大きなカーブの道、これが、これまでは道陸神峠道を訪問するエコツアーイベントの見どころでした。





道路開削時の協力村名が刻まれた磨崖碑はとても重要なものだと思いますが、もう、ほとんど文字の確認ができない程、風化しています。





この先、右手の方に進むと行き止まりとなり、そこで引き返すのが道陸神峠むかし道エコツアーですが、今日は左手に登っていく道を進みます。



      


一歩踏むごとに足首まで埋まるほどの落ち葉。やや傾斜のある尾根をジグザクに登っていきます。





とてもひろく、傾斜の緩い尾根に出ました。ここも気持ちが良い場所です。



  


谷の向こうが騒がしいと思ったら猿の群れです。侵入者である私を観察しているようです。



        


ここから道かたは不明瞭になります。沢に降りた跡が見られるので、ここをトレースしてみました。徐々に巨木の出現率が多くなってきます。沢は涸沢のもよう。この時期咲いていたのはキツネノカミソリの葉だそうです。や〜ずいぶんありますね。





近づくにつれて監視する猿軍団の目や表情も、険しくなってきたような気がします。



        


右の尾根に登ってみたい気もするのですが、猿軍団がいるので近寄れません。それでも、威嚇するような素振りは見せてこないので、そのまま谷を進みました。大きなケヤキ変形木がゴロゴロしています。



  


どうやら、このケヤキが最も太いようです。530cmはおまけの計測なので500cmないかもしれません。



        


谷は徐々に急になり、最後は岩の壁となり行き止まり。仕方なく右に移動しつつ登れるところを探します。道かたっぽいところは獣道なのでしょう。



  


この烏帽子岩(仮称)を目印にして、この尾根の右側に出ます。



    


尾根に出ました。とりあえず、この上に標高850mの三角点があるはず。登ってみます。烏帽子岩を避けて上に続くかすかな道かたは、人の道か獣の道か…





烏帽子岩の上から見た川原湯方面。まさかこんなところから人が覗いているとは思いもよらないでしょう。



      


ピークまでもう少し。カモシカの寝床のようなものがあります。これが目印になりそう。ピークには測量点があるはずですが、どういう訳か見当たりません。ここは四つの尾根の交わるところ。葉が茂ってきたら迷う可能性もあります。ちなみにこの尾根は茂四郎トンネルの真上を通る尾根です。今日はパス。



        


屏風岩に続く尾根を歩きます。隣の尾根に見える一本松は目印になりそうです。



        


屏風岩の上あたりのはずですが、確かに、獣だけによるものとは思えないようなしっかりとした道かたがあります。右側に卒倒しそうな急崖が連続で出現してくるあたりで、私にとって最大の難所がありました。






出た、蟻の戸渡。高所恐怖症の虫が…(llФwФ`)ガクガクブルブル




      


難所を越えると、次第に傾斜もゆるくなり、また尾根幅も広くなってきます。また、測量点が見られるようになります。



      


尾根道は、猿の糞がいたるところに落ちていました。そして「ため糞」も。猿が「ため糞」をするのは知りませんでした。



      


      


右に一つ尾根もどきが出現しますが間違えることはないでしょう。ナツツバキの大木があったり、熊剥ぎにやられたらしい杉の木があったりしました。



        


横谷集落の屋根が近くなってきた頃、祠が出現します。御祭神は大山祇神猿田彦のようです。さらにその下には諏訪神社があります。地元の人のお話だと、かつて数キロ先の別の尾根の山中にあったそうですが遷座したそうです。って、その場所こそがかつての真田幸隆が通った道なのでは?



        


踏切を越えたところに諏訪神社の石碑があります。降りてきたところにある沢は鍛冶屋沢で、雁ヶ沢川ではないのですが富澤豊前守さんのホームページによると神社や祠があったところに雁ヶ沢城があったそうです。

さて、折角なので、今来た道とは違う道で帰ってみようと思います。屏風岩の上は一般の人を連れて行くのはちょっと無理なので。



        


地元で林業を営む富沢且美(かつよし)様とお話することができ、沢沿いから別の尾根に続く別ルートを紹介していただきました。「ずうっと行けば高間山に出る」。ならば、屏風岩に続くあのピークに出るはずです。しかしこの道、最初はかなり荒廃しています。



        


やがてスギ林を過ぎて、道かたも広くなると、右下にトンネルが見えます。あれは茂四郎トンネルと雁ヶ沢トンネルを連結しているものです。むかし道らしい道ですが利用しているのは獣くらいのようです。



        


しかし、この道もまた、谷に降りてしまいました。谷に近づくにつれて道かたが消えていくのは道陸神峠の方と同じですね。



        


谷に降りて、ここからどうしろと…来た時と同じように、急崖で二進も三進もできなくなります。仕方なく、左の尾根に登りました。



        


      


しかし、この尾根がまたかなりの難所。この急崖は地形図に現れていました。不覚でした。ここはとてもお客様を連れてくることはできないですね。トンネル連結部の上にある、発電用の湖が見えます。





このピークで、馬に跨った戦国武将がこれから攻め入る吾妻平野を眺めていれば、まあ絵にはなりますね(ありえませんが…)。



    


ここから850mのピークはすぐでした。カモシカの寝床が目印です。



      


先程は無理やり谷を登ってきましたが、本来、古人はそうは通らなかったはず、別の尾根を少し下ってみます。





今立っているこの尾根を登ってきて、あの、屏風岩の尾根を通るのが最短ルートのはず。



    


その尾根も、途中から急崖になります。うかつに降りるのはやめて、谷から回り込んでみます。



        


ケヤキの巨木がひしめく谷をぐるっと回り込んで、急崖の下へ。



      


おや、クヌギの実の殻斗かな?回り込んでみて、急崖を下から見上げてみると、とりあえず人ならこのルートで登ることができます。4本足にはなりますが。



      


尾根を少し下ります。また猿のため糞がありますね。そうすると、このはっきりした道かたも、お猿の仕業?また少し急になってきたので、もう一度引き返して回り込むことにします。



        


回り込んでみたところ、そう急でもありませんでした。であれば、ここから尾根道ルートで登った人も普通にいたことでしょう。さて、それでは帰りましょう。どうやら久しぶりの頑張りで、膝に来てしまったようです。



      


帰り道、対岸に見事な巨木を発見!びっこを引くほど膝がイカレているというのに、見に行ってしまいました。すると、案外そうでもないケヤキ…いかんいかん、目までイカレてきてしまった。



  


寄り道した代償は大きく、道なき道を進むはめに。道陸神峠のすぐ上で良かった…


今日の実踏調査では、やはり真田幸隆軍の本隊が横谷雁ヶ沢口に来れた訳はないという結論に達しました。まず、尾根に登るための急崖も、尾根の足場の悪さも、狭さも、馬はとても通れません。足軽だって命懸けです。御大将自らはありえないと思います。道陸神峠まで来て、睨めっこをしていたことはあったかもしれません。


しかし、かつて古人は、往来のために尾根道を普通に使っていたことでしょうから、私が通った道も普通に使っていたのでしょう。道陸神峠から最適な尾根道とはどのルートだったのか、調べてみたいと思います。






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