Laura IIIの事。


そういえば・・そろそろ9月も下旬。

さて・・旧版ブログでもお伝えしていた「世界の速い乗り物シリーズ」、
(そんなのあったか?・・・・( ̄o ̄;)ボソッ)

これの話を取り上げても良い時期でしょうか、

Timossi Laura III

時は1954年、アメリカとイタリアでHydroplaneの覇権を争っていた時期の話です。

このLaura III イタリアの3点支持船(3-pointed hydro plane)史の最後を飾る一艇です。

世界水上速度記録を破るために生まれ、
アルファロメオのTipo 159 GPエンジン 1500cc 8気筒を2基、タンデムで搭載し、
800馬力を越すパワーを持っていました。

しかし・・その速度記録走行の1954年10月9日、北イタリアIseo湖に於いて、
時速300km/hを記録した直後、船体は宙を舞い、激しく水面に叩きつけられたLaura IIIは分解、
操船していたドライバー、Mario Vergaは命を落とします。

ご覧のとおり、とても美しい船体を持つLaura IIIですが、
同時にとても儚い・・・なんとも、言いようのない魅力を放つ一艇です。

・・・さて。

この事故について、あるアメリカの3点支持船の専門家は、

「あまりにも、3点支持船の原則を無視した設計で、事故は起こるべくして起きた。」
と発言し、物議を醸し出します。

なんと言っても、このLaura IIIを設計、製作したのはイタリアHydroplane界の重鎮、
Timossiその人だったからです。

あるアメリカの3点支持船の専門家の主張とは、

「まず、あまりにも重心が前方に寄り過ぎている、そして写真を見る限り、
各ラダーの位置も常識を逸脱している。」
という物でした。

・・・( ̄  ̄;) うーん・・・



ラダーの位置がね・・・
(飛行機のように方向舵が付いている事にも注目)

今、(2011年現在)となっては、このアメリカの専門家(なぜか、何処にも名前が出てこない・・)
の主張が正しかった事は明白です。

が、時は1954年・・・当時はまだ3点支持船のジオメトリ解析など確立していない時期で、
すべての設計の基本は「経験値」で行われていた時代。

この物議の源は・・・というと。
イタリアの3点支持船は、1930年代のIdroscivolante (ハイドロ・スキー)から発展したのに対して、

Idroscivolanteというのは、こういう奴。

アメリカの3点支持船は、トンネル・ハルとステップ・ハルの合成から生まれたという・・・
それぞれの成り立ちの違いが、あります。

当たり前の話ですが、水の密度は空気の密度の約830倍にも達するので、
その抵抗値は、同一速度で考えて20~30倍、
また、当然、速度の2乗に比例して増加するので・・・

※まぁ、細かい計算は、微分方程式を解かないといけないので割愛しますが・・

とにかく、船は水から離せば速く走れる。 というのは道理です。

つまり・・アメリカの専門家の主張とは、

Laura IIIの設計は、ただ手放しで真っ直ぐ走るために、極端に水の抵抗を排除してしまったが為に、
まったく操縦できない代物になっている。

その根拠は:

1)ラダーの位置はプロペラの真後ろにあってはならない、なぜなら、そこに水は無いからである。


アメリカのHydroplaneにおけるラダーの位置が良く解る画像。

2)3点支持船を曲げるためには、Turn Finが必要不可欠だが、それが見られない。
  そこまで水の抵抗を排除するのは、「操縦すべき」乗り物としては不可能である。

ラダーとTurn Finの位置関係は、こういう感じ


確かに・・Laura IIIにはTurn Finが見当たりません。

 さて・・このTurn Fin, 実はコースによって大きく性格が変わります。
左右に曲がりくねるコースの場合は、直立していなくてはなりません。
が、、本来は、上の画像のように水面に対して斜めに配置して、その角度によって、
速度と水圧によってスポンソンを水面に押し付ける役割も持っています。
そのため、上の画像は右回りのみ、というコースに合わせたセッティングで、
左には曲がれません・・・


3)前方に移動した重心は、少ない馬力のエンジンでプロペラ揚力を有効に使う事には適しているが、
 ポーポイズを助長し、バウ・サブマリンを誘発する。
 これを避ける最良の方法は、重心を後方に移動して大馬力のエンジンでプロペラ揚力を大きく取る事である。
 (つまり・・・800馬力なんかで300km/hだそうとするのが悪い・・という言い方。)


理屈で言えば、こういう事。

・・ちなみに、現在のイタリア・パワーボート界の重鎮、Fabio Buzziに於いても、
Pavia Veneziaで使用したHydroplaneのTurn Finは格納式にしていました・・

本人曰く・・「直線を走る時には邪魔になる・・しかし、
GPSとコンピュータ制御でAngled Finが自動で出し入れ出来れば、
安定性はもっと向上するのに・・・」

だそうです。

まぁ・・当時のアメリカ、Unlimited ClassのHydroplaneは、ことごとく、
ロールスロイスのマリーン・・2000HP-overですから、
「800HPごときで・・・・」という発言も頷けるような気もしますが・・

なんとなく・・1000HP級のエンジンでグラマンに戦いを挑んだ零戦
・・みたいな感じがしないでもありません。

この事故の後、イタリアではTimossiさえも1960年代には、
3点支持船の製作を止めてしまいます。
そして、いわゆる大排気量Hydroplaneは、アメリカの専売特許のようになって行きます。。

1960年代から、逆に、イタリアのボート・コンストラクター群は、伝統的なVハル艇では、
アメリカ製に勝る堅牢さを持つようになり、
レース艇の世界に於いては、トンネル・ハル技術を確立してゆきます。
その技術はCUVやABBATEといった名艇を生み出し、

現在でも、GUIDO CAPPELLINI といった名選手が、
このトンネル・ハル艇で速度記録に挑戦し続けています。

そんな時代の大きな変換点にあって、美しくも儚い光を放ったLaura III.

毎年、9月のLago di Iseoのニュースを聞くたび、思い出す一艇です。