選択しないと人生に納得感はないのか(1)
「人は自由になるほど幸福度が下がる」 ”選択のパラドクス”が起きる4つの原因
http://logmi.jp/26437
だそうである。
期待していたものと実際に買ったものを比較すると、期待していたものに比べて買ったものは満足度が低かったのです。人々の生活に選択肢を増やすことは、それらの選択肢に対する期待値を増大させることを余儀なくさせています。(略)
それはあなたや私の期待値が天井知らずになってしまったことで、良い意味での驚きというものはあり得なくなったということです。皆さんが今日ここに来た目的、幸せを得るための秘密は、期待値を低く持つことなのです。
原文と厳密に突き合せないで書くのだが、
んー、80年代の生まれだと選択肢の多さにこだわらなくなるような気もする。
いろんな選択肢があって、かえって決められなくなっているともあるのだが、私は宮台先生の「どっちを買っても長短があるのは同じ(ちょっと違うけど)」派
これが答えだ!―新世紀を生きるための108問108答 (朝日文庫)
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生まれたときから先進国で、選択肢は多かったので、思い入れはない。
まあ、どっちを選んでも、私の人生はそんなに変わらないだろう。
なんかトラブルが合っても、何もないより刺激があって楽しいし。
ベストを求めないのよね。
その程度の人生だと割りきっている。
投信しているけど、私が定年になる頃まで存続しているのは謎で、だけど貯金なんてどうせ無駄遣いするし、失くしても残念でない範囲で毎月積み立てている。
自由であればある程よい、という思想には帰依していない。
ある程度のルールがあって、どう抜け道を探すか、ある枠の中で優先順位をどうつけるか頭を絞るのが好きだ。
どちらかと言うと、全くの白いスケッチブックを与えられると戸惑う。
そこそこの人生がありがたいものだと分かっているし、といいながら、これは社会の主流派に恭順して、それなりに不利益が被らないゆえの余裕だろう。
でも
私たちの社会において多くの選択肢を可能にしているものを、選択肢の少なすぎる社会に移すことができたとしたら、 選択肢の少なすぎる社会の人たちの生活が向上するだけでなく私たちの生活も向上するでしょう。
これが、経済学者が言うところのパレート改善です。収入の再分配は、貧しい人たちだけでなく全ての人たちを幸せします。それは多すぎる選択肢の悩みから解放されるからです。
と言われたら、少しなら我慢してもいいかと思う。
あ、でもここ2年、年7万円の寄付をしていないか。
なぜならこの問題の根源は、可能性を無限にするために金魚鉢を叩き割って得られるのは自由ではなく無力感だということなのです。可能性を広げるために金魚鉢を叩き割ってしまったら満足度は低下します。無力感を増大させ、満足度が低下します。
みんなが金魚鉢を必要としているのです。魚にとってだけでなく、私たちにとっても、今あるものには限界があります。
たぶん難しい問題で、自分が諦めることには納得感があるが、人から強制されると、無茶苦茶、反発するのよね。
最初から選択肢が多かったからこだわっていないが、少なかったら拘る人になるだろう。
選択した結果が大したことがない経験が多いので、どうでもいいと思っているが、選択した結果が自分にとってプラスのことが多いと、そりゃ選択肢多いのはいい教に染まるだろう。
どう善意を活かすシステムを設計するか。
多様な形の善意を認めていないと、一つの善意だけを認めると健康第一ファシズムである。
てゆうか、先の見えない世界で、これから儲かることは方向性を見える人はいるらしいが、過去だけを礎としてもうまくいかないのは自明で。
設計者だけが、善意を選択するものなのか、グーグルが迷惑メールフィルタを作ったというのなら、可能なのかなと思わないでもないが、ある程度は今の善意とは関係のないものを含んでいないとシステムが疲弊する。
finalventさんはノイズの選定と書いていたが、何をノイズとするのかの判断基準は、アインシュタインの可能性をどの程度含むのか。
現実から半歩進んでいるぐらいを選ぶシステムになるんだろうか。
(同じツイッターでも流れる情報はひとによって違う、人は分断されるのだろうか)
飛躍的な意見は受け入れられないシステムになりそうな気もして、現実、アメリカは天才をどのように見出しているかというと、各国から芽の有りそうな人を受け入れているというか、
ジョブズが生まれる土壌とは何だ。いやアメリカでも一人しか居ないらしいけど。
人の好悪を判定して、耐えられる範囲の反対意見を提出するシステムは個別に組まれる感じがするけど、統一見解は出せるのかな。
グーグルは一つの方向性の意思を持つのか。
ちなみに朝の話は、中間集団とか、共同体という過去からの積み上げとは別に、ネットという人類史上初のシステムで新しい集団の形ができる可能性があるのでないか、というのをだな、
10年前のfinalventの日記を引用して、生きることは優先順位の思想を持つということ的に明日の朝は書きたいと思いつつ、私の書く予定はほぼ100%外れるので。(前半とオチが合ってない)
選択の問題は再契約と関わるし、そっちに流れるかな。
選択したと思わないと、人生に納得感が出ないのか、何かをする人生に重きをおくのか、内村鑑三が否定する、何かになる人生には重みがないのか。