聖闘士星矢 「LEGEND of SANCTUARY」ネタバレ含む感想  やっぱり十二宮編を一本の映画でやるのは難しかったのかな  

感想から述べてしまうと、冒頭の空を駆けるアイオロスとそれを追うシュラ・サガの空中戦は精緻な3DCGと相俟って迫力があったし、アイオリアが射手座の黄金聖衣を取り戻しに星矢達と一戦交えた際の「超スローモーションで吹っ飛ばされる星矢達に一瞥もくれずに悠然とアテナに近づく」シーンなどは黄金聖闘士の強さと光速の動きをわかりやすく現していて巧い表現方法だなと思った。CGで描きこまれた聖衣も重量感と存在感を感じさせる仕上がりだし、佐々木彩夏氏演じる城戸沙織も流石に本職の声優に比べれば若干の力量不足は否めないものの、本作の沙織は原作よりも自身がアテナである自覚に乏しく「財閥の高飛車なお嬢様」よりも「年齢相応の女子高生」として描かれている。佐々木氏の起用は本作の沙織のイメージに近いという意味では成功していると思う。



ただ、それを差し引いても不満な点はある。





・白羊宮(アリエスのムウ)
原作では星矢達の聖衣を修復し、黄金聖闘士の強大さと小宇宙の重要性、そしてセブンセンシズについての忠告を授ける重要な役割を担っていたのだが、映画版ではその辺りが大分端折られている。
理知的な雰囲気や紳士然とした振る舞い(と麻呂眉)は原作同様だが、「LEGEND of SANCTUARY」では眼鏡をかけての登場。原作やTVアニメ版よりも男前度が増しているように思われる。
有無を言わさず攻撃を仕掛けた星矢に、原作ではハーデス編で初披露するクリスタルウォールを二度繰り出して軽くあしらう。

金牛宮(タウラスのアルデバラン
黄金聖闘士随一の巨躯や無骨な性格は原作と同じだが、初登場シーンが何故か豪勢な食事中。そして鼻には何故か鼻輪。・・・・すごく格好悪いです。
映画版には魔鈴さんは出ないのでアルデバランも居合いを用いない。グレートホーンを凌いで角を折り、アルデバランに実力を認めさせる流れは原作通りなのだが、映画では事前にムウの言葉を受けて星矢達の力を見極めるために戦ったという若干の改変が施されている。ステーキを食べると「草食のくせに」とからかわれて怒り、星矢にオッサン呼ばわりされるとこれまた怒る。
聖衣の角と足の辺りが緑色で汚れているような描写をされているのだけれどもアレは何なのだろうか。錆?


双児宮ジェミニ
まさかの丸々カット。


巨蟹宮(キャンサーのデスマスク
原作ではデスマスクに殺された人々の怨念が無数の顔となって巨蟹宮全体を覆っており、十二宮の中でも特に陰惨な印象を読者に与えた下りなのだが・・・・・・・。
「LEGEND of SANCTUARY」では死者の顔は赤・青・黄色とカラフルな装いとなり「ワワワーワーワー」と笑顔でコーラスをする。デスマスクも原作とは違って随分と弾けた性格となり、ミュージカルのごとくに歌いながらの長台詞とさらにはアイドルのコンサートもかくやの花火やレーザー光線による派手な演出。何なんだこれは・・・・・。
因みに双児宮がカットされたので映画版では紫龍と氷河がデスマスクと対峙する流れになる。

さて、そのデスマスクだが「LEGEND of SANCTUARY」ではヒゲを生やし、腋毛も生やし、背中に「蟹」の刺青を入れた容姿をしていて小汚い。多分映画版の黄金聖闘士の中で一番小汚い。
積尸気冥界波で紫龍を冥界へ送り、聖衣に見放されるのも原作同様だが、原作では「うびゃあ!?」と上半身のみが裸になるのに対して映画版では黒ビキニパンツ一丁の姿となる。誰が喜ぶそんなもん。

その後デスマスクがアテナを侮辱した事により紫龍の逆鱗に触れるわけだけれども、原作では子供も含めた多くの罪なき命を奪い、紫龍の無事を祈る春麗を滝壺に落とす非道ぶりがあったからこそ聖衣に見放され、読者も紫龍の怒りに共感出来たのだけれども、映画版の使者の顔は楽しそうにコーラスをするし春麗も出てこない。ただアテナを「法螺吹き娘」と侮辱しただけ。それで怒りを露にする紫龍にはどうにも感情移入が出来ないし流れ的にも不自然な感は否めなかった。


獅子宮(レオのアイオリア
魔鈴さんが出ないのにシャイナさんだけが映画に出てくる筈もなく、当然弟子のカシオスも「LEGEND of SANCTUARY」には登場しない。
だからというわけではないのだろうが、映画版のアイオリアは幻朧魔皇拳ではなく教皇の黒くて邪悪な小宇宙に洗脳されてしまう。
顎鬚を蓄え、唇にピアスをするという今風のワイルドさを有した風貌となっている。因みに兄貴のアイオロスも顎鬚アリ。
原作と異なり、映画版では星矢と瞬がアイオリアと対峙する。
ライトニングプラズマは個人的には一番原作に近い描写をされているように思う。なかなかに格好いい。


処女宮(バルゴのシャカ)
原作では「最も神に近い男」と評されるだけあって黄金聖闘士の中でも最強クラスの実力を有し、星矢達の危機に颯爽と現れた一輝兄さんと死闘を繰り広げるのだが・・・・・「LEGEND of SANCTUARY」では獅子宮まで出向いて教皇に洗脳されたアイオリアを正気に戻し、ミロやシュラに真実を伝えて教皇こそが本当の敵であることを伝える。アイオリアの攻撃を受け止めたシーンは千日戦争を彷彿とさせるが、シャカのバトルらしいバトルシーンはこれくらいしかない。性格も原作の尊大さや傲慢さは微塵もなく、ポジション的にもムウと被ってしまったせいか原作に比べると大分存在感が薄まってしまった。


天秤宮(ライブラ)
まさかの丸々カットその2。
原作ではカミュのフリージングコフィンで氷漬けにされた氷河を紫龍が天秤座の剣で救い出すのだが、映画版では双児宮の下りがカットされているのでアナザーディメンションの代わりに積尸気冥界波で吹っ飛ばされた氷河をカミュ宝瓶宮まで引き寄せ、そのまま師弟対決に至る流れとなる。


・天蠍宮(スコーピオンのミロ)
映画版で最も大胆なアレンジを施された黄金聖闘士はこのミロだろう。何せ性別が女性になっている。しかも氷河ではなく星矢と戦っている。
天蠍宮を通り抜けようとする星矢と瞬をスカーレットニードルで人馬宮まで吹っ飛ばし(スカーレットニードルってそういう技だったっけ・・・?)磨羯宮から人馬宮に赴いたシュラと二人で青銅聖闘士と戦う。
ところで作中でのミロさんはモロに顔を他者に明かしているのですが、女性の聖闘士は素顔を見られたらその相手を殺すか愛するかをしなければならなかった筈では・・・?
本作の蠍座のマスクについている尻尾のアレは原作よりも短くて太くて格好悪い。というか黄金聖衣のはずなのに変に茶色っぽい。

・磨羯宮(カプリコーンのシュラ)
冒頭でアテナを抱えながら逃げるアイオロスをサガと共に追跡し、エクスカリバーで彼をヒマラヤ山中に墜落させる。人馬宮では瞬を圧倒し、援軍に現れた一輝兄さんをも蹴散らす。
終盤ではサガが作動させた巨大な石像に他の黄金聖闘士と果敢に立ち向かい、特大サイズのエクスカリバーで石像を真っ二つにする活躍を見せる。ラスボス補正の掛かったサガを除けば、映画版ではこのシュラが黄金聖闘士の中では一番強いかもしれない。それだけに紫龍との名勝負が丸ごとなかった事にされてしまっているのは残念でしかたがない。


宝瓶宮アクエリアスカミュ
左肩にショルダーキャノン宜しく水瓶が装備された聖衣となっている。でも作中ではそれが有効に活用された形跡は無い。勿論オーロラエクスキューションもこんなところから発射されたりはしない。

原作では十二宮編のベストバウトに挙げる人も少なくないカミュ対氷河の師弟対決。 「LEGEND of SANCTUARY」の宝瓶宮は海底神殿を思わせるような神秘的な雰囲気を漂わせ、戦いが進むにつれて周囲が凍結してゆく。ラストは勿論オーロラエクスキューション対決だが、氷河が師カミュに感謝をしたり一片の雪が星矢達の元に舞落ちるシーンは省略。映画版の師弟対決は随分と味気ないものとなってしまった。それでも戦闘シーンそのものを省略された魚座の人に比べればまだ優遇をされている。

双魚宮(ピスケスのアフロディーテ
まさかの丸々カットその3。
映画版のアフロディーテは特に悪人というわけでもなく、教皇に青銅聖闘士の接近を報告し、併せてアテナの無事を確保する主旨の意見をする黄金聖闘士としてはきわめて真っ当な役回りなのだが教皇=サガのアナザーディメンションを喰らって即死。ハーデス編では相方を務める蟹ですら 「LEGEND of ANCTUARY」ではそれなりに活躍をしているというのに。
本作のアナザーディメンションは相手を異次元の彼方に飛ばす技ではなく、上方高く吹っ飛ばして同時に即死級のダメージを与える技に変更をされた。
登場即アナザーディメンション→降り頻る真っ赤な薔薇の花弁に埋もれながら死亡の流れはもはやギャグだ。いったい魚が何をした。


教皇の間(ジェミニのサガ)
他の黄金聖闘士とは一線を画した桁外れの実力を誇る「LEGEND of SANCTUARY」のラスボス。左半分が黄金、右半分が漆黒に彩られたジェミニの黄金聖衣は特異な存在感を発する。いかにも善・悪が一人の人間の中に両存していますよと言わんばかりの聖衣にも関わらず、本作のサガは二重人格者でもなんでもなく、単に「清らかな心を持つ人格者」と「高いプライドを併せ持つ上昇志向の強い」両極端な人物として描かれている。尤も、本作では時間の都合上「清らかな心を持つ人格者」の部分は殆ど描写がなく(精々最期にアテナに謝罪するときくらいか)原作ほど悲劇的な人物という印象は受けない。
原作のサガは善と悪の心を併せ持つ二重人格の持ち主だったからこそ、星矢の眼前で善から悪へ転ずる「怖さ」が際立っていたし、善人に戻ったときの悔恨や懊悩に一層の説得力を有していた。善と悪の狭間で苦しみ続けた悲劇性は十二宮編の締めくくりに相応しいエピソードだと思うのだが、映画版では単にアイオロスに嫉妬しただけの「強いけれども小物」みたいなキャラに成り下がってしまった。

「神に最も近い男」のシャカですら騙された二重人格が無い代わりに、本作では偽のアテナが「何の説明も無く」登場して「何の説明もなく」いつの間にか消えてしまっている。状況からしてサガがどうにかして作り出した存在なのだろうけれども、薄々それに気がついていたと思しきムウやシャカはまだしも、間近で偽者を目の当たりにしながら気がつかなかった他の黄金聖闘士たちの目は節穴かいな。まあ、彼らも本物のアテナの小宇宙をその目で確かめてその事に気がつくのだけれども。



評価できる点もあるけれども、やはり93分という限られた上映時間(しかもムウ〜サガまでは50分少々の駆け足)で原作の十二宮編を追うのは相当な無理があったようだ。主人公である星矢に活躍の場面が偏重するのは仕方が無いにしても、紫龍・シュラ戦や氷河・ミロ戦は時間の都合でカット。もっと悲惨なのが一輝兄さんと瞬で、シャカ戦の名勝負はカットされているので一輝兄さんの活躍らしい活躍といえば矢座のトレミーを鳳翼天翔で灰にしたことくらい。シュラに苦戦する瞬に「弟でなければ殺している」となんでその場面でその台詞やねん!ほかに原作再現するところはないんかい!と突っ込まざるを得ない台詞チョイスで助っ人に現れたはいいものの、僅かにシュラをてこずらせる程度でいいところ無く完敗。兄さんですらこの扱いなので弟の方はジェミニ戦・アフロディーテ戦がカットされているので青銅五人組の中では最も見せ場の無い気の毒な役回り。原作では本気を出しただけでアフロディーテを圧倒する小宇宙の持ち主だったのに・・・。
残念ながら原作に思い入れがある人にとっては満足のいく出来映えとは言いがたい。前・後の二部上映にでもして聖闘士一人ひとりの描写をもっと掘り下げてくれれば評価はだいぶ違ってくると思うのだけれども。

あと、ラストで沙織さんの誕生日を星矢達四人が祝うシーンで幕が降りるのだけれどもあれはなんだったんだ?中の人関係の何か?