僕の手と羊男とのまじわり

僕は器用ではない、性格のことではなく身体的に指先使いのこと、宅急便の送り状を見た人は知っているだろう、こいつは字がへただと。悪筆というより、ただ小学校できちんと字をかかなかったな、というまずさだ。
それでもパンを捏ねていて、なんと人の手はよくできているものだと自分の手を感心する。

つまむ、つかむ、にぎる、おす、ひく、こする、の基本動作で粉と水が捏ね合わさる。 指、手のひらから生地温度が伝わってくる、捏ね上げ24℃がパンにはいいな。水分チェックもしてくれる、すこし固いな、もう少し水を入れるか、手のくぼみは器にもなる。 水と小麦粉のタンパクが結合するとガムのようなグルテンができる、このグルテンがパンのふくらみの骨格だ、だからよく捏ねる、どこまで捏ねる? 手で分かる、これで充分だって。

長野県の上田の山で羊男に会ったことがある。20頭ほどの羊と大きなテントで暮らしていたが、もうすぐ北欧に移動するとかで連れていけない羊たちをさばいて食べたり毛皮にしたりするので、忙しそうだった。その彼は羊にあげる草はすべて鎌を使って刈り取っている、というはなしをした。そのほうが地面に近くいい草とよくない草をよく見分けれるからと、”自分の手ほうが機械を使うより情報量が多いよ”と羊男には似合わない云い様をした。

そんなはなしをしながら羊肉の餃子をごちそうになったのは、もう5年ほども前か。パンを捏ねているとそんなことを思い出す。