今さらながら、アニメ『けいおん!』の感想。その2

今さらながら、アニメ『けいおん!』の感想。その1
 アニメ『けいおん!』の感想と、ちょっとした分析を。『けいおん!』は個人的に今年もっともはまった作品でした。客観的に言ってもも、今年最も成功したアニメの一つでしょう。
ここでは、原作との大きな2つの違いに着目して、けいおんの特徴を整理してみようと思う。
今日はその2つ目。
=以下、『けいおん!』と、少し『涼宮ハルヒの憂鬱』のネタばれあり=
(2)原作よりも、演奏がうまい
けいおん!』は、アニメとして成功したが、それ以上に音楽として成功をおさめた。オリコン・チャートなどで数々、記録を打ち立てた。
 しかし、主人公たち、桜高校軽音部(放課後ティータイム)は、あまりに演奏がうますぎる。高校生のバンドという設定から現実離れしてるし、そもそも原作ではもっと演奏は下手だった(ように描かれている)。原作を完全に追っているわけではないので今後どうなるかはわからないが、2年になっても唯はコードをぜんぜん覚えてないし、二年目の学園祭も失敗が多々あった。そんな『けいおん!』の音楽から、いろいろ書いてみよう。
 検証1…「ある程度うまくないと、視聴者が見づらい」。これは当たり前ですね。その1で『けいおん!』はリアル指向なとこもあるけど、うまくはずしてるとこもあるみたいなことを書いたけど、こんなところでリアルを追求されても視聴者は困るというのは事実。高校生の作品(作中作)で思い出すのは、同じ制作会社のアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の(第一期の放映順第1話)「朝比奈みくるの冒険」の作中映画だけど、あれもある意味で視聴者を困らせた(原作既読者、全話見てから見返した人はニヤニヤしたでしょうが)。あれだって、普通の高校生が普通の力で作ったものではなかった。要は、ある程度はうまくないと見栄えがしないということですね。
 検証2…音楽は成長物語の裏返し。その1で、アニメは日常系の雰囲気をもちつつも、「廃部寸前から出発した軽音楽部が文化祭で成功を収めるまでに成長する」という物語、と「何をしたらいいかわからなかった主人公・平沢唯が軽音楽に出会い成長する」という物語を、構造としてとりいえれたと書いた。そう考えるならば、演奏がうまくなるのは、成長の証として、必要なことだったし、物語を成り立たせるためには必然だった。
 検証3…実はこのアニメはメタフィクションである。前二つの自然な発想から、急にメタフィクション好きの妄想に話題は変わるわけだが。見立てはこうである。アニメ『けいおん!』は、高校卒業後に成功を収めた、軽音部メンバー(放課後ティータイム)が自身の高校時代を、自伝的に振り返ったドラマ(アニメ)である。それが自伝的ドラマとして作られたからこそ(そして視聴者にとっては『けいおん!』は作中作になる)、そこには物語があるし、演奏もうまくなければならない。演奏がうまいということとリアリズムの両立のためにこねくり回した屁理屈に近いんだけど、アニメEDの「Don't say lazy」の音楽とアニメーションを見ながらそんな想像をした。なんとなく、あの曲の絵は少し年上に見えるかなと思ったので。
 検証4…音楽を魅せることを重視していた。妄想的な閑話休題から、まっとうなな話へ。製作陣は、魅力的なアニメ作品を作るだけでなく、魅力的な音楽と演奏シーンを作ることにも意欲的だったようだ。音楽と演奏がうまくある必要の直接的な要因は検証2で述べたことによるとは思うが、商業的な要因もあっただろう。キャラクターソングなどの関連CDは収益上重要だし、『けいおん!』に関しては大成功を収めた。補足的な要因として、『涼宮ハルヒの憂鬱』の「ライブアライブ」できっちり演奏シーンを描写したように、この制作会社自体に演奏シーンへのこだわりと意欲があったのかもしれない。

・主から従へ?
 理由の検証はこれくらいにして、『けいおん!』の楽曲それ自体の影響について、すこし感想を書く。特に、アニメ本体と楽曲の関連について。
 『けいおん!』関連曲は、アルバム『放課後ティータイム』がオリコン週間1位をとるなど、楽曲単体としても大きな人気を得た。これだけ、作品全体の広がりの中で音楽の存在感が大きくなってくると、「アニメ=主、音楽=従(派生)」という図式の逆転が起きているのかもしれない。「音楽=主、アニメ=従」へ。
 主と従の反転は3パターン考えられるが、「音楽は知ってるけど、アニメは知らない」というパターンはあんまりないだろう。まだまだ、アニメの音楽と「一般」の音楽の間には、少なからず壁があるようだし。
 2つめとして、「音楽を最初に知って、そこからアニメを見はじめた」というパターン。3つめは、「音楽もアニメも知ってるけど、音楽の方によく触れる」あるいは「音楽の方が好き」という場合。要は、両方知っているけど、音楽からより意味を受け取る傾向があるということか。
 まずアニメ本編にはまって、次に音楽をきいて、今は音楽を聴いてるという人は結構いそうだ。私もそんな感じで、アニメ本編を見た時間より『けいおん!』関連曲を聴いてる時間の方が長いような気もするし、これを書ているときも、「CagayakeGirs!」をかけてたりする。
 こういう場合、音楽を聴いていると自然とそこからアニメ本編が思い出されると思うけど、「音楽→アニメ本編」と参照するとき、その1で書いたアニメ全体の成長物語という薄い物語は都合がいいのかもしれない。
 音楽(特に「ふあふあ時間(タイム)」とか)が本編では物語の中に埋め込まれるているので、音楽を聴くときには物語との結びつきを通じて多くの意味(アニメ本編の断片)を読みこむことができるのである。そういう意味の読み込みやすさは、ハルヒの「God knows...」や『らき☆すた』の「もってけ!セーラーふく」と比べて、顕著に表れている気がする。

 無駄に長くなったので、余談的な感想を改めて書くかもしれない。