いまさら

まぁ、山本弘ですらああだったりするわけだから、いまさら理系性善説に立つ気もないし、私自身くだらなくていい加減な人間なのは知っているわけで、言ったところで愚痴以外の何でもないわけだが、そろそろ飽きてきたので自分のサイトで愚痴って終わりにしよう(←ってなんだそりゃ)

化学の式が物理学の式と違って見えても何も不思議に思わなかったり、物理や数学の教科書に誤植があっても普段は軽く文句を言って素通りするのに、対象が経済学だというだけでここまで違う見方をするということは、単なる偏見かイデオロギーにすぎないわけだ(いや、もちろん数学だろうが物理学だろうが小説だろうが、あらゆる誤植は決して許さんという人がいるなら、それは謝る。おそらく、世のほとんどの本は読めないだろうが)。

とはいえ、一応理論武装してみるか。

誤植ではなく正しい場合
そもそも議論の余地なし。経済学の教科書を丹念に追えば、理屈が通ることは明白なのだから、文句があったとしてもそれはイデオロギー以上のものではない。もちろん、私を攻めるのはO.K. 平に謝る。
著者が根本的に勘違いしていた場合
著者の能力に問題がある……が、税率と税額を根本的に誤解してましたなんて常識的にありえるか? たとえこの場合でも経済学全般を批判するのは筋違いである(なぜなら因果関係がないから)
単なる誤植の場合
議論の余地なし。長期間放置プレイが問題だという見解もあるが、誤植を訂正できない学術的以外の理由はいくらでも思いつくので、経済学全般だけでなく著者に文句を言うのも筋違いの可能性すらある。

……などと書いてみて気付くのだが、こんなんで経済学をけなす理由にどうやったらなるんだ。たしかにカラスの死体が見当たらないのは反物質の衝突が原因で、UFOが存在し、相対性理論が間違ってるのであれば、経済学が貶されるのも致し方ないことかもしれないが。

だったら、最初から理屈なんてどうでもいいから、「経済学は嫌いです」とひとこと言えばいいのだと思う。少なくとも日本では思想・信条は自由なんだし、基本的にはそれで一向に構わないと思う。私もトマトが嫌いだが、それを誰かに強制される言われはない。

ともかく、人の振り見て我が振りなおせということで、自戒することにしませう……、とかいいながら、今回もカーネギー様の教えに背いてしまいました。かよわい子羊をお許し給え(w