地球温暖化懐疑論批判を読む

http://www.ir3s.u-tokyo.ac.jp/pages/236/all.pdf

地球温暖化問題は、複雑な問題であり実証結果を見なければ判断が付かないので、非常にありがたい文献である。これを読む限り武田他の論拠に対しきちんと反論がされており、地球温暖化問題が存在するのであろうという認識ができる。

しかし、Lomborgのコペンハーゲン・コンセンサスに対する反論はいただけないだけでなく、Lomborgの主張をきちんと理解できてないように思われる。

「貧困問題か気候変動か」というような問題設定は、言い換えれば「人間にとって水と食べ物はどちらが大事か」という無意味な問いに似ているように思われる。言うまでもなく、多くの食べ物は水分を含んでおり、答えは「両方とも非常に大事」でしかありえない。そして、実際に私たちがとる行動は、やはり(自分たちの遊興費などを切りつめるなどして)なんとか両方のためにお金を用意するというものだと思う。

この大馬鹿野郎!

「ものだと思う」、ってそりゃお前さんの個人的感想でしょうが。資源は有限であり、水と食べ物どちらかを選択しなきゃならん状況ならどちらかしか選べない。たとえ厳密な費用便益計算が困難だとしても、有限な資源を割り当てなければならない状況が現実として存在することには変わりない。100年後の地球を救うためにお金を費やすのと、目の前の失業者にお金を渡すのとどちらが重要なんでしょうか。これは、まさに今、民主党政権に問われている課題だと思いますが、その回答が上記の通りだとして、あなたは納得するのでしょうか。

コペンハーゲン・コンセンサスを批判するのであれば、地球温暖化問題によるベネフィットがその他の問題にお金を費やすベネフィットよりも大きいことをデータとして示す必要がある。例えば、「副次的ベネフィットを生み出す相関関係に関する知識が乏しい、あるいは意識的に無視している」って、その副次的なベネフィットを得るために一体どれくらい温暖化問題に費用がかかるんですか? とか。貧困地域にエネルギー施設作るだけで貧困が緩和されるんなら、そんな簡単な話はない(イースタリーの本を読めば、冗談にしか聞こえなくなるし、同項後半でもまさにそのことが取り上げられている)。

ロンボルクの本には、(このPDFでの次の項でやや触れられているが)温暖化によって被害を蒙る地域もあるが、寒冷地では温暖化によってむしろ生存者が増える可能性など含め数値を挙げて検討されている。そりゃあ、沖縄で飲んだくれて路上で寝てても死なないかもしれないが、北海道だったら凍死はまぬがれない。たとえ温暖化が事実だとしても、温暖化によってももたらされることはコストだけとは限らない。

もちろん、その内容はきちんと検証されねばならないし、Lomborgの示した証拠が間違っている可能性もあるだろう。

だが、Lomborgのコペンハーゲン・コンセンサスが意味する重要な点は「地球温暖化対策を世界的なプロジェクトとして実施するのであれば、きちんと費用便益分析をして、実施すべきか判断しろ」という点にある。費用便益を考えないということは「これは社の方針であるので必ず成功せねばならない」などという意味不明な理由で実施される採算度外視の駄目プロジェクトと同じだ。世界中に費用捻出をお願いする以上、投資に見合った効果が得られなければ困るのだ。

しょせん科学者は科学の専門家であっても、経済の専門家ではない、ということなのだが……

テレビをつけたら官僚たちの夏を放送していたのだが

通産省の言い分に腹が立って仕方ない。国家と国民のためと称して、実際には国の生産性を落とす政策ばかりが実行される(多くの実証研究が産業政策の有害性を指摘している。例えば、官僚たちの夏での通産官僚の施策が実行されていれば、現在のトヨタは存在はなかった)。

いや、たしかに実施している官僚たち自身は自分の正義を信じているのだろうが、これがことごとく間違っている。たぶん、現在でも多くの政治家や官僚、そして日銀審議委員含め内実はこんな感じなんだろうなぁ。