北オセチア共和国の悲惨な事件

一昨日も書いたように、科学技術の進歩は悪人にも便利である。武器全般についても当てはまる。

おそらく、そう遠くない将来、現在貧困で悩む国々の人々は、先進国相手にテロを行うようになるだろうと思う。情報の流通はコストが安く、しかも容易で、かつ、先進国は「デジタルデバイド解消」のため、途上国へ情報機材の売り込みをしている。途上国の人々にとって、先進国の状況はよくわかるようになってきている。その一方で、移民の規制を行い、先進国へ働きに行くことができないような仕組がある。物品だけ売りつけられて、なおかつ、労働力は安く買われ、その上、自分たちが豊かになる最短の道を閉ざされている。このような状況で、武器も安く手に入るとしたら…。

チェチェン紛争の場合には、ロシアが独立を阻止していることが直接の原因である。チェチェンを含め、旧ソ連領内の国々が独立したがるのは、一つには民族的な理由である。グルジア人はロシア人に軽蔑されていた、という意識が強いらしい。グルジア人で、ソ連の外相だったシュワルナゼ氏は、怒って辞める時の最後の演説では、グルジア訛のロシア語をあえて使ったそうだ。それは、ロシア人に対する皮肉であり、民族としての誇りを示すものであったのだろう。

しかし、もう一つの、やや重複する理由は、経済的な独立をしたいということだ。旧ソ連時代は、ロシア人以外の民族は、ロシアに搾取されていたという意識が強い。ロシアと一緒じゃなければもっとうまくできていた、という意識があるのだろうと思う。近所の国を見て、自分の国が不幸なのは隣りの国のせいだ、と、思いたがるのは、何も旧ソ連諸国だけではない。イラクアラブ首長国連邦を攻め込んだのは、隣りの国が金持ちで、それを許せなかったからだ。世の中に偏在する一般的な考え方だ。

現在のような状況下で、「テロへの戦い」を武力で推し進めれば、やればやるだけ、次第に「貧困や差別を武力で押し黙らせる」戦いになっていく。アメリカがイラクを叩くのも、ロシアがチェチェンを叩くのも、大枠で見ればさして違いは無い。もちろん、テロは正しい手段ではない。テロは悪人の手段である。しかし、その一方で、彼らに自らの命をかけてもやらなければならないと思わせるような状況を作っていることも忘れてはならない。

歴史を見ると、いろいろなことを学ぶことができる。フランスは植民地の開放戦争に武力で応戦した。散々戦った挙げ句、独立を許した。イギリスは植民地(アメリカ以外)を積極的に独立させ、緩やかなつながりだけは残した。ドイツや日本に対する経済的な封鎖は、第二次世界大戦を招いた。チェチェンの場合の解決方法がどういうものであるべきか、また、途上国について、今後どのような態度を示すべきか、歴史から学ぶことは多いはずだ。