王と神が意志をひとつにしたしるしが「漢字」だとすると

ぺんぎん堂の飯島です。意見は、私個人のものです。

夏至 第二十八候『乃東(なつくさ) 枯れる』

 日曜日、「お弁当の日」には、案の定、「シウマイ弁当」とたねやの「本生水羊羹」を買ってきました。

 今日の珈琲は「ブラジル・コロンビアミックス」です。



漢字の「力」を感じる一冊

 見るからに、感じの良い印象の本、というのがあります。縦書きのタイトルが、自然にそうだと思うのですが、やっぱり、ストンと腑に落ちるというか、納得の仕立てです。
 「装丁には正解がある。」とは、装丁家鈴木成一氏の言葉ですが(『装丁を語る。』)、この本からは、つくづくと、「本としてこうなりたい」(前掲書)が実現されていると思いました。
 すがすがしい印象を与える「帯」や「見返し」の緑色が、「感じる漢字」の伝えたいことのまっとうさを遺憾なく伝えているように思えます。山根基世著『感じる漢字』は、感じさせる漢字の「力」について、漢字がその形として定着する背後にある、「人々の生活」という、私たちと密接につながるところをから語りかけてきます。


 確かにそうだろうと思うのです。「ひらがなだけで綴られた文章を朗読したことがあります。これが意外に難しいのですね。一つの文章を理解するのに一瞬、意味を考えなければなりません。漢字混じりの文章ならスラスラ理解できるのに。」という、著者の経歴ならではの文章には、漢字が文字として持つ「力」の本質が語られています。

 本書で取り上げられている漢字、たとえば、「望」という字について、「つま先立って遠くを望み見ることを示し、そこから『のぞむ』『ねがう』という意味になったのです。」という、人が直立する契機になった機微をうかがわせ、「かなえたい、やり遂げたい…、具体的な願いを思い描き、しかとその目でとらえようとする気構えが伝わってくるようです。」とも語ります。


「息」の秘密の力

 私個人としては「息」という文字についてが、ひときわ感じました。
 必要から体重を減らして、おかげで血圧と血糖値の課題は克服しましたが、声が出なくなった、弱くなったと思っていました。著者は、アナウンサーとしての40年余りの経験から声を出すことについて、「肺に吸った空気を吐く「息」で声帯を震動させて声にする。それだけでは人に聞こえる声にはならない。声帯の振動音を覚醒するために、私たちは無意識のうちに、腹腔・胸郭・口腔・鼻腔・頭蓋などを使って共鳴させているのだ。」と語ります。私は、胸まわりの、げっそりと薄くなった筋肉を思い、鍛錬を痛感しました。
 「自らの心、と書いた『息』とは、自分の心の状態をあらわすもの。」ですから、「心が乱れれば、荒くなり、平穏ならば穏やかになります。『息』をするその様子から、人の心もちが見てとれるのです。」と。

 したがって、「何かことを起こすときにはまず、心を整えるために、息を整える。不安や緊張をすべて吐き出して心をゆったり広げれば、必要なものはすべて、すんなりとあなたのなかに入ってきます。」というのです。


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