終わりなき日常を

人間自身―考えることに終わりなく

人間自身―考えることに終わりなく

どんなにいいエッセーを書こうとも
(少年犯罪の凶悪化、変質を理解できないものとした上で)

これも言われているように、やはりゲームのせいなのだろう。
幼い頃から画面ばかりを見つめていれば、内省の回路など消滅する。
自分はこちら側にいて、画面の中の人を一方的に殺し続けていれば、
自分が死ぬということは忘れる。現実の人間を殺せば死ぬ、
その「死ぬ」とはどういうことなのか。考えもせず理解もしなくなるのは当然なのだ。

本質にしか興味がないといいつつこういう文章を書いていると思うとガッカリする
推論に理論を重ねて本質に迫っていると思うことは思考の停滞だと思う


生き方や人生論を語るのが哲学なのではなく、
有り様を論じるのが哲学である
だから、多くの人にはそんなものは必要ないとも言える

アナンダ

オウムからの帰還

オウムからの帰還

アンダーグラウンドの続々編として読んだ
内部にいた人の声としては至って冷静である
恐らく当時から違和感を持って接していたせいだろう
そしてそんな人に行われるマインドコントロールというのが、
所謂カルトの二世信者の受ける「教育」とは別種のものであることがわかる
二世信者と言えるのかわからないが、
麻原の四女の手記がサイゾーに連載されている。
こちらはマインドコントロールというよりも
二世信者的アイデンティティ崩壊である


オウムは世代的なカルトと言われる。
コスモクリーナー=ヤマトである点や終末論を前面に出した教義であることから
そう言われるわけだが確かにそうかなあとも思う。
ああも「物語」がなくても、ずっと僕等若者世代は信じる
エリート故に信じた人たちよりもずっと手軽に「信じる」だろうし
ずっと手軽に離れるだろう。