Overreaction

overreaction:【名】過剰反応.
ああ、まったく何処へ行ってしまったのだろう?
マスタングは途方に暮れて、階段の踊り場に座り込む。
あの小さくて可愛らしい少女は一旦心を決めてしまうと驚くほど頑固で、いっそ憎たらしいほどに言うことを聞いてくれない。
さっきから繰り返される追いかけっこに辟易したマスタングは、大きく溜め息をついて天を仰ぐ。
こういう頑固なところは、やはり父親である師匠譲りなんだろうか。
見た目なんかは全く似ていないのに、やはり親子は親子なのだ。
ぼんやりとそんなことを考えるマスタングは、仕方ないと言った調子で立ち上がった。
座り込んでいても事態は解決しない。
どうしようかと考えながら、マスタングは足早に階段を降りて玄関で立ち止まる。
いい加減錬金術でトラップでも仕掛けて、野ウサギのように捕まえてしまおうか。
否、そんなことをしたら、ますますリザはヘソを曲げてマスタングの言うことなど聞かなくなってしまうに違いない。
それにとりあえずは、どこかに隠れてしまったリザを見つけるのが先だ。
マスタングは頭を抱えながら、とりあえず玄関の扉を開くとホークアイ家の庭に足を向けた。
小さな庭はどうやら彼女の味方であるらしく、小さな少女が隠れることの出来そうな茂みの群や物置や樹のウロがあちこちに点在している。
それを眺めたマスタングは、再び溜め息をついた。
仕方ない、ローラー作戦だ。
彼は手始めに二つある物置の近い方の扉を開け、埃臭い屋根の下に頭を突っ込んだ。
師匠に言いつけられた時は、簡単な仕事だと思ったのに。
マスタングは埃にまみれながら思う。
修行の合間にちょっと出掛ければ、直ぐに済んでしまうような簡単な事。
しかし、マスタングは直ぐにそれが間違いであったことを思い知らされたのだった。
いつもは素直で従順なリザの激しい抵抗によって。
 
「イヤです、絶対に!」
マスタングの用件を聞いたリザは、まるで毛を逆立てた子猫のように、彼の傍から飛びすさった。
「イヤって、リザ。行かなきゃ仕方ないだろう。君のためだ」
「まだ大丈夫です。我慢できます!」
我慢している時点で、もう大丈夫じゃないと思うのだが。
そう思いながらも、リザの機嫌をこれ以上損ねぬように、マスタングは己の口をしっかりと閉じると、なるべく優しい微笑を作ってリザに歩み寄った。
マスタングが近づいた分だけ、リザは後ずさる。
あまりの分かりやすさに思わず口元を綻ばせたマスタングを強い眼差しでキッと睨み付けたリザは、ひどい早口で言い訳のようにまくし立てる。
「痛みだって、まだそれほど酷くないんです。見た目が腫れているので、大げさに見えてしまうだけなんです。それに、折角のマスタングさんのお勉強の時間を割いていただくなんて、申し訳ないですし……」
「酷くなってからでは、遅いと思うんだけどね。リザ?」
そう言って、マスタングは有無を言わさずリザの手を取った。
突然手を握られ驚いたのだろう、見る見るうちに頬を染めたリザはその手から逃れようともがくが、マスタングはしっかりと彼女の小さな手を握りしめた。
「離してください!」
「それは出来ない相談だな」
「いやです! マスタングさん!」
「ほら、おいで」
「嫌です、離して下さい!」
「ダメだ、離さない」
そう返しながらマスタングは、まじまじとリザの顔を見つめた。
近くで見れば見るほど、可哀想なくらいにリザの右の頬は見事にぷっくらと腫れている。
誰が見ても、今すぐ歯医者に行くべきだと口を揃えて言うに違いないほどに。
確かに子供にとって歯医者というものが鬼門であることは、マスタングだって自分の経験からも、痛いほどに分かっているつもりだ。
しかし、このまま放置しておくと、後でどれほど酷い目に遭うかということも彼は身を持って知っていた。
「ほら、リザ。一緒に行ってあげるから」
「いやです。歯医者だけは、いやなんです」
「わがままを言っていないで」
「痛くなったら、ちゃんと行きますから!」
と、腫れた頬を更に膨らませ、必死の抵抗をするリザを見るうち、マスタングは不思議と微笑ましい気持ちになってしまう。
普段は大人びていて、この家の主婦としてしっかりとホークアイ家を切り盛りしている彼女が、こと歯医者の事になるとこれほど子供らしい反応をすることが、マスタングには新鮮であり、また彼女の年相応な一面を垣間見たようで少し嬉しかった。
普段からこの年頃の少女にしては、あまり隙の無さ過ぎるリザを見ていると、そこまで一人で背負い込まなくてもいいのに、と常から思うことが多かった。
こうして、つまらぬ事で駄々をこねるリザの姿は、彼女が普通の少女として彼に心を開いてくれているように思えるからだ。
「リザ」
マスタングは彼女の目の高さに自分の視線をあわせて、彼女の前にしゃがみ込む。
「兎に角、君がなんと言おうと私は君を歯医者に連れていく。師匠の言いつけでもあるんだからね」
「父が?」
「ああ、だから私の修行の邪魔だとか考えなくて良いんだ。それに君は私にとっては年の離れた妹のようなものなんだから、遠慮することもない。だから……」
リザを安心させようとマスタングがそう言った所で、彼女の手から不意に力が抜けた。
師匠の言いつけ、というのが効いたか。
彼がそう思って気を抜いた瞬間、リザはするりと彼の手をすり抜けて駆けだした。
「リザ!?」
「私は子供じゃありません! それに……」
怒った顔で振り向きざまにそう叫ぶように言ったリザは、途中で言いかけた言葉を飲み込んだ。
そしてそのまま踵を返すと、脱兎の如く台所に飛び込んだ。
歯医者に行くのが嫌だったはずなのに、なぜか論点がずれている。
リザが急に怒りだした理由が分からないまま、マスタングは彼女を追って駆けだした。
しかし、台所に駆け込んだはずの彼女の姿は何処にも見あたらず、彼は途方に暮れる羽目になったのだった。
台所からダイニングへ抜け、勝手口から家を半周したところで、二階の窓から金の髪がのぞいた気がしてマスタングは今度は玄関から家に入った。
そして階段をうろうろし、結局再び庭にでて彼女の姿を探している。
 
何故、リザはあれほど怒ったのだろうか。
庭の片隅の物置で、蜘蛛の巣に引っかかりながらマスタングは考える。
全くもって理解不能だ、これだから女の子は分からない。
ブツブツ文句を言いながら物置を探す内、マスタングはふと暗い中にわずかな光がさしていることに気付く。
よくよく目を凝らせば、壁際に置かれた戸棚の一部ズレている。
彼がそこにそっと手をかけると、ごとりと棚が動いた。
驚くマスタングがそっと明るい光の漏れる棚の向こうをのぞき込めば、そこはなんと台所の片隅のジャガイモ置き場につながっていたのだ。
こんな所に抜け道があるとは、流石にマスタングも気付かなかった。
先刻リザの姿が消えた理由が分かった彼は、ポケットに入れた石灰石で小さな錬成陣を棚の脇に描く。
そして、壁と戸棚を元の位置に戻すと錬成陣を発動させた。
淡いブルーの光が物置に満ち、棚は完全に動かなくなる。
さて、これで二度と同じ手は喰わないぞ。
マスタングは物置を出て、庭の茂みを虱潰しに探していく。
エニシダの影にも、キンモクセイの根元にもリザの姿は見えず、彼は庭の片隅の物置へと歩を進める。
マスタングがガタンと扉を開けて中に踏み込むと、小さな影が反対側から威勢良く飛び出し家に向かって駆けていくのが目の端をかすめる。
ああ、くそ、また後手後手だ。
彼は歯噛みして、リザの後を追う。
 
さっきよりは距離を詰めている分、ストライドの大きいマスタングに有利な状況にリザは必死に走っている。
パタンと玄関の扉を開け家の中に駆け込んだリザは、それでも律儀に師匠の書斎の前は足音を殺す。
習慣とは恐ろしいものだ。
マスタングは自分も足音をたてぬよう書斎の前を駆け抜けながら、少し笑うとリザの足が台所へ向かうように彼女を追いつめる。
これで、彼女があの抜け道をまた使おうとしたなら、しめたものだ。
出口を塞いだ抜け道の前に、リザを誘導できればチェックメイト
やっと自分は師匠の言いつけを果たすことができる。
再び台所に姿を消すリザの後ろ姿にほくそ笑み、マスタングは己の勝ちを確信して扉を開けた。
 
パタン
大きな音を立てて扉を開けば、怯えの色を浮かべた鳶色の瞳が彼を見つめている。
マスタングの予想通り、リザは呆然とジャガイモの大きな袋の前で立ち尽くしていた。
壁と一体化した物置の棚がその後ろにのぞいていて、マスタングは息を切らしながら己の思惑通りに事が運んだ事に満足し、悠然とリザの前へと歩いていく。
「さ、歯医者に行こう、リザ」
完全にリザの逃げ道を塞いだマスタングは、さっさと彼女との距離を詰め、今度こそ彼女に逃げられないようにしっかりとその手を握りしめた。
とてつもなく情けない顔をしているリザに、マスタングは再び彼女と視線を合わせるようにしゃがみ込む。
そして、先程の失敗を繰り返さないように、真面目な顔でリザを説得にかかった。
「あのね、リザ。私も昔、歯医者に行くのがどうしてもイヤでイヤで、虫歯を放っておいた事があるんだ」
有無を言わさず歯医者に連行されるものと思っていたらしいリザは、驚いたように目を見開いた。
リザが自分の話に興味を示した事に内心ホッとしながら、彼は言葉を続ける。
「その結果どうなったと思う?」
「どうなったんですか?」
「もうちょっとで顎の骨が溶ける羽目になるところだった」
「!」
少し大袈裟に脅しにも似た彼の言葉を聞いたリザは、文字通り青ざめた。
実際は、そこまではいかなかったのだが、歯医者にそう脅された事が彼の記憶にあまりに鮮明だったので、マスタングは医者の言葉を利用してリザを説得する。
予想通り、リザはしゅんとしながらマスタングに掴まれた手の力を抜いた。
今度こそ大丈夫だな。
マスタングは漸く気を抜いて、リザを見る。
リザはきまり悪そうに彼を見つめ返し、ポソリと言った。
マスタングさん」
「なんだい?」
「ごめんなさい……行きます、歯医者さん……」
理詰めでちゃんと納得すれば素直に受け入れるのも、師匠とおんなじだ。
マスタングはクスリと笑うと、リザの腫れていない方の頬をぷちんと突いた。
「!」
「行くよ、リザ」
立ち上がってマスタングは歩き出した。
しかし、リザは彼について来ない。
 
「?」
不審に思って振り向いたマスタングに向かって、リザは小さな拳を握りしめて恐ろしいほどに真剣な顔で言った。
マスタングさん」
「どうした? リザ。今更行かないとか……」
「行きます、でも、あの」
「何?」
「あの」
「恐いなら、手を握っててあげようか?」
「ですから!」
もどかしいと言わんばかりにリザは首を横に振り、お陰で歯が痛んだのだろう、眉間に皺を寄せ泣きそうな顔をして意を決したように言った。
「私はっ!」
握った彼女の拳が揺れる。
マスタングさんの妹じゃありません!」
「へ? 当たり前じゃないか」
間抜けな返事を返すマスタングを見て、リザは増々怒ったような泣き出しそうな表情を強くする。
そして、さっき自分が言った事も忘れているマスタングを追い越して、そのままずんずんと歩き出した。
「リザ?」
リザの言葉の意味が分からないまま、マスタングは耳を赤く染めたリザの背を追いかける。
「知りません!」
「リザ、だから何がどうして、そういう発言になるのか……」
「もう! マスタングさんなんか知りません!」
そう言って駆け出したリザを追いかけて、マスタングはまた走り出す。
 
自業自得のマスタングは、溜め息をついて訳の分からぬまま、また少女の背を追いかけて庭へと飛び出した。
歯医者への道程は、どうにもまだまだ遠そうなことは間違いなかった。
 
Fin.
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【後書きのようなもの】
 SSS歯医者ネタが脹らみました。若ロイは、錬金術バカで女心の分からない困ったちゃんだと良いなと思います。(8/24加筆修正)
 
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