到着

 朝焼けの東京を、ラ・フォーレ号が走る。
 結局9時間の走行時間中、筆者は2時間しか眠ることができなかった。おまけに、その2時間の間におかしなポーズで寝ていたらしく、体中が痛い。

 
 6時半の東京駅には空いている店等、当然立ち食い蕎麦くらいしかなくて、あろうことか便所が一斉に清掃中になり、入ることができない。
 ホームレスの頭を踏まないように用心して歩きつつ、筆者は用を足すまでに一手間を要した。

 
 全体で研修を行うのは23日であり、その前後にわれわれ学生達は各人の行きたい場所へ行って、後日発表をする個人研修を行う。
 筆者が個人研修場所に選んだのは、両国にある東京江戸博物館である。
 「毎年定番の場所やね。」*1と教授に軽く皮肉を言われたが、無論そんなことはおかまいなしである。
 アクセスが簡単で、それなりに中身のある場所なら正直どこだっていいのだ。筆者は一応日本史ゼミに所属しているわけだし、東京タワーだのお台場だのに行くよりはためになる。
 
 東京駅で軽く朝飯をとり、7時半。筆者は両国に向かうことにした。
 無論、そんなこっ早い時間から博物館は開いているはずはない。が、東京駅というところはちょっと座るようなベンチが、全く無いのである。
 こんなところを右往左往していても、ラッシュに巻き込まれるだけだし、疲れる。
 と、いうことで筆者は秋葉原で中央線に乗り換え、両国に向かった。
 去年の夏に来ておいたお陰で、切符の買い方も全く手間取らない。出立前はすっかり忘れているかと思っていたが、体は覚えているものだ。

*1:この授業を担当する教授は関西人であり、函館ではこんな方言は使わない。

修学旅行生と一緒はちょっと・・・

garden

誰もが知っているように、両国駅を出ると眼前に嫌でも飛び込んでくる大きな建物は、両国国技館。そして、人々はその横に同じほど大きな建物があるのに気付く。
これが、筆者の旅の目的地である江戸東京博物館である。
 開館まで時間はたっぷりある。筆者はコンビニで27枚撮りのカメラを購入し*1、ぶらぶらと両国駅周辺を徘徊し、旧安田庭園*2に行き着いた。

 筆者は高校時代に生物を習ったこともあったが、残念なことに植物全般に疎いため、様々な種類の木々が、そこでは見ることができたとしか記すことが出来ない。
 池のほとりにあるベンチに座り、何か、先ほど買ったばかりのカメラの試し撮りにうってつけの被写体は無いかと探していたら、何故か筆者の背後に、見事なフェニックスが「さぁ、俺を撮れ!」と言わんばかりに存在感を醸し出していたため、早速パチりと一枚撮ってみた

見たところ他に熱帯の植物は無く、純日本調な木々が周りには茂っている。
 趣のある広葉樹林の中で、中央に凛とした姿で仁王立ちする南洋植物。

それもまた、いとおかし。


一時退散

 朝の散歩に来たと思われるご老人が増えてきたので、悪を退治した木枯らし紋次郎の如く、筆者は静かに安田庭園から退散することにした。
 折りしも、丁度開館の時刻である。満を持して、筆者は博物館に向かった。
 すると、どうだろう。眼前に広がる階段には、セーラー服を着た女子高生が所狭しと博物館に大挙している。

 そう、10月の中旬から下旬にかけてのこの季節は、修学旅行シーズン。
東京近郷で修学旅行の全体研修のコースの初っ端にこの博物館が選ばれるのは、何の不思議も無い。
 丁度今日という日のこの時間。ご親切にも何処かの女子高が筆者の予定とダブルブッキングである。

 今、可憐な女子校生の頭を肘で小突きながら博物館に入り、また女子校生を押しのけながら写真を撮影することも、まぁ出来ない話ではない。
 だが、女子校生という奴は、セミと同じで口をつぐむことも、ましてや声のボリュームを落とすことなど到底出来やしない。
それに、時間はいくらでもある。別の時間に行けば人の入りも違うだろうと見切りをつけて、筆者は博物館に背を向けて、駅へと歩き出した。

*1:迷惑にも、研修の発表には写真を用いらねばならない。

*2:江戸時代から存在する、名庭園。門はあるが、ほぼ1日中開けられているので、何時に行ってもまず入れる。

愛すべき街

ハトマメ

 とりあえず、修学旅行生が博物館に来るのは午前中か昼過ぎのはず。夕方まで、筆者は気ままに東京見物を洒落込むことにした。
 両国から近くて、観光に適した場所ということで、筆者は浅草に向かうことにした。

 浅草寺は、ファニエスト外語学院が歌うように、色んな国から来た人でいつも賑やかな場所である。鳩バスが雷門の前を横切るのを見ると、やはり東京で観光したい場所と言ったらここなんだなぁと再認識させられる。

 仲見世通りは修学旅行生と外国人が沢山歩いていたが、不思議なことに此処はいつも込んではいるが、ごった返すようなことは無い。
 どの店でも同じような人形焼と煎餅を焼き、何処も同じような値段で、何処も同じようなおばちゃんが好奇心の塊と化した田舎の修学旅行生を呼び止めている。偉大なるマンネリというか、如何にも観光地という体である。

 浅草寺まで行くつもりも別段無かったが、人形焼を歩きながら頬張っているうちに人形焼が喉に詰まってしまった筆者は、仕方なく井戸水で潤すために寺へやってきた
 日本人ばかりでなく、海外から来た人達も煙を頭に吹きかけているが、そういう情報はやはり、観光雑誌にでも載って、世界中に知れ渡っているのだろうか。筆者も足りない頭を少しでも補いたく、頭に吹きかけてみる。
 財布に残った小銭から賽銭を投げ込み、就職と可愛い彼女と世界平和と旅の安全と家族の健康を祈りつつ、筆者は寺の横から伝宝院通りから浅草演芸場の辺りをぼんやり歩いてみた。
 

台無し

 季節は10月も末。
 冬物を並べた小さな店が脇に並ぶが、東京の暑さに、筆者は上着を放り出してTシャツで歩きたいくらいだった。
 
 柳小路からまた仲見世通りに戻る途中、有名な天ぷら屋の前を通りかかった。
 確か、去年は値段を渋って向かいのもんじゃ焼き屋に入ったっけ。一人でもんじゃも寂しいので、筆者は昼飯を奮発することにした。
 開店したばかりというのに、既にテーブルが3分の2以上埋まっている。
 出された天丼は*1、丼から溢れ出さんばかりの、正に「るるぶ」の写真で見たそれである。
 
 筆者は小躍りしたい衝動をこらえつつ、天丼に食らいついたが、悲劇が発生した。
 睡眠不足と疲労の為に、胃袋が油ものを拒もうとするのである。
 目の前に広がるご馳走を拒否するとは、何てお前は馬鹿なんだと胃袋を叱責してやりたい気持ちで一杯だったが、悲しいかな、こと食事に関しては、胃袋が音を上げてしまったら、いくら脳や手足が奮い立たせようとしても無駄である。
 だが、残すのはいくら何でも悲しすぎる。旅の後悔になるどころか、トラウマになりかねない。
 
 そこで筆者は牛歩戦術を取ることにした。
 他の客が一人、また一人と店を退出していく中、「本当に旅を満喫するなら、飯はのんびり食うべきさ」とでも言わんばかりに筆者はのろのろと飯をつまみ、天ぷらの端をちょっと齧る。
 
 かくして、無事完食を遂げた筆者は、また仲見世通りに向けて歩き出した。
 浅草へ来た本当の目的は、この旅の資金を捻出してくれたスポンサー達、まぁいわゆる筆者の親族であるが、多大なる恩威を受けた彼等に、土産を買うためである。
 地方発送を受け付ける店で一通り土産を揃え、実家へ送りつけた。手渡しするのが真心の現れかもしれないが、抱えて歩くのは邪魔くさいし、筆者の旅程ではとても食品なぞ運べない。
 
 手ぶらではあるが、十分な収穫を得て、筆者は浅草を後にした。

*1:最も安い値段のものだが、1400円もするのだ。

何をしに来たんですか?

うまくいかない日

 東京へ到着してからというもの、汗をかいて仕様が無い。
十月下旬とあって、最早ほとんど半袖の人は東京にはいないという情報を得ていたため、長袖を着てきたのはいいが、ポカポカといい天気で、浅草を出るころには、筆者はすっかり汗だくになってしまっていた。
 このままじゃ気持ち悪いし、風邪でも引いたら一大事だ。筆者は次の目的地を上野にすることにした。

 ここなら銭湯もあるし、着替えになりそうなものも安価で手に入る。アメ横で着替えを揃え、筆者は上野公園沿いにあるという銭湯に向かった。

 考えてみれば、東京観光に来て上野の銭湯に入るなんて、ちょっと粋だ。
恐らく、今頃羽田に到着しているであろう同じ学部の朋友たちは、ホテルのシャワーでも浴びて終わりだろう。
こっちは移動にかなりの体力を消耗したが、青森で晩酌して、浅草で天丼を食って、上野で一風呂浴びた帰りに研修でもしようかってところだ。何と旅慣れた粋人なのだろう、自分という男は。
 そんなことを考え、一人ほくそ笑みながら歩いていると、銭湯を見つけた。だが、扉が閉まっている。怪訝に思って近寄ると、「開店は15時半から」とある。
 現在、13時半。一風呂浴びていては博物館を見る暇が無い。

 これ以上ないほどに肩を落として、筆者は元来た道をまた戻る。
汗だくになって、着替えまで用意して歩いてみたら2時間待ち。最早、筆者は函館に帰りたくて仕方なかった。

 と、そこで筆者の目に留まったのは、動物園の入り口。
そう、上野動物園のすぐ側の道を筆者は歩いていた。ふと、頭上を見上げると名物のモノレールが走っている。
 ふらふらと、筆者は動物達の待つ魅惑の園に誘い込まれていった。

Grown-up kid

 去年訪れた時は、土砂降りとあって貸しきり状態だったが、今回はまた、折悪しくも幼稚園の遠足と重なってしまったようだ。だが、この人込みの無い街に静けさを求めても仕方がない。
 丁度カメラも持っていることだし、筆者は去年見なかった動物たちをのんびり見て歩くことにした。

懐かしの東園

ジャイアントパンダ

パンダという奴は、体調が悪いのか気分が乗らないのか知らぬが、さっぱり動こうとしない。
 無論、ぴくりとも動こうとしない動物は沢山いるが、ジャイアントパンダは性質が悪い。
 仰向けに寝転がり、首をだらりとさせてじっとしているのである。
その様は、赤ん坊が眠っているというより、肥えた中年親父が日曜の昼間からゴロゴロしているような感じである。
やはり、ジャイアントパンダというのは竹林の中にいるか、やや様になるポーズを取らせて、剥製にでもして飾っておくのがいいのではないだろうか。

 隣の檻にはレッサーパンダもいたが、うっかり見るのを忘れてしまった。
 

アジアゾウ

 ゾウという動物は、大きな体の割によく動くだけでなく、サイやカバと違って人懐っこい。
生息地は「インド、ミャンマー、タイ、中国南部、マレー半島スリランカなど」と書かれているが、中国にまでいたとは、驚きである。

 もし数が多ければ、きっと中華料理の一つに加えられていたことだろう。

タンチョウ

 水鳥の区域には、これといった仕切りも柵も無く、その気になればタッチすることができそうな距離で見ることができる。
 この鳥のように配色がわかりやすい鳥もそういないのではないか。
遠目にもすぐにタンチョウだとわかる。近くに人が来ても全く気にも留めない。獣も人も容易にこの鳥を捕まえられそうだ。

 絶滅危惧種というのは総じて、見た目が美しくて暢気なのだろうかと思った。

南洋の猿色々

 アビシニアコロブスは旭山動物園でも見た。思えば、休みになるたびに筆者は動物園だの水族館だのに行っている。いつかTOFに動物図鑑でも作ろうかな。
 
 ブラッザグエノンという猿は、白い髭を生やした酷く老け顔をしている。だが、動きは機敏で、どす黒い顔のアビシニアコロブスにも負けない強面で愛嬌を振りまく。
 エリマキキツネザルは、ふさふさの毛皮さることながら、その生命感を感じられない眼差しに目がいく。
インコやオウムの目を少し大きくした感じ と言えば伝わるだろうか。
 こうしてみると、ジャングルに住む猿は皆、凄まじい顔をしている。
 現地の人々は夜中にこういう猿達に夜中に出くわして、妖怪や悪魔の存在を想像したのではないだろうか。

 

アメリカバイソン

 さほど動物園では珍しい動物では無いが、こうしてまじまじと見てみると大きな動物である。
 肩が盛り上がり、頭が牛よりもずっと大きくて、如何にも喧嘩が強そうだ。でも、よくよく見るとこの動物、骨に角に毛皮に肉と捨て所が無い。
 他の草食動物と違い、ちょこんと柵の中央に佇み、遠くを見つめるその姿は、何故か縁側に佇む老人の姿を彷彿とさせた。

アメリカバク

 色々な動物に似ているが、どれともちょっと違う。こちらは、アメリカバイソンと違って思ったほど大きくなく、体の割に細い足でチョコチョコと歩いていた。
 泳いでいるところを見てみたい。

 
 これで、去年と併せて東園は大体目ぼしいものは見尽くした。
 西園も見てみたいが、行き方がわからない。止む無く筆者は、園児に混じってモノレールに乗ることにした。子連れの大人と幼稚園児達に囲まれるのは甚だ居心地が悪いものだが、話しかけられでもしたら、動物好きのカメラ愛好家の好青年でも装っておけばいい。
 それなら適当に納得もされるだろうし、それほど嘘でもない。
 陳腐なアナウンスと、動物園に来た興奮でサル山状態の幼稚園児のテンションで、降りる頃にはすっかり気圧されていた筆者だが、今更泣き言は言うまい。
 せっかく来たからには、動物園を引き続き満喫しよう。

魅惑の西園

 
 しかし、この園はシャイな動物がやたら多い。ビーバーもタテガミオオカミもアイアイもオオカンガルーも檻の奥に引っ込んで、うんと近づかなければ見ることが出来ない。
 筆者は寛大な人間なので、姿を見せたがらない動物は無理に見ようとしない。
 檻を叩いて動物を呼ぶような子供やおばちゃんも見かけるが、そんなことをして出てくるはずもないし、クールではない。
 そこがまた、標本を見るのとは違う、生き物独自の面白さである。
 そんな動物園道を持つ筆者は、小獣館に入ってみた。
 夜行性動物のために暗くしてある場所なら、さぞかし活発に動くだろう。

ハクビシン

 いわずと知れた、SARSの原因である。
 道民の大好きなある番組で、この動物を豹と見間違えて大騒ぎしたものだが、頭から尻尾まで1メートルほどはあるから、流石に豹には見えないものの、意外と大きいことに驚かされた。
 この動物が荷台にぴょんと乗ってきたら、さぞ大泉さんは悲鳴をあげることだろう。
 

ミーアキャット

 TVで見たときは可愛い動物かと思っていたが、実際見てみると寸胴で濃い顔をしていた。
 何となくアニメっぽい顔をしているだけあって、「ライオン・キング」にも出演している。
 だが、それほど面白い生き物ではない。

 

ウマヅラコウモリ

 蝙蝠も一匹なら可愛いものだが、猫ほどもあるようなのが木にうじゃうじゃいると、流石に怖いものがある。
 逆さにぶら下がったまま横に木を伝うことができるとは、知らなかった。
 やはり、動物というものは実際に見て見なければ知らないことだらけである。

?ネズミ(名称失念)

 頭から巣穴に突っ込み、尻だけ出してじっとしていた。流石にこれは酷い。

クロサソリ

 何故かぽつんと小さな虫かごに。コオロギが一緒に入ってたけど餌だろう。
 この手の虫は正直、いくら見ても動く気配を見せない。

 
 撮影も出来そうにないし、動く気配を見せない動物も多いので小獣館を出ると、驚愕の光景を目の当たりにした。
 カナダヤマアラシの檻があるのだが、何処にもヤマアラシがいない。
 ふと頭上を見上げると、6〜7mはあろうかという柵内の木の上に、ヤマアラシが何匹も丸まって佇んでいるのである。

 そりゃ確かにヤマアラシが木に登ってはいけないということはない。だが、先ほどのコウモリのように鈴なりなりになっている様は、言い知れぬ不安に襲われる。
 もし、うっかり足を踏み外したヤマアラシが落下してきたらいが栗どころの騒ぎではない。ヤマアラシを仕込んだらゲリラ戦法に活用できるのではないだろうか。
 
 そんな下らないことを考えてる間に、4時を回りそうになったので、筆者は適当な場所をぐるりと回って引き上げることにした。

カバ

 カバという動物は、全身を水に浸かっても、目と耳と鼻の穴だけは出して泳ぐことができる。つまり、その気になればいつまでも水に浸かっていることができるのだ。
 きっと、初めて河馬を見た日本人は、この横着な態度に腹を立ててhippopotamusにこの和名をつけたのだろう。

サイ

 サイという動物は非常に少ないので、何処に行っても必ず一頭しかいないそうだ。
 確かにいつもうつむいていて、何処か寂しそうだ。
 体も骨ばっていて、幸薄そうな印象を受ける動物である。
 最も、ただ角が重たいからうつむいているだけかもしれないが・・・。

アミメキリン

 子供の人気者である。優しい顔立ちと穏やかな物腰がそうさせるのであろうか。
 筆者はと言えば、葉を食べるときにペロリと伸ばすあの舌がちょっと苦手であるが・・・

オカピ

 シマウマ模様の背の低いキリンの仲間…という珍獣。確かに珍獣ではあるが、仕草や物腰は別に鹿等と変わらない。
 こちらは希少なためか、他の動物よりも柵内の環境が整っていた。

エミュー

 餌の時間だったらしく、キャベツが1玉丸ごと置かれていたが、3羽が同時に1玉のキャベツをものすごい勢いでついばむ様は、まるで北斗神拳のようだった。

 不忍池のほとりを通り、遠足の園児と入り乱れて動物園を出た筆者は、上野駅から本来の目的地である両国に戻ることにした。
 横断歩道の信号待ちをしていると、募金を集めているおばさんにつかまってしまった。

 
おばちゃん「ちょっといいですか? 今、〜〜では○○人の人がいて×△◆な状態で…」
筆者「はぁ・・・そうなんですか。」
おばちゃん「※☆$#なわけで、署名と募金をお願いしたいんです。」
筆者「それじゃ 署名は面倒なんで募金だけ・・・チャリン」
おばちゃん「ありがとうございます〜。・・・・修学旅行ですか?」
筆者「!!! …えぇ、そうなんですよ…♪」

 
 まんざら自分も捨てたものではないとほくそ笑みながら、筆者は山手→中央・総武線を乗り継いで両国へ向かった。

本来の目的

 再び、両国は江戸東京博物館に戻ってきた筆者は、まじまじとその外観を見詰めなおし、これほどまでに大きな建物だったのかと、改めて気づき驚いた
 7階建てで、敷地面積は国技館の倍以上。内部にはレストランが5軒もある。
 入り口の3階から6階へとエレベーターで上がり、そこから一回ずつ降りながら観覧する、何とも大掛かりな展示形態といい、かっぺの修学旅行生にはうってつけな施設である。

 ありがたいことに、木・金曜の閉館時間は20時という博物館としては破格のサービスのお陰で、ゆっくりと広い館内を観覧することができた。
 ふと周りを見渡せば、様々な学生が訪れていることに気づく。
偉そうに標準語で薀蓄をたれる*1小学生。とても上品で真面目そうなセーラー服の女子高生。展示を一つ一つ、とても珍しそうに仔細に眺める外国人学生。
 
 博物館というものは、いくつになっても楽しめるものだから素晴らしい。
 
 十分にメモと写真をゲットした筆者は、こちらでの滞在先であるEAとおちあうことにした。
 
 これでもう、レポートはばっちりだ。*2

 

*1:筆者の地元では「〜じゃないか」とナチュラルに発音できるような小学生はいなかった。

*2:現在この旅行記を書いている11月8日現在、レポートはタイトルすら書かれていない。

都会の洋食屋さん

 ヨドバシカメラに今日撮ったカメラを現像に出し*1、2ヶ月ぶりに再会したEAと再会し、少し早目の夕食をとることにする。
 先だってから彼は新宿内のグルメ探求に精を出していると聞いていて、実は飯に連れてってもらうのを期待していた。
 
 連れられた先は、路地内の小さいが立派なつくりの洋食屋
 最早疲労困憊の極みに達していた筆者は、シチューと白飯をかっこんだ。
 考えてみれば、筆者は函館で洋食を外で食ったことがない。と、言っても居酒屋か馴染みの中華料理屋くらいしか行き先がないのもあるが、店で出されるシチューというものが、これほど美味いものとは知らなかった。
 やはり、東京の飯はうまい。空気も不味いし、眺めも無機質だが、ものは溢れている。
 


 
 いつかEAに「函館のうまい店を教えてくれ」とでも言われたら、何処に連れて行ったものだろうかなどと考えながら、満足に膨れた腹を抱えて、筆者はEA宅でぐっすりと眠りについた。
 明日は学部生全体での研修。場所は、国会議事堂図書館である。



 

*1:フジカラーの店に出せば1時間弱で済むところを5日もかけられてしまった…。