かぶとむし日記

映画、音楽、本の感想を中心に日記を更新しています。

沢田順介監督『毬の行方』(1930年、無声映画)

貧しい馬方の娘として生まれた一子(かずこ)が、度重なる不幸な境遇を暖かい友情と恩師の励ましで乗り越え、力強く生きて行く様を描いている。


現代では失われてしまった子供達の友情や、貧富の差による差別問題を真正面から捉えたこの作品は、近年になって小学校の授業や人権問題を扱った講座などでしばしば上映されており、常に会場を熱い感動で一杯にしている。隠れた名作と言えよう。


(カセット・ケースより、佐藤忠男の解説)


無声映画松田春翠活弁で見ました。活弁無声映画を見るのは、クセになるような快感があります。


貧しい少女が、裕福だけれどからだの弱い友達と励ましあいながら、貧乏に負けず生きていく姿が描かれています。描き方は、教条的で、担任教師の教訓も、凡庸ですが、昭和5年、映画創世記ですから、あまり彫の深い内容を望んでもムリでしょう。


昭和初期の小学校の様子が映像で見られます。教室の様子、運動会、卒業式など。


ぼくは昭和24年の生まれですが、学校の校舎といい、運動会の様子といい、映画の中とあまりかわっておりませんでした。


ただ、主人公の一子(かずこ)は、運動着が買えずに、着物のまま運動会で走りますが、さすがにぼくの時代にはそんな光景はなかったとおもいます。

イニャリトゥ監督『バベル』

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ロッコの片隅で放たれた一発の銃弾がアメリカ・日本の孤独な魂をつなぎ合わせていく。言葉が通じない、心が通じない想いはどこにも届かない。イニャリトゥ監督が映像と音楽の普遍性を言葉に優ると信じて描いた、愛と痛みに関するヒューマンドラマ!!


(「ギンレイ通信Vol.101」より)


ロッコの少年が、遠距離から試しに放った銃が、通過していたバスに乗っていたアメリカ人の女性(ケイト・ブランシェット)に当たってしまう。そこから派生する事件が描かれる。


女性は、村で手当てを受けるが、付き添う夫(ブラッド・ピット)と村民のあいだは、言葉が違い、なかなか気持ちや意図が伝わらない。


警察は、犯人を追うが、犯行に使われた銃を村に残したのは、日本人旅行者(役所広司)だった。彼は親切な村民へ感謝として、帰国する前に銃をプレゼントしたのだった。


その日本人は、妻が自殺、娘(菊地凛子)と二人、日本で暮らしている。娘は、聴覚の障害者だった。彼女の生活はどこか投げやりで、父娘の関係もぎこちない。


ロッコの事件と日本人の父娘の関連は、ただ犯行に使われたのが、彼の残していった銃だった、とそれだけ。


ストーリーの関連ではなく、言葉がうまく伝わらない、人の心が通わない、そんなシンボル的存在として菊地凛子聴覚障害、彼女の孤独な存在自体が、使われている。


退屈はしなかったけど、これが名作の仲間にはいるかどうかむずかしい。


ロッコと日本の併行的な描かれ方が成功しているとみるか、もうひとつと見るかでも、映画の評価が分かれそうな気がする。

リチャード・エアー監督『あるスキャンダルの覚え書き』

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ベテラン歴史教師のバーバラは新任の若い美術教師シーバに親近感を覚えるが、シーバの教え子との不倫を知り……現代人が抱える孤独と強迫観念、嫉妬、妄想、自己欺瞞を2大女優が浮かび上がらせる、サスペンスフルな人間ドラマ!!


(「ギンレイ通信Vol.101」より)


美しい新任の美術教師シーバ(ケイト・ブランシェット)は、彼女を慕う男子生徒との性愛に溺れる。15歳のストレートな欲望が彼女の理性を狂わせた。


それを厳格な歴史教師バーバラ(ジュディ・デンチ)に知られる。バーバラは、そのスキャンダルを学校や世間から秘密にするかわり、シーバをおもいのまま支配しようとする。



一見厳格なバーバラには、秘められた過去があり、それが次第に明らかになっていく。バーバラは、孤独な同性愛者だった。


老女バーバラを演じるジュディ・デンチが、少しずつ狂気の風貌を増してくる。シーバの秘密を握り、かすかに笑みを浮かべるバーバラが怖い。ジュディ・デンチは、小さな表情の変化で、心の動きを的確に表現できる名優だ。


スキャンダルの発覚を覚悟するか、バーバラの支配を受けるか、シーバは窮地に立たされる。


自身の欲望に翻弄されながら、スキャンダルの発覚にも怯えるシーバ。シーバを演じるケイト・ブランシェットが、追いつめられた女性の美しさを発散する。


2大女優の共演、見応えがありました。