「キリストは律法を大いなるものとし、光栄あるものとされた」

 「主はおのれの義のために、その教を大いなるものとし、かつ光栄あるものとすることを喜ばれた。」(イザヤ42:21)

 「神の政府の律法はそのひとり子の死によって大いなるものとされねばならなかった。キリストは世の罪を負われた。神のみ子の受肉と死の中にのみわたしたちの望みがある。このお方は神性にささえられていたので、苦しみに耐え忍ぶことがおできになった。不忠実や罪というしみが一つもなかったので耐えることがおできになった。キリストは刑罰という正義をこのようにして負うことにより人のために勝利された。律法を高め、名誉あるものとする一方で、人に対して永遠の生命を確保された。」(ユース・インストラクター1898年8月4日)
 「すべての魂は、人類家族の偉大な模範であるキリストのみ足の跡に従う義務がある。このお方は『わたしは父の戒めを守った』と仰せになる。パリサイ人はこの方が神の律法の要求を減らそうとしていると考えたが、この方が『わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである』と仰せになるみ声が、彼の耳に響いた。
 キリストは律法を大いなるものとし、光栄あるものとするために来られた。あなたがたが初めから受けていた古い戒めをあがめるために来られた。であるからわたしたちには律法と預言者が必要である。わたしたちには、新約聖書に導く旧約聖書が必要である。新約聖書旧約聖書にとって代わるのではなく、犠牲と供え物の全制度とわたしたちが初めから受けているみ言葉に意義を与えつつ、わたしたちに救いの計画をもっとはっきりと明らかにするのである。完全な服従があらゆる魂に命じられており、表される。・・・このお方について、『見よ、わたしはまいります。書の巻に、わたしのためにしるされています。わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります』と記されている。」(ユース・インストラクター1894年11月8日)

http://www.sda1888.com/
聖書のお話ブログ BIBLE STORY BLOG
http://dailydevotion.jugem.jp/?eid=126


 ブログ村ランキングに参加しております。
もしよろしかったら、クリックお願いいたします。

 ↓↓↓  

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村