「私たちの心に書かれた愛の律法」

  「しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。・・・わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。」(エレミヤ31:33,34)

 「キリスト教が世に果たすように計画されている働きは、神の律法の価値を下げたり、わずかといえどもその聖なる威厳を減ずるものでなく、思いと心にその律法を書き記すことである。神の律法が信徒の魂に、このように植え付けられる時、人はイエスの功績を通して永遠の命に近づいている。・・・
 福音の目的はそれが成就される時完成する。各時代にわたるその働きは、真理を信じることを通して、神に従う者の心を全世界の兄弟に対する愛の精神で一つにすることであり、このようにして地上における神の家族の中に秩序と調和という天の制度を設立する。それによって人々が天上における王家の一員となる価値があるとみなされるためである。神はその英知と憐れみのうちにこの地上で、男女がみ声に従い、ご自分の律法を尊重するのか、それともサタンがしたように反逆するのかをみるために、テストをされる。・・・
 堕落した人類に律法を与える神のご目的は、イエスを通して人がその低い身分から神と一つになるために高められるためであり、最高の道徳上の変化がその人の性質と品性のうちにあらわされるためである。この道徳上の改変が起きなければならない。さもないと人は神の王国における信頼できる臣下とはならない。なぜなら、反乱を起こす者となるからである。
 現世はテストと試練の時である。神のみ使いたちは品性が発達するのを眺めており、道徳上の価値を量っている。人が神の律法に従順であるのか、それとも不従順であるのかというすべてがこれにかかっている。罪人は天の交わりにふさわしい者となるために、キリストの功績を通してこの世で従順な僕に変えていただくのだろうか。」(レビュー・アンド・ヘラルド1891年7月21日)
 「わたしたちの心にある神の律法はわたしたち自身の関心を、気高い永遠についての関心事の下におくようにさせる。」(教会への証3巻397)

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