「勤勉」

 「わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。」(ヨハネ9:4)

 「勤勉と従順の生涯は、立派な品性、確固とした原則、目的に対する強い精神力、健全な知識、霊的に高い状態を形成するのに有効であることを、キリストの生涯はすべての青年にはっきりと示す。今日の青年たちのほとんどは、知的教養や体力が高い標準に達するのに不適当な、刺激的な娯楽が大好きである。思いは、思索にとって静かな健康的な状態のままではなく、大抵は興奮状態にある。手短に言うと、渇望する娯楽に夢中になって、綿密な適用、熟考、研究を不可能にしている。」(ユース・インストラクター1873年9月)
 「両親に尊敬を払わず、自分自身を役立つ者にしようとしない青年は、真の喜びを味わうことはできない。・・・むなしい娯楽を愛する気持ちは、思いの傾向をゆるませ、道徳力を弱めるので、多くの青年が自制心や確固とした信念をほとんど持たなくなる。」(ユース・インストラクター1873年9月)
 「イエスの勤勉な生活には、試みを招くようなひまな時間がなかった。堕落的な交際のために道を開くような無意味な時間がなかった。イエスはできるだけ誘惑者に対して戸をとざしておられた。利益も楽しみも、あるいは称賛も非難も、イエスを悪い行為にさそうことができなかった。・・・
 イエスは道具のとり扱いでさえ不完全であることを好まれなかった。彼は品性において完全であられたように、職人として完全であられた。イエスは、ご自身の模範を通して、勤勉であることはわれわれの義務であること、われわれの働きは正確に徹底的にしなければならないこと、またこのような労働はとうといものであることをお教えになった。手を役立たせることを教え、生活の重荷の自分のわけ前を負うように青年たちを訓練する実際の働きによって、肉体的な力が与えられ、あらゆる能力が発達させられる。人はみな自分自身にとって益となり、また他人に役立つことを何かみつけ出してしなければならない。神は働くことを祝福としてお命じになったのであって、勤勉に働く者だけが人生の真の栄光とよろこびをみいだすのである。」(各時代の希望上巻64〜66)

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