「世の光として」

 「イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。(ヨハネ8:12)

 「朝であった。太陽はちょうどオリブ山の上にのぼったところで、その光は大理石の宮殿をまぶしく照らし、宮の壁の黄金を輝かしていた。そのときイエスは、太陽を指さして、『わたしは世の光である』と言われた。
 このことばは、それを聞いた者の1人によって、ずっとのちにあの崇高な一節となって反響した。『この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。』」(各時代の希望中巻251)
 「真理を通して清められた者は、家の中にあるすべての物に光を投げかける明るく輝く明かりのようなものである。良い働きは、あらゆる真の信者のうちにあらわれる。主は品性の完全さ、神に対して完全であることがわずかでも欠けているものを受け入れることはおできにならない。熱心さの足りない奉仕はどれも、あなたが模範であられるお方を真似るのに失敗したことを天の住民の前にあかしする。」(ユース・インストラクター1892年10月13日)
 「キリストの弟子は、人々の間にある1つの光以上のものでなければならない。かれらは世の光である。イエスは、ご自分の名をもって呼ばれるすべての者に向かって、あなたがたはわたしに心をささげた、そこでわたしはあなたがたをわたしの代表者として世に与えたのだと仰せになる。父なる神がみ子を世につかわされたように、『わたしも彼らを世につかわしました』と主は言われる(ヨハネ17:18)・・・クリスチャンよ、救い主は大いなる光の源であられると同時に、人間を通してこの世にご自身をあらわされることを忘れないでほしい。神の祝福は、人間の器を通して与えられる。・・・光の天使は滅びるばかりの魂に、天の光と力をあなたを通して与えようと待ちうけているのである。・・・キリストが心に宿られるならば、その臨在の光をかくすことは不可能である。」(祝福の山50)
 「世の光であるお方がそばを通られると、あらゆる苦難の中に特権が、混乱の中に秩序が、失敗と思えるところに神の成就と知恵があらわれる。」(教会への証7巻272)
 「光と生命という賜物が共にわたしたちのところへ来る。」(手紙264,1903年

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