凍死する南京市民、「哀れな支那人ですね」と記す日本軍兵士(68周年の日に思う)

68年前の今日、つまり1937年の12月13日、南京は日本軍に占領され、いわゆる「南京事件」もこの日から始まったとされている(なお私は12月12日、あるいはそれ以前から同事件は始まっていると考えている)。

68周年の日ということだが、特別なエントリは準備していない。ただ今日思ったことは、寒い日々の中に南京事件は起きたのだな、ということだ。

この寒さのなか思い出したのは、第三師団の一兵士が日本に向けて出した軍事郵便の一節である。1938年1月の手紙に兵士はこう記す。

平和になった南京市には南京市民が続々と帰ってくるよ。来てもだね、夜が来ても寝るところも無し。此の寒さにふるえて死んでいく者も一日に何百人ですよ。哀れな支那人ですね。

ああ、これが南京事件なんだと思う。寝るところもなく一日に何百人も凍死する南京住民。それを「哀れな支那人ですね」と手紙に書いて本国へ送る兵士。

それより前の手紙にはこういう記述がある。

自分等のいるところは此の城外である。城外でも揚子江の沿岸で中国銀行。家は五階であるが、三階までは焼けている。自分等のいる隊は乙兵站部で、隊長は青木少佐であって良い人です。兵站部は食糧等の分配をして各部隊にやるところである。揚子江を船で来る全全部の荷物が自分等の所に来るのです。沢山な荷物を五十人足で歩哨に立つのでなかなか苦労は多いよ。去年の三十一日まで支那兵の捕まえたのを、毎日揚子江で二百人ずつ殺したよ。川に、手を縛って落としておいて、上から銃で撃ったり刀で首を切ったりして殺すが、亡国の民は実に哀れだね。まるで鶏でも殺すような気がするよ。

十二月二十七日の夜は、兵站部に食糧を盗みにきたので七人捕まえて銃剣で突き殺したが面白いものだったよ。全く内地にては見られない惨状だよ。

以上出典;http://www1.vecceed.ne.jp/~swtamura/asaba.htm#yuubin



南京事件というのはもちろん殺害、略奪、強姦、破壊…という行為の総体なのだが、加えて「嘲笑」も南京事件を構成する一要素なのではないかと私は考え始めている。

そして嘲笑された側の「憎悪」は、日本軍兵士の殺害に、略奪に、強姦に、破壊に、そして「嘲笑」に対して向けられる。





※おそらく今回が今年最後のエントリになります。年内にインデックス代わりのエントリを1回出すかもしれませんが。勢い任せでやってきた当ブログですが、来年はこれを踏まえてどうしていくのか、今からゆっくりと考えたいと思います。
今年1年、ありがとうございました。