「犠牲者数」ばかり問題にしたがる症候群


六四天安門事件の犠牲者数に関する、wikipedeiaの記述。

中国共産党の発表では、「事件による死者は319人」となっているが、この事件による死傷者の多寡については数百人から数万人に及ぶなど、複数の説があり定かではない。また、天安門広場から完全にデモ隊が放逐されたあとに人民解放軍の手によって死体が集められ、その場で焼却されたという情報がある[11]ように、事件後に中国共産党によって多くの死体が隠匿されたという報道もある。

319人から数万人という(大幅に差がある)諸説が存在しているが、多くの人は「人数」をそれほど気にするわけではない。
つまり定量データより定性データが重要視される。

もし、六四天安門事件の「人数」ばかり焦点化する人がいたら、「事件の性質から目を背けている」という批判の目が向けられるであろう。


しかし南京事件については「犠牲者数」がもっとも重要であるかのように語る人間がいる。
「犠牲者数が確かにならないと議論にならない」という人も。

しかし、六四天安門事件南京事件、ともに「犠牲者数不明」であっても、私たちはそれについて考え、議論し、あるいは行動することができるはずである。

だから、「「犠牲者数」ばかり問題にしたがる症候群」とは、「事件の性質について目を塞ぎたい症候群」なのかもしれない。