東北被災地視察-2日目

2日目。今日は本格的な視察。石巻→女川→南三陸気仙沼陸前高田 と巡って東京に戻るというスケジュール。撮った写真をここに載せてよいものか悩んだけれど、仕事での視察として真剣に向き合ったものなので載せることにします。

石巻
おびただしい瓦礫の山と積み上げられた自動車。地域産業である水産加工場群は壊滅的な被害。ある水産加工会社のトレードマークである鯨の缶詰のオブジェが津波に流されて、幹線道路のど真ん中に鎮座していた。この缶詰、高さ11m近くあるとのこと。

女川。
石巻に比べまだ瓦礫が手つかずで残っているところも多数。津波による破壊力はここが一番強く感じられた。海側に開けた細い谷状の地形ゆえ、行く手が狭くなるほどに津波の勢いは増し、海から遠くはなれた集落まで跡形も無く破壊されていた。左の写真は高さ10m以上の高台にある病院から撮影したがこの病院も2階まで浸水していた。このエリアの津波は17mを超えていたらしい。ひっくり返ったビルも多数残っていた。
女川から南三陸町へ移動。30kmくらいの距離なので1時間くらいで着くはずだったのだが、北上川に架かる橋が損傷を受けて通行止となっていたり、さらに迂回先の国道も通行止で、結局3時間近くかかってしまった。

南三陸町
役場の防災対策庁舎。津波が押し寄せるその瞬間まで住民の避難を放送で訴え続けた若い女性職員の方が命を落とされた場所。
周囲の建物は海側のRC造の病院が残っている以外、跡形も無くなり、この庁舎も骨組みだけ。手向けられた沢山の花を前にして何ともやり切れない気持ちになった。合掌だけしてこの場を後にした。

気仙沼
高台から眺めると割と綺麗になっていて復興が進んでいるように見えるが、グランドレベルで見るとまだまだ深い爪痕が残っていた。我々が訪れたのはやや川上の港あたりだったが、河口付近の石油タンクが津波でここまで流されてきて、それに引火してしまい、このあたりは火の海となったそうだ。
気仙沼の次は陸前高田を視察する予定だったが、女川-南三陸町間の移動ロスが響いて時間切れ。陸前高田視察を断念し、東京へ戻ることに。15時ごろ東北自動車道に乗り21時過ぎに渋谷到着。2泊3日の東北視察終了。
覚悟はしていたがいろいろ考えさせられる旅だった。

被災地を訪れて感じたこと


今回は宮城県の被災地を縦断した。多くの方が亡くなられ被害が大きかった、報道でも多く取り上げられた場所を中心に視察した。バスを降りて視察したこれらの場所の多くは市街地エリアで半年経過した現在は倒壊した建物のほとんどは取り払われ更地同然になっており、ここにかつては建物が建ち並び人びとの営みがあったのだと想像力を膨らませなければ被害の全貌を感じ取ることができなかった。それに対し、これらの都市間をバスで移動する途中で車窓から見えた小さい集落の多くはまだ手つかずの状態で、今も被害の強烈な爪痕を残していた。むしろこれらの小集落をもっとじっくり視察したかった。また、鉄道や橋などはまだまだそのままになっているところが多く本当に悲惨な姿だった。めくれ上がった線路、橋脚を残して跡形も無くなった陸橋、瓦礫に埋め尽くされたトンネルなど。これらが復旧する日は来るのだろうか。
これら住宅などの建物、道路や橋や鉄道などのインフラ、これらがメチャメチャに破壊されている姿はそれはそれでショッキングだったが、それよりもショックだったのは地盤沈下だ。建物やインフラなど人間が造り上げたものはまた造ることができる。しかし地盤沈下し陸だったところが海になっている箇所があまりに多い。盛土をすればどうにかなるというレベルを遥かに超えている。まさに地球の形が変わってしまっている。多くの方が亡くなられた津波にも大変なショックを受けたが、現場を訪れてこの地盤沈下の被害を目にし、絶望的なショックを受けた。