夏の思い出(前編)

先週の日曜の正午。
昨夜も遅くまで起きていたので、さっきまで寝ていた。子供に日曜はスケボーに連れて行ってほしいと言われていたが僕がいつまでたっても起きないので、業を煮やした子供に枕で顔をふさがれ、あやうく窒息するところで目が覚めた。
冷や汗をふきながらヤレヤレ枕はこんにゃくゼリーより危険かもしれんなどと考えていたら、携帯に着信がきた。
驚いた。僕の携帯にはあまり電話はかかってこない。誰だ、休みの日にと思って番号を見た。

とたんにある「予感」が、僕の、休日の開放感を、青空に浮かぶ雲のような開放感を、全て蹴散らした。

スマホの画面に名前は出ていない。つまり僕のアドレス帳には登録されていないということだ。
だが、それが誰からの着信なのか、番号を見ただけで僕にはすぐに分かった。
間違いない、ノブテルだ。ノブテル以外に、ニイサンミナゴロシ、なんてふざけた番号を好き好んで携帯に使うやつがいるだろうか?

繰り返すが、電話がかかってきたのは日曜の正午だ。
一週間でいちばん開放感と、それに伴うほんのちょっぴりの罪悪感を感じていい時間だ。「お昼は冷蔵庫にあるものでいい?まだ買い物に行ってないんだよね」「いいよ、なんでも」「お父さん、約束だよ、スケボーしに公園連れて行ってね」「ああ、分かってるって、宿題は済んだのか?」「とっくに終わってるよー」僕にだってひとしなみにその権利は与えられているはずだ。
それをやつは、なんでよりにもよってこんなゴールデンタイムに電話をかけてくるのだ。

そもそもこの前電話をかけてきたのは何年前の夏だ?僕が携帯を持つ前だから、約20年前か。ということは、大学4年の夏か。そうだ、夏休みで帰省している時に実家にかかってきたんだ。あの時も大変だった(さんざん揉めた後に「二度とかけてくるな!」と言って電話を切ったら、10分後に自転車で家に来たのだ)。
どうせまた今日もあの時と同じ用事だろう。
きっとまたあいつはこの世の終わりのような声を出すのだ。

そんなことが頭をよぎっている間にも、iPhoneの軽快な着信音ーあのいまいましいデフォルトのやつだ。初期のモデルからそうだが、この着信音に関してだけはAppleの気が知れないーは鳴り続けていた。子供が「電話出ないの?」と言った。隣の部屋にいた家内も着信音が鳴りつづけるのを不審に思ったのか、戸口から顔を出した。
こうして困惑と不審に満ちた6つの目がリビングに揃った。僕らに見つめられながらも、悪びれることなくiPhoneは歌い続けた。
選択肢は3つしかなかった。
1.普通に電話に出る。
2.明るく電話に出る。
3.諦めて電話に出る。
電話に出ない、という選択肢はなかった。仮に電話に出なかったとしたら、電話から出てくるのだ。スマホの小さいディスプレイから小さいノブテルが長い黒髪を垂らして出てくるのだ。そんなやつだ、夏のノブテルは。

今思えば、僕はどこかで期待していたのかもしれない。こんな思考を巡らせているあいだに、電話が切れることを。そしてまた日曜の正午の続きが始まることを。
「電話出ないの?
家内の声は、不審から不信に変わりつつある。「出るの待ってるんじゃないの?」
可能性として疑っているのはなんだろう。やっぱり浮気か。…浮気だろうな。浮気しかない。それとも借金か。…借金かもな。借金しかないな。いかん…動揺してる…なんとかしないと…。
「いや、それはどうかな。見ての通り電話帳に入っていない番号だし誰からかは知らないけど、向こうにしてみれば僕が出るかどうかは僕が出るまでは分からないわけで、僕が出る確率は50%、出ない確率も50%、つまり電話に出ている状態と出ていない状態が1:1で重なりあっていると解釈しているかもしれな…」
「電話に、出ないの?」
家内の声は完全に不信のそれになった。まあそう考えるのが自然だろうと理解できる。つまりあれか、不信を払拭しようと腐心した冗談が不振に終わったのか。わはは、うまいうまい。
…どうしてこうなった。
この間にも安普請(もうひとつ韻を踏んでやった)のアパートに、重い沈黙と明るい着信音が一触即発の状態でまだ共存していた。

「もちろん、出るよ。見ての通り電話帳に入っていない番号だし誰からかは知らないけど、出るよ。出るからね」結局僕は電話に出ることにした。これ以上要らない(身に覚えもない)家庭内不和を拡大するべきではない。スマホを掴んで隣の部屋に行こうとした。
「ここで話せばいいんじゃない?」背中に冷たい声が掛けられた。とっさに言い訳が2つ浮かんだが、さすがにもう不毛すぎて馬鹿馬鹿しくなってきたのでやめた。
「…まったくだ。まったく君の言う通りだ。なんと僕も同意見。だってなにも隠すこととかないもんな。見ての通り電話帳に…」「いいから早く出なよ」
結局僕は電話に出た。「…はい、タナカです」そういえばなんで留守電にならなかったんだろう…と今更ながら疑問が湧いた。

「タナカさんですか?」間違いない。ノブテルの声だ。
「どなたですか?」違いますと言って最後の抵抗を試みようかと考えたが、さっきタナカですと名乗ったのを思い出した。
「タナカさんですね?夏が終わってしまいますよ!」
やっぱりノブテルだった。
内心で深い深い溜息をついた。ただの溜息じゃない。北京の大気のように白く濁った溜息だ。

ノブテルは同級生のキヨテルの弟だ。キヨテルは「一旦濡れて乾いた本で(性的に)異様に興奮する」という性癖の持ち主だ(ひどい紹介の仕方だとは思うが他はいたって普通の人間なので、それぐらいしかエピソードがない)。今は地元で車の営業をしている。が、今はキヨテルのことはいい。
キヨテルたちは男ばかりの5人兄弟で、キヨテルは三男、ノブテルは末っ子である。歳は確かキヨテルの5つだか6つだか下なので、ノブテルと学校で一緒になったことはない。ちなみにキヨテルとノブテルで見当はつくかもしれないが、兄弟全員名前に「テル」がつく。昔キヨテルに名前の由来を訊いたことがあったが「母親があおい輝彦のファンだったから」だそうだ。
ノブテルとキヨテルは昔からとにかく仲が悪い兄弟だった。しかもキヨテルだけではなく、ノブテルは兄弟全員と仲が悪かった。当時のノブテルは兄たち4人を憎悪していたが、20年経った今でも「ニイサンミナゴロシ」などというふざけた番号を携帯に使っているところを見ると、まだ和解はできていないようだ。
さっきも書いたが、僕はノブテルと学校で一緒になったことはない。だからつきあいといっても、あくまで友達の弟としてのそれしかない。キヨテルと僕は仲が良かったが、ノブテルはキヨテルを嫌っていたので、3人で遊ぶことはなかった。そんな僕になぜノブテルは大人になった今でも連絡をよこしてくるのか。それを説明するためには、少し兄弟の話をしないといけないだろう。
こいつら(もう“こいつら”で沢山だ)5人兄弟は、皆なにかしらの収集癖を持っていた。キヨテルはさっき言ったように「濡れて乾いた本」だ。最初に家に遊びに行ったとき、全部の本がそうなっているのを見たときは意味が分からず驚いた(それがキヨテルの性癖によるものだと知ったのは、ずいぶん後のことである)。最近はphotosopであの感じが一発で出せるようになって捗ると技術の進歩を礼讃していたが、やっぱり天然モノ(キヨテルは屋外に落ちている本をこう呼んでいた。反対に風呂で濡らして天日干しして自作したものを“養殖モノ”と呼んでいた)の魅力にはかなわないねと、本人以外まったく同意を求められても困るたぐいの供述をしていた。他の兄弟にもそれぞれ収集癖があるのだが、今日の話には関係ないし思い出すとますます不愉快になるだけなのでここでは置いておく。今はノブテルの話だ。
ノブテルが集めているのは何か。それは「夏の思い出」だ。

「ノブテルか?久しぶりに連絡してきて最初がそれか?…何が夏が終わるだよ…もう10月だぞ」
「だ、か、ら、時間がないんですよ!…杉山清貴は襟なしのシャツに10月が来ても夏は終わらないと言ってたけどそれは…」途中からひとりごとみたいなしゃべり方になったので、最後の方はぶつぶつとしか聞こえなかった。ノブテルのしゃべり方は昔と変わらないなと思った。こいつは今みたいにしゃべっている途中で突然会話のベクトルを変えてくる。話題を変えるのではない、いわば「向き」を変えるのだ。外側から内側に。しかもこんなひとりごとのようなしゃべり方をしておきながら「聞こえてるんでしょ?返事求む」みたいな態度を取るからあいづちを打つこちらがまるで向こうの言葉に興味を持っているかのような構図になり、余計に腹立たしい。腹立たしく思いながら、しかしこのしゃべり方は誰かに似ているなとふと思った。ああ、思い出した。昔の職場にいた、一人称に「拙者」とか使ってた人の話法だ。全方位に大声でひとりごとを言って、ひとりごとだから反応なくても寂しくないしと自分に言い聞かせるアレだ。
「なんだ?何言ってるか聞こえないよ。要件はなんだ。手短にね。これからがいしゅ…」
「夏の思い出を話してください!先に言っときますが、嘘はダメですよ!」
長々と書いている通り要件は最初から分かってるし、この言葉もノブテルのテンプレなのだが、やはり嘘つき呼ばわりされるのは腹が立った。
「だから、いきなりなんなんだよ。夏の思い出?お前まだそんなことやってんのか?」
僕はこう言いながらも家内にアイコンタクトを取ろうとした。これは我ながら立派な態度だと思う。僕の今の立場を想像してほしい。家族に不審の目で見られ、突然の面倒ごとに気は動転し、しかも意味不明な言いがかりに腹が立っている。それでいながら家族への気遣いは忘れていない。そんな自分に腹立ちとは裏腹に、心の別の部分が少し高揚してきた。
家内と目が合った。その目からは「怪訝そう」という以外の感情は読み取れない。僕はアメリカの刑事ドラマなどでよく観る、しゃべれない時に使うハンドサインを送ってみた。「この電話(スマホを指差し)、ちょっと(人差し指と親指で)、長引きそう(尺を取れのポーズ)」
家内はしばらく僕を見ていた。表情はかわらない。僕は追加で「ごめん(拝む)」をした。まだ僕をじっと見ていた。表情は変わらない。家内はそのまますっとテレビに向き、アッコにおまかせを見始めた。
おい、いいのか?伝わったのか?
「…嘘はダメですよ!証明できるものも一緒に出してください。情景が分かる写真をお願いします。写真はjpeg形式で、1MB以内です。写真が不可の場合はそれに準じる書類でもいいです。pdfにしてメールに添付してください。wordは不可です」jpegだのpdfだの聞きなれた単語に意識が引き戻された。
正直に言うと最後の方は適当に書いている。ノブテルももう言い慣れているテンプレのせいか早口で言っているし、僕もいきなり言われて覚えきれなかった。が、まあたぶんこんなことを言っていたんだと思う。
ここでちょっと不覚にも感銘を受けた。前に電話がかかって来たときも証拠の提出についての勧告はあったが、証拠の提出はアナログ形式だった。jpeg画像や書類のデジタルデータといった規約はなかった。時代の流れか…。…考えてみればあれから20年経ったんだもんな。
ハッと我に帰った。違う!そこに感銘を受けている場合か!

ノブテルの収集癖、それは他人の夏の思い出を毎年100人分記録することだ。
ノブテルは小学生の時(確か3年生だったと記憶している)、夏休みの自由研究で「100人の夏の思い出」という発表をした。親や親戚(兄たちとはすでに仲が悪かったので対象外だった)、近所の人、学校関係、その他(街頭インタビューに近いこともしていたそうだ)の人たちに夏の楽しかった思い出を話してもらい、一人ずつ文章と写真にまとめて分厚いノートを作った。
キヨテルの「濡れて乾いた本」を集めることの執着もそうだが、およそ世にいる奇人の奇行も、最初の一歩はこんな風に純粋でたわいのない思いつきから産まれるものだろう。ノブテルがなぜその題材を選んだのかは知らないが、発想は面白いし、それをただの思いつきで終わらせずにこつこつと100人にインタビューをした行動力も小3にしては見上げたものだと思う。
ノブテルはその発表で何かの賞を獲り、小さくだが新聞にも載った。
今思うと…おそらくこの時が、ノブテルの人生のピークだったんだと思う。(完結編に続く