#126
第三部 キリスト史観
第五章 最終的に死が滅ぼされる
第一節a 史観にとって《死》とは何か
神は人間を天使のように すなわち罪を犯しても決して死ぬことはないように造ったのではない。けれども 人間が従順の義務を完全にはたすならば 死は介入することなく 天使の不死と永遠の至福とが与えられるようにと造ったのである。それゆえ 不従順な者に死の罰があることは もっとも義しい判決の結果である。
(アウグスティヌス:神の国 13・1)
これが まづ 時間的存在の像であり それは まづ 神の似像として造られたということでありました。また このことからは――のちに見ることになりますが―― いまでは この人間に 《死が介入することがない》ことはなく しかも神の子キリストの秘蹟をとおして神は この死を免れない人間が 死ののち《天使の不死と永遠の至福とが与えられる》というほどに いま――この今――あの復活を約束されるというみ心を示されたのでした。