自由のこと周辺

buonpaese2009-02-08










最近小難しい本読み始めたのはそもそも神門善久氏の『日本の食と農』からだった。農地農政農協の問題を紐解いたこの本は、2つの意味で気になった本だった。ひとつは農地という法に規定された土地を所有する農家にとっての自由は何なのかということ。もうひとつは神門氏がポピュリズムという言葉になぞらえ、今の日本の民主主義のありようについて語るなかで、いったいどうしてこうなって来たんだろうという興味。

農家にとっての自由、というのはこうだ。農業というものを政策として論ずるとき、仕方がないのだろうがどうしても生産性ばかりが語られ、僕が憧れと共に語ってきた農村の美観や人々の暖かさとか、そういう質はどう守られるのか不安な心地がする。しかしそう考える僕自身ずいぶん身勝手なのであって、その身勝手を同じ人間である農家がふるまうこともある。要は農家が、農地という法に守られた土地を所有することから始まる議論について、そもそもの農家にとっての自由は何なのかを考えないと、自分の身勝手も単なる妄想に過ぎなくなるなと心配になったということだ。この“自由”というものが、農家のみならず自分自身に対しても、マジメに考えるとよくわからない。

次にポピュリズムのこと。世の中情報や選択肢が多すぎる一方で、自分をより安心させてくれる、ラクさせてくれるサービスも乱立して、お金払えばかなり無思考に人生を過ごすことができるようになった。マスメディアも同様、心地よい、わかり易い、楽しい情報ばかりを報ずるようになった。そんな状況で何でもお任せ的な無思考の思考スタイルが大勢を占め始めただけでなく、どうもポピュリズムというのは、そのような大勢の支持をまとめる動きが商売でいうところのマーケティングの枠を超え、世論形成や政治の場に生まれたのだと思う。そーゆう自由って何だよ?

何となくではあるが、ポピュリズムというのは、よく商品経済の世界で言われるところの大量生産大量消費大量廃棄という20世紀の価値観を支えるような、とても商売に都合のいいオピニオン発生容器のような気がする。しかしどうしてか、このポピュリズムという勢力(っていうのかな)がより強力に影響し始めたのは21世紀に入ってからのような気がするのだ。だから自分の経験にも照らして、ちょうど90年代00年代の周辺の変化も気になり始めている。

神門さんがきっかけということで、最初は(食とか農業とかの)僕のギョーカイだけのことかと思っていたが、コトはもっと広く考えないとわからないのかな、となってきて、勢い余って色んな本にかじりつき始めたという顛末。もうトシだからいい加減こんなこと考えてても始まらないのだが、まあ最後の悪あがきで、世界観ちゅうもんを身に付けたいナァと欲望し始めてしまっているワタシはトホホである…