桜さまざま

 今日も快晴だが少し風があり、風の中を桜の花びらが散乱と飛んでいくのが綺麗である。

 兼務している山寺に行く途中に大きな工場があってかなり長い直線道路がある。その沿道に桜が植えられている。桜並木から花びらが散る中、誰も居ない桜並木を教育隊の生徒らしい方が一人で歩いていた。

 教育隊というのは海上自衛隊初等教育を行う学校である。
 新兵さんの養成所みたいなものだろうか。舞鶴以外にも横須賀、呉、佐世保にあるが、当地の教育隊が最も古い歴史を持つそうである。制服は昔ながらのセーラー服である。

 セーラー服姿の生徒さんが一人、誰も居ない桜並木を歩いてくるのが見えたときに不思議とも美しいとも言える光景にしばし見とれた…。

 桜はいいものである。

 そして桜がどんな状況に桜があるかでそれぞれ違った味わいがある。

 芭蕉の句にある

          さまざまのことおもひ出す桜哉

 というのはとても好きな句である。芭蕉が中年になってから、伊賀上野へ帰ったところ、旧藩主の下屋敷に招かれて数十年ぶりに花見をした時に辺り一面が昔のままで、花を見るや昔の色んな事を思い出し、感慨無量の気持ちを詠んだ句とされるが、この句についてはいろんな文脈に置くことができる。

 膾炙した模範解答の説明というのはあるのだが、いろんな人がいろんな場面で引用できる句であり、正に名句である。

 勉強不足で最近知った名句に


         命ふたつの中に生きたる桜かな

 というのがある

 芭蕉滋賀県の水口(みなくち)の満開の桜の木の下で、ぜひ会いたいと慕って追ってきた服部土芳(「はっとりとほう」同郷出身の友人。後に芭蕉の門人になる。)と20年ぶりに再会した時に詠んだ句である。

 満開の桜の下で再開した友人二人を「命」と呼ぶところによくも生きていたなという感慨を感じる。

 やはり桜はいいものである。