なぜナイアガラの滝はカナダ滝の方が秀麗なのか?

先日のレイバー・デイにナイアガラにいきましたが、やはり文句なくナイアガラの滝は素晴らしい。すさまじいパワーです。ぜひとも、アメリカ滝(正確にはその支流のブライダル・ベール・フォール)にある、ハリケーン・デックを体験していただきたい。全身ずぶぬれになります。この滝をみると、日本の滝なんて小便みたいなものにみえます。さて、このナイアガラは大きい滝が二つあります。一つはアメリカ滝、もう一つはカナダ滝です。どう見てもカナダ滝の方が美しい。カナダの地図には『カナダ滝』と書いてありますが、アメリカの地図には、悔しいのか『馬蹄滝*1』と書いてあります。

そこで私の義理の弟曰く
『このナイアガラの滝はカナダ滝の方がきれいなのに、よくアメリカが自分のものにしなかったんですね』

これは、アメリカ生活に実感をもつ人が自然に感じる疑問だと思います。こんな目と鼻の先にあるいいものを我が物にしないというのはどういうことか。アメリカ人らしくない。はい、したかったかもしれないけれど、できなかったのです。それは、米英戦争(1812年)で、アメリカが負けたからなんです。それが不思議なのは、この戦争、ほとんどなかったことになっている。例えば、以下のように。

*1:horse shoe fall

アメリカが他国に侵略されたのは真珠湾だけか?

http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/archives/000256.html

まあその、アメリカが他国に侵略された経験はスー族の襲撃と真珠湾だけだとか言う人に対してはオレゴン爆撃(*)とか風船爆弾(**)とか言うてもいいわけであるが(挨拶)。念のために言うとインディアン(native american)による襲撃がカスター将軍の死んだケースのみだと思っているわけではまさかなんぼなんでもないであろうから、これもまたいつものポラライズだと思って本気で取り合わなければ良い話なのではあるが。

もちろん、米国の本土は独立後にも攻撃を受けたことがあり、そもそも、ホワイトハウスすら焼き討ちされています。それもイギリスによってです。私が引用したこの方は日本人ですが、別に日本人だけが忘れているわけではありません。米国人だってこの戦争は『なかったこと』にしています。911の時にも、『真珠湾』は思い出しても、誰1人『ホワイト・ハウスの焼き討ちと同じだ』とはいいませんでした。

War of 1812 - Wikipedia
このウィキペディアの項目は長いので、私なりに要約すると、
米国は、ナポレオン戦争時にイギリスが米国艦船を禁輸措置にしたことの反発し、同時にカナダへの侵略*1を行うために、マジソン大統領がイギリスに対して宣戦布告をした(1812年)。しかし、米国独立時に逃げ出した英国派の人たちや、ケベックのフランス系カトリックの人たちが米国に反撃し、北方の五大湖地方、ナイアガラ、トロントでは米軍の侵略は失敗し、マジソン大統領が慌てて逃げ出した首都のDCすら焼き討ちされる始末*2。その後、ボルチモアも攻撃され(撃退)、最後にはニューオーリーンズも攻撃され、なんとか反撃したものの、結局1815年の講和条約で現状復帰で手討ちすることにし、何の成果もなく戦争は集結した。

まあ、あまりカッコよくない戦争だったわけです。

*1:当時カナダは英領

*2:Burning of Washington - Wikipedia