証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも

証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも

証言 村上正邦 我、国に裏切られようとも


昨夜少し読み残したので、起きてから一気に最後まで読み通した。そしてそのまま今、感想を書き上げる。

私自身は「政治家・村上正邦」を知っている訳ではない。この名前記憶しているのは、「密室の謀議」の内の一人として、また村上氏が逮捕されたきっかけである「KSD事件」絡みで、後は佐藤優氏の著書に度々名前が出てきた。その程度である。
だから、この一冊によって初めて「人間・村上正邦」「政治家・村上正邦」という人物の事を知った。これまでは、自分がただ単に単純であっただけなのだが、マスコミからの情報を鵜呑みにして氏に対しては「悪い政治家」っていう印象をもっていたのだが、それも少し変わった(これも単純なだけ?)。

この本を読んでも、何が真実かは私には判らないが事件のことは抜きにして、村上氏に対し感じたことは「志を持った熱い人」だった。大きなエネルギーを持って何かをやり遂げる、やり通す人物と感じる。同じような感じを受けたのは鈴木宗男氏や野中広務氏だ。三人とも「目的のためなら、何でもやる」そして「他者に優しい」「地方から中央へ」「苦労人」などが共通していると感じる。文字通り、自分のタメではなく、日本のために政治をやってこられたということが大いに理解できる一冊であった。

その中で、村上氏の国の将来に対する思いが次の文に表れているんじゃないかと思う。少し長くなるがそのまま引用する。

中小企業なんかは特に「このオヤジのためなら、給料を度外視してでもこの仕事を仕上げねばならん」と、社長と従業員の間に強い絆が生まれ、一生懸命泥まみれになってやる、その働く者の使命感というものを取り戻さなければいけないと思った。
すべて、カネ、カネ、カネでは、日本の中小企業はもたないだろう、そういう意味での意識改革も必要じゃないか。それで私は「私のしごと館」建設を思い立った。
直接目で見て、体験して、資源のない日本がどういう歩みをして経済大国になったのか、それが分かるようなものを考えたらどうだという提案をしたわけです。言ってみれば「二宮尊徳会館」です。
それによって、なるほど勤労に対する思いがこういうところにあったから、今日の日本があるのだということを子供たちに伝えていく。それで完成したのが京都の「私のしごと館」なんです。京都は修学旅行のコースであり、たまたま関西の学園都市に土地が余っていたので、そこに建てればいいんじゃないかということになった。
 今ではあんな無駄なものに何百億円もかけたとマスコミは批判しているけれど、教育の一環なんだから、採算がとれるとかとれないとかの問題じゃないんですよ。そういう視点でしか議論されないことが私には非常に悲しい。
「私のしごと館」はものづくりにも関係してくる。中小企業のものづくりの技術は日本の経済発展の基礎になった。この技術を受け継いで発展させていけるような発想をもたなければいけない

こういう事だったのか。私が「私のしごと館」の存在を知ったのは、行革の一環で廃止されるとの発表があった時のことだ。その時は「こんな施設があったんだ、でも何故京都に?それも何故学園都市に?」という程度だった。だから、多くの人は(地元の人でさえも)設立の本当の意味を理解してないだろうし、知らないと思う。上記のような村上氏の思いを少しでも理解し得ていたら、もう少し違う考え方も出来たのだと思うし、周囲も存在意義を理解できたのだと思う。

そして、村上氏は今の政治の状況についても以下のように述べていた

今の自公連立政権、今の二世三世の議員たちのやることを見ていると、彼らの手で憲法改正なんかやってほしくないですよね。彼らは自民党の世襲制度のなかから出てきた議員たちですから、一般庶民の生活も知らなければ苦労も分からない。彼らは親の財産をそのまま受け継いで努力も何もしない。彼らが政治を支配している限り、日本の国は堕落してしまう。

と言っている。その通りかも知れない。ただ皆は自分が生きている国に対し無関心が多すぎるのだ。

さらに最後には、こう言っている

私は今度の事件に遭遇して初めて、自分がイメージした国、自分が愛した国家と現実の国家がまったく別物であることにきづかされました。私は現実の国家に裏切られたのかもしれません。
 それでもなお私は言いたいんです。私は自分を生み、育ててくれた親を愛し、妻や子どもを愛し、この国を愛していると。国会議事堂は私が愛してやまない、すべての生きがいだったのです。

と締めくくっている。

終わってしまったことは仕方がない。残念なのは、村上氏の無実の訴えも空しく先月27日に最高裁への上告が棄却された。そして15日のニュースによると村上氏の実刑が以下のように確定したという・・・

時事ドットコム