小太郎さんのいる日々

スキッパーキの小太郎さんと自堕落飼い主のどうということもない日々の記憶

落ち着けない小太郎さん


待ち遠しい小太郎さん。

左足が下腿義足という身体状況のせいで、自分では小太郎さんを十分散歩に連れて行ってやることができない。それでも毎朝、近所を小散歩というのも無理がある程度、なんとか少しだけ連れていってやるのだが、当然そんなもので足りるはずもなく。

家族も手伝ってはくれるが、週3日ほどペットシッターさんに散歩を依頼している。

シッターさんとの散歩がすっかり楽しみになった小太郎さん。最初の頃はシッターさんが来てくれる日ともなると、来る時間の3.40分前からそわそわして家中小走りでぐるぐるするのがパターンだった。

こういう生活になって約3年、最近は少しなれてきたのか、時間が近づくと窓の外をじっと眺めてシッターさんが来るのを待てるようになってきた。まあ、じっとしていられるのは長くてほんの数分なのだけど。

生存報告

3年近く放置してしまいましたが、生きてます。

前回記事を上げた約1ヶ月後に入院、約4ヶ月間、病院から出られませんでした。

そんなこともあって新しい記事をアップすることもすっかり忘れてしまっていたのですが、はてなからダイアリーのサービス終了に伴うブログの移転のお願い、みたいなメールが届き、それでここの存在を思い出した次第です。

最近はTwitterでつぶやいていることが多いです。

twitter.com


散歩中の小太郎さん。

小太郎さんも元気です。

なかなか正面顔を撮らせてくれない

散歩中に小太郎さんの写真を撮っても、殆ど背中からのアングルになってしまう。
(当然と言えば当然だけど)

なんとか、正面から顔を撮りたいと、途中休憩入れて撮影。

アングルがイマイチ。

撮り直したらそっぽ向かれた上、

しつこく撮り直していたら、こんな表情されてしまった(´・ω・`)

まあ、君が写真撮られるの嫌いなのはよく分かったよ。

「計算できる犬」を考えてみる

時折、テレビの動物特番などで『計算できる犬』というのを見かける。
主人が計算式を書いたフリップを見せると、犬が吠える回数で答える、
というやつだ。

犬は計算をしているのではなく、主人(もしくは出題者)が意識的、
あるいは無意識のうちに発している合図(手足や指の動き、表情の変化等)を
敏感に読み取るから回答できる……というのが普通正解とされているが、
さて、犬には本当に、計算する能力はないのだろうか?

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からあげ。

小太郎さんを散歩に連れて行こうと階下に降りたら、
ちょうど台所で調理の真っ最中。

ついさっきまで散歩に行けると喜んでいたのが、
そんなことはすっかり頭の中から吹きとんだようで。


花より散歩より、まずは食欲。

ブログタイトルを変更しました。

去年の更新頻度の低さを考え、もう少しブログを有効活用しようと考えた結果、ブログタイトルを変更し、話題の幅を広げてみることにしました。

更新頻度の落ちている理由のひとつが、写真の少なさです。
現状、写真撮影に使えるのが1台のスマホのみ、しかも、撮影者も実質自分しかいないことなど、諸般の事情からおどうしても似たり寄ったりな写真ばかりになる傾向があり、小太郎さんに関する新しい話題や題材を記事として扱うことが難しい状況です。もちろん、文章のみで良いのなら、話題はそれなりにありますけど、さすがにペットブログとしてそれはどうだろうか……と思ってしまいます。

そんなわけで、ブログで扱う話題を広げることにしました。
もちろん、中心的な題材はあくまで小太郎さん(とその生活)のことであるのは変わりませんが、少し、飼い主が日頃思っているペット(犬)関係以外の話題にも触れていこうかと思う次第です。

これまで活用していなかったカテゴリを使い、小太郎さんに関係する話題と、飼い主の雑記を分けます。おまえの考えていることなど興味がないと思われる方は「雑記」カテゴリは無視して戴けると幸いです。

今後とも、小太郎さんをよろしくお願い致します。

小太郎さんのごはん

小太郎さんが悪質なブリーダーの犬舎出身というのは、以前も書いた通り。
我が家に来た頃の小太郎さんはほぼ栄養失調状態、痩せっぽちで、あばら骨が見ただけで分かるほど浮き上がっていた。

そのことが大きく関係しているのだろう。
小太郎さんは食べ物に執着し、意地汚い。
おまけに異物を食べるクセもある。新聞紙やトイレットペーパーの類は、目の前にあればまるで当たり前のように食べようとする。仔犬だった頃は食糞のクセもひどく、それを止めさせるのにとにかく苦労させられた。散歩途中にうんちをするクセがついてからは、ほとんど収まりはしたのだけど、今でも油断することができない、

幼少期のひもじい思いが、そういう悪癖の原因になっている可能性は高いと思っている。というのも、そういう悪癖がある反面、美味しいものを食べたときの喜びようもまた、普通ではないからだ。飼い主が食事をしている際におかずを分け与えたりすると、リビングのソファに飛び乗り、身悶えして喜びを表す。実際、小太郎さんが「美味しかった」と言葉に出して言うわけではないから、それはあくまで推測に過ぎないのだが、その行動をするのはほとんどが決まったエサ以外の物を食べた直後なので、それを食べたことへの喜びを表している可能性は高いと考えている。

人間の食べ物は犬にはカロリーや塩分が高すぎるので、与えてはいけない。

そんな原則論は十分承知している。
しかし、ソーセージや焼き芋のかけらを食べ、身もだえして喜ぶ小太郎さんの様子を見ていると、またつい上げたくなってしまうのも確かだ。

犬の長寿を願うなら、健康に害のある人間の食べ物を与えてはいけない。
そんなことも、じゅうじゅう承知している。
だが、犬の長寿とは、果たして誰のための長寿なのか、そのことに疑問を感じることもまた、確かである。

犬には言葉がない。よって彼らには時間という概念はなく、その感得している世界は、おそらく永遠の今であるはずだ。彼らにとっては今この瞬間の体験こそがすべてであり、過去を振り返りも、未来を思い煩うこともないだろう。未来を予感しそのことに不安を覚えるのは、言葉のもたらす意味の世界に生きる人間だけなのだ。

その意味において、犬の長寿を願うことと、犬におかずを分けてあげたいと思うことに、どれだけの差があるだろうか? 犬が未来も寿命もない、『永遠の今』を生きていると考える以上、犬の長寿の意味はその犬自身の見出すところではなく、あくまで飼い主が望むことに過ぎない。つまるところ、犬の長寿を願うのも、犬におかずを分け与えたいと思うことも、飼い主の願望、言い換えればエゴであること変わりないのではないだろうか?

念のため申し上げておくが、飼い犬の長生きを願うことを否定するつもりはまったくない。
過剰なカロリーや塩分のせいで犬が病気になり、苦しませることになるなら、その苦痛はやはり飼い主の責任だ。犬を不要に苦しませたくなければ、飼い主がその健康に留意すべきなのはごく当たり前の話だ。

ただ、それでも……小太郎さんが食べることに喜びを表す様子を見ていて思う。
ひたすら、犬の長寿を願い、犬が欲しがる食べ物を与えず、それで数年寿命が伸びることにどれほどの価値があるだろう? 犬が「永遠の今」を生きているとする以上、むしろ、今の喜びを叶えてあげるべきではないだろうか?

一方で犬の健康を願い、一方で喜びを与えたい。

そんな二律背反を抱えてしまうのも、犬を飼うということの業を背負う、ということなのだろう。

だから自分は、今日も小太郎さんに自分のおかずをわけてあげる。
塩分やカロリーがなるべく悪影響を与えないように、その量を加減しつつ。

小太郎さんが喜ぶ姿を観たいから。