せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

晩飯

春の日差しにうかれつつ、とうとう今日は電車に乗って買い物へ行ってきた。俺はついにボストンバッグではなくキャリーケースを買うことに決め、念入りに念入りにメーカーのサイトを調べたりキャリーケースを扱っていそうなかばん屋を探したりして「これだ!」というやつを「これください!」と勢いよくゲットしようと意気揚々と出かけていったのになぜかその場で候補になっていたのと全然違うブツを見つけてそっちにひとめぼれして決めてしまった。俺はなんでこういつもいつも、自分で決めた予定をひっくり返してばかりなのだろう。予算も大幅に変更せざるを得なかった。うう。でもこの色がよかったんだもん。色が決め手なのか。あんだけ厳密に入れるものとかをシミュレーションして容量からサイズまでもきっちり決めたのに。でも色がよかったんだもん。いいのか?いいのだ。
で、さっそく帰りに駅前のスーパーでコシヒカリを買って、ケースに詰めてゴロゴロ引っ張って帰ってきた。ゆるい坂道が続くとけっこうつらいかもなあ。あと階段。だけど心底気に入った色のケースをゴロゴロ引っ張る俺は超ごきげんで、その勢いのまま今日はフライドチキンをおなかいっぱい食べようと4ピースも買って来たので、せっかく炊いたコシヒカリが食べられない。いいのか?いいのだ。

星追いの春

キャリーケースを買ったとたんに俄然、うきうきと旅気分が盛り上がってきた。偶然か、いやさにあらず、俺の多くもない見回り先のあちこちで旅という文字が先月末から踊っている。小さな町で偶然見かけて惚れこんだ美しい星座が、今は町とは別世界の夜で季節を奏でているそうな。どこまでもおっかけていきたい、おっかけていたいと思ったけれども、もう霧の中には誰もいない。星の遥か下で繰り広げられた祭りの花火の胸を突く匂いの中からはずっと、星が毎日またたいているのと同じように、ちっぽけな炎にも命があり、輝きもせず燃え広がりもせずゆっくりとその身を灰と醸してゆくのもまたその生き方である、あまりにも優しくそんな声が聞こえてきていたものだから、空が晴れる頃には俺は、ふらふらと中空をさまよっていると思い込んでいた自分の足が実はずっとずっと、同じ地面を踏みしめているということを受け入れざるをえなかった。
もう同じ踊りを見ることはない。そう思っても、きままな星の流れる先へと訪いその輝きを間近に愛でたいという誘惑に抗うことは難しい。いや、邂逅などせんから望んではいない。自分は地べたの上を這いずり回っている小さな塵埃なのだから。ただただ、同じ空を見たい。いや、見られなくてもいい。星の軌跡を見上げる土地へよろよろと。その空のもとにいられればそれでいい。

殺伐のつくり方in吉野家

買い物のためテンション上げていこうと昼には牛丼を食うことにした。そしたらなんか垂れ幕下がってて、牛丼300円、なんて書いてあるんです。
もうね、アホかと。バカかと。
案の定客席は満席寸前で、いつもこの時間には割と暇そうな店内がパニくってて、気分屋なのかスマイル度数が極端に日替わりのふくよかなおばちゃんと、まだちょっと日本語のおぼつかない中国人と思しきおねいちゃんがカウンターの中と調理場でてんてこまってる。しかもシフト組むときにこの混雑を予想していなかったのか店員の顔ぶれの中で一番目くばりができて動きの早い兄ちゃんがいない。
俺はなぜかそこで焦って、間違ったテンションの上げ方をしてしまった。店内の混雑を目にした瞬間、「ちっ」と舌打ちをしてしまったのだ。まるで、いつもの俺の席が埋まってるじゃねえか。常連の俺様の席が空いてないとはどういうことだ!と言っているかのように聞こえそうな舌打ちである。俺と目の前の数人の客のあいだに一瞬緊張が走ったような気がした。いやそんなつもりは、と思ったが、聞かれてしまった以上は今日の俺in吉野家は、やたら腹の虫の居所の悪い最近ありがちなキレやすい大人モードでいくしかない。なぜここで「いくしかない」と義務感を背負ってしまったのかは謎だが、テンションを上げたいという願いが斜め上に発露したと考えるほかはない。
注文はややぶっきらぼうに「並半熟」と一言。ああ、無意味なぶっきらぼうぶりだ。自分でもいたたまれなくなって、照れ隠しに目の前の湯呑みを意味もなく睨み付けて待つ。ああ、この殺伐モードを解除したい、と心底思った途端に混雑にも関わらず自分の注文した牛丼がスムーズに運ばれてきて、これで無駄に殺伐としなくてすむ、と半ばホッとして箸をつける。だがこのとき俺は自ら発動した殺伐モードの恐ろしさをまだ知らなかったのだ。
後から後から客が入ってきて、その多くが持ち帰り用レジカウンターへと並んだ。仕事の合間らしき若者と女性、それに天気がいいので花見でもしながら食うのだろうか。明らかに酔ったおっさんが数人。
アクシデントが起きた。一度に入店した客にパニクッた中国人のおねいちゃんが、カウンターの中から持ち帰り客のオーダーを取るという行動に出た。しかもレジ前に並んでいる客より後ろの客のオーダーだ。おいおい大丈夫か、と思っていると、オーダーを取られたおっさんは、前の客に譲るでもなく特盛を注文した。おねいちゃんはたどたどしくオーダーを復唱し、「イヂョウで」と言葉を添えたのが裏目に出て、これを注文が「一丁」と勘違いされたものと誤解したおっさんが「いや二丁だよ、特盛二丁、二つね」と返した。俺は心の中で「わかっとるがな!」と突っ込んでしまい、自分の脊髄反射っぷりにイライラしたためにさらに俺の中の殺伐メーターが上がった。
おねいちゃんはうろたえつつも伝票を手に調理場へオーダーを入れようとしたが、ここで少々舌に勢いがついたとみえるおっさんがさらに畳み掛けた。「ごはん少なくていいからね、生姜も唐辛子もいらん」「ハイ」「ごはんはちょっとでいいから、肉を多くしてね、肉多めで。ワッハッハッハ!!」
その笑い声が俺の殺伐メーターを振り切らせた。
「バッカじゃねーの」
よどみなくこの一言が口から出た。隣の客が驚いて俺を見たのが気配でわかった。それで我に返った。ああ、だめだだめだだめだ、殺伐モードはだめだ。俺がとことんダメになる。恥ずかしさに頭にカーッと血が上るのを感じながら、顔も上げずにワシワシと飯をかきこんだ。特盛のおっさんには聞こえていなかったようだ。よかった。もし聞こえていたらUの字テーブルを挟んで喧嘩になっていたかもしれない。刺すか刺されるか、そんな雰囲気になっていたかもしれない。ニュースになったらブクマされて[リアル吉野家]とかタグつけられたかもしれない。ブクマコメントに、もうね、アホかと(ryとか書かれるかもしれない。そうなったら俺はもうだめだ。まっさきにブクマコメントが脳裏に浮かぶ時点である意味すでにもうだめだとか思ったのだが、とにかくそれで俺は殺伐モードを鞘に収めて勘定を済ませた。360円とひきかえの、牛丼と半熟卵と甘く危険な殺伐の誘惑。
オーダーの順番をすっとばされた若者が調理場の混乱からか更にすぐ後ろの女性に順番を追い越されていて「おかしくないですかー?」と不満を述べていたのだが、店員のおねいちゃんは無表情に「ゴメンナサイネー」と謝っていて、いつもより丁寧に謝ったつもりでもこういう場合には馴れ馴れしく無礼に響いてしまうその語感が若者の神経を思いっきり逆なでしているのを横目に店を出た。