近況感想

いかん。まことにいかん。
最近ネット論戦ばかりやってしまっている。こんな争いばかりやってるわけにはいかん。


本当はもうちょい人の心を動かすような、「ああ、見てよかったなあ……。」とか「おお、この発想は良いね!」と思ってもらえるような文章や論考が書きたいというのに、なんで論争ばっかになりますかね!! 俺の日頃書いてるテーマが悪いのか。つーか、そういう運命なのか。
(いや、まあ俺が悪いんだけど)


とりあえず、気分を入れ替えて、カルマが上がりそうなエントリを下げるためにも、この感想エントリにてsage。

非コミュと蟻の話

最近話題の非コミュ論に手を出してみる。


光と風と明晰夢 - 非コミュとは固定した属性ではないのかもしれない


現視研という場においてコミュ強者とコミュ弱者の力関係は逆転している。
はてな匿名ダイアリー - Lingrで感じる非コミュ感

増田のチャットをLingrでやっているのをROMっていると、非コミュ感を思いっきり体験出来るのでお薦め。
会話をしているのは大抵常連で、常連どもが振るネタか、あるいはレスを返すネタにしか結果として参加出来ない、楽しめない。
どんな場所にも常連っているけどさ、増田という場所は顔を隠してナンボだろう。
時間がちょっと出来たときに気軽にチャットを楽しみたいと思っても、自分が楽しめる話題でないと入りにくい。
この二つの話を聞いて思い出したのが、蟻の労働の話。
いわゆる2-6-2の法則というやつ。


労働問題リサーチセンター講演メモ - 「労働を中心とする福祉国家の構想」


ちなみに、社会生物学者によると、2−6−2の法則というのがあって、蟻の集団のうち、一生懸命働いているのは2割、怠けているのは2割、適当に仕事をしているのが6割なのだそうですが、その2割の勤勉な蟻だけ連れてくると、やはりそのうち勤勉な2割、怠惰な2割、普通の6割に分かれるのだそうです。最初の怠惰な2割でやっても同じ結果だそうで、身につまされるところもありますが、世の中とはそういうものであるようにも思われます。
これを人付き合いに当てはめると、

  1. 人付き合いにのめり込んでるのが2割
  2. 適当に人付き合いやってるのが6割
  3. うまく人付き合いできないのが2割

となり、

  • 人付き合いにのめり込んでる2割の人間のみでコミュニティを作ったとしても、2-6-2に分かれる
  • うまく人付き合いできない2割の人間のみでコミュニティを作ったとしても、2-6-2に分かれる

という法則も適用される。*1

自意識の問題を添加

ここで「自分は人付き合いが苦手だ」という意識を”現在進行形”で持っている人間を想定すると、たぶん「2の人間の一部」と「3の人間」がそれに当たる。
さらに、それを悩みにしているかどうかで”非コミュ”になると言えるんではないだろうか。*2


参考:非コミュ - オレ理論


他者との社会的関係性が能動的・受動的に関わらず、絶たれている、もしくは殆ど繋がっていない状態・その状態に陥っている者を指す。主に、当事者内における他者に対する心理的な態度・姿勢を定義したものであり、慣例的な社会的行動・コミュ行動を実行する能力の有無とは関係はない(この辺が はてなダイアリーでのキーワードの定義と異なる。つまり、コミュニケーションスキルの有無を基準としているわけではない)。学校、会社などにおいて、普通の人(非・非コミュ)と変わらない生活を送っていながら、クラスや職場の人々と深い交流・関係性を築くことができない、もしくは積極的に行わない場合も軽度の非コミュとしてカテゴライズされる。故に、一見、通常のコミュニケーションが行われているようでも、心理的な側面において、周囲との関係性が絶たれている(いわゆる"浮いている"状態)場合は非コミュと認定する。
ただし、一般的にコミュ能力は日常のコミュニケーション行動の頻度に依存するので、コミュ能力の欠如=非コミュとして認識されることが多い。
なお、重度の非コミュは精神病や犯罪、引き篭もりなどと共に述べられることが多いが、筆者はそのような非コミュの扱いに違和感を覚えていることをここに明記する。

*1:実際はこの数字であるとは限らないけども

*2:しかし、この限りではないところが非コミュ論の難しいところ