高校時代に親友のキズキ(高良健吾)を自殺で喪ったワタナベ(松山ケンイチ)。誰も知っている人がいない環境・新しい生活を求め、彼は東京の大学へ行く。
本を読み漁る生活に浸っていた彼は、ある日偶然キズキの元恋人、直子(菊池凛子)と再会する。2人は次第に惹かれていくのだが、キズキの死がある種の暗い影となり、直子に喪失感を与えていたのだった。
また、ワタナベは大学で出会った緑(水原希子)にも同時に惹かれていく…
観賞日
2010年12月28日
【70点】
まず、ひとつ前提として。
私は恥ずかしながらこの原作を見ておりません。というわけで、今回は未読者による目線のレビューということで。
全体として感じたのは、
映画を観ているのではなく、「小説」を"観ている"感覚だった。
つまり、小説を映画化したのではなく、この映画のワンシーンワンシーンが小説のワンページのようになっている。
自分はこの映画を観ているときは、
常に紙の本を意識して、この風景・人物にはこのような注釈・書き方がなされているのだろうなという思いを抱いた。
常に考えなければならない。多分何も考えずに観ていたらするするっと頭を通り抜けて中身が無いように感じてしまうだろうから。
だが、意識してみればかなり色々なものが見えてくる。
小説という媒体で本来ならば文字化され、説明されているであろう事柄も映像ではなんとなしに表現されてしまう。
例えばそれは、直子の異常なまでの歩くスピードの早さであったり、ワタナベの口癖であったり、書置きを残して去ったワタナベの大学寮のルームメイトであったりする。
それらに対して登場人物はやぼったい説明はしない。つまり、こちらが解釈し、飲み込まなければならないのだ。その作業が常に必要となる映画なので、原作未読でかつ、考える映画がお嫌いな方にはオススメできない。
さらに言い回しもくどかったり、やたら文学くさいのも「小説」に近いからだろう。
見始めたあたりは、いちいち台詞に違和感がつきまとっていてうっとおしかったが半分くらいで慣れたのでどうにかはなった(笑)
gooの映画評で20点をつけている学生の方がいたが、カップルで単純に恋愛映画を楽しみに観たのならそうなってしまう。
この映画では、メインとなるのは喪失感だ。
しかも描かれるのは、肉体的愛と精神的愛が一致しないこと。理想はそこではあるが、そうなることはめったにないというのが今作で主題となる。
だから、そういうシーンや台詞が多い。ていうか正直こんなに性的要素が多いとは思っていなかった。普通隠すような表現も、おおっぴらに話され、表現される。
これがベストセラーで共有されたってことは、さぞ世間的にエロ話にも花が咲いただろう。
なんといってもシーンが目まぐるしく変わる中で最初に一番長いシーンだったのが、ワタナベと直子の交わりのシーン。しかし作品全体のテーマを考えると性交のシーンに時間を割いたのは明らかに確信犯的。
その後もそういったシーンではけっこう時間が割かれる。
本音としては、「下ネタ多すぎだ」と劇場で思ったのだが…
今作の特徴的な点は、
ヴェトナム系フランス人トラン・アン・ユンが監督で、中国人マーク・リー・ピンビンが撮影、さらに音楽はレディオヘッドのジョニー・グリーンウッド。
まさに国境を越えた映画。
いかに村上春樹が世界で評価されているか分かる。
その上で、日本の四季が背景となり、素晴らしい映像美がつくりだされる。
なんて素晴らしい化学反応か。個人的にこの映画で一番評価しているのは、この映画を映像化にまでこぎつけたアスミックエースのプロデューサーだ。
国際的な制作陣に加えて、
ビートルズの楽曲というハードルの高さも含めて、いかに困難な道のりだったのだろうか。想像もつかないレベルだ。
ワタナベを演じた松山ケンイチは想像通りの演技を披露。
ふわふわとした物腰や口調が、第三者の立ち位置にいることの多い彼を表現できていたのではないか。
特筆すべきは、直子を演じた菊池凛子。
精神的な不安定さをもつ直子を多種多様な表情で演じた。
陰と陽の両面が垣間見える彼女の不安定さは、台詞の言い回しだけでは演じることは出来ない。しぐさ・表情・言葉の抑揚、それらが一体となって映像に移ることで完成する。
今にも消えてしまいそうな声でしゃべる(呟く)直子には、怖さと魅力の両方がある。
常に背反する要素を兼ね備える彼女こそやはり、今作自体を象徴する存在なのだろう。
点数が低いのは、
すこし冗長的かなと思ったのと、下ネタ関係が自分の想像よりも多かった点、
そして緑のキャラクターに何となくイラついたからだ。