英国王のスピーチ

これは、第二次世界大戦直前の、英国王ジョージ6世の物語。

ジョージ6世(コリン・ファース)は、幼い頃からずっと「吃音」という人前で話せなくなるコンプレックスを抱えていた。だが、彼はジョージ5世の次男という王族の身。そのため人前でスピーチしなければならない場面もしばしばある。

しかし何人のもの言語聴覚士による治療が失敗してきた。妻であるエリザベス(ヘレナ・ボナム=カーター)はそんな彼を心配し、専門家ライオネル(ジェフリー・ラッシュ)を訪ねる。ライオネルは王の吃音の原因に気づき、これまでになかった方法で治療を試みる。やがて心身ともに解れ始めた王に全国・全植民地に送る「最大」のスピーチが待っていた…

観賞日

2011年3月1日



【87点】









アカデミー賞をとった今作は、アカデミーらしく良い意味で「古風」な映画だ。

映画として、新しい試みをした「ソーシャルネットワーク」と対をなす存在であり、私個人の印象としてはどちらも非常に高いレベルで「どっちもどっち」だったと感じる。
どちらも本年を代表する傑作であることに間違いはない。


保守的なアカデミーだからこちらを作品賞に選んだのだろう。















この作品は映画として凄まじいスペクタクルな展開やアクションが待っているわけでもない。ましてや3Dで飛び出すわけでもない。


本作は、映画として大きな意義を持っている、と思う。

それは「人の心を動かして、観る人の世界をほんの少し変えてくれる」こと。

















英国王のジョージ6世が吃音という障害を、ライオネルの協力を経てなんとかしようという筋書き。
スクリーンにいたジョージ6世は、テレビで流される優雅なロイヤルファミリーの姿と違い、私達と同じ悩み苦しむ存在で生身の人間だ。



悩み苦しむ描写が非常に丁寧で、共感を誘う。
国王といえど、恥ずかしさも怒りもプライドもある。そして自分自身に対する自信がないという、「影」が心を覆っている。

ライオネルは、ただ治療することではなく彼の心を理解することに重点を置き、彼に自信を持たせようとする。


吃音は、精神のストレスによって起こりうる。すなわち自身の心を理解することが最も重要だ。自分という存在を理解し、自分に自信を持つ。それが人間として成長することだ。





当たり前といえば当たり前のことだが、この物語が事実だったことが私達の心により一層響く要因となる。特に終盤に待つスピーチには。


そして、観終わった私達の心を少しでも暖かくさせてくれる。
「自分も何かやってやろう」という勇気を与えてくれる。

















今作のMVPはなんといっても、アカデミー主演男優賞を獲得したジョージ6世役のコリン・ファースとライオネル役のジェフリー・ラッシュだ。

この二人の映画といっても過言ではない。というか登場人物は少ないからそうなるのは当たり前なわけだが。


苦悩の王を演じたコリン・ファースは秀逸。吃音の演技はもちろんとして、自分自身に怒りを覚え悶々としている。(タバコを良く吸う描写はそこからだろうか?)
だからといって気弱すぎるわけでもなく、英国王の気品も兼ね備えている。






もっとキャラが濃いのは、言語聴覚専門士を演じたジェフリー・ラッシュ

英国王に対しても容赦なく接し、対等な立場からズバズバとものを言う。
その言いっぷりが爽快かつユーモアがあり、ある意味平坦な物語にスパイスを与えてくれている。

しかも、治療法もユニークなものばかりで笑わせてくれる。






この2人の関係性が、英国王と英国に移住したオーストラリア人というのも中々だ。

プライドの高い(という印象を受ける)昔の英国人。
絶対に交わらない2つの人生が交わった奇跡を考えてみるとこれもまた面白い。
























以下、ある意味のネタバレ注意。そんなにたいした事ではないけど。

下にスクロールしてください。




































彼自身がシェイクスピアなどに憧れを抱いていた。マニアといえるほどシェイクスピア
傾倒し、舞台役者も志望していた彼だが、劇中であっさりその夢は打ち砕かれる。

そのエピソードも物語に重層性を持たせている。



ライオネルもまた、ジョージ6世に自分の夢を重ねていたのだろう。自分が劇で果たせなかったロイヤルファミリーの物語をジョージに実現してほしいという願い。

それが強すぎて途中ジョージと衝突してしまうわけだが、一度衝突して2人が自分に正直になり仲直りするのもまた良しだ。















またこの物語をより説得的にしているのは、
ジョージ6世は、結局のところ吃音を完全に克服できはしなかった点だ。



障害というものは簡単には克服できるものではない。
2時間の尺の中で、「見事直りました!」って言われてもイマイチ説得力がない。


だからこそ完全に直らなかったという形をみせたのが良かった、と思う。
それが自分を受け入れて前へと進んでいくことなのだから。