モンゴリアンの符牒

 2006年1月の朝日新聞から。
 逮捕された長崎県警の警部補。駐在所の門扉をはずした犯人を自白させるために、公務員ふたりに拳銃をつきつけた容疑。
 しかし、なぜに公務員が駐在所の門扉をはずさなければならなかったのか。また、門扉をはずされたことが、拳銃をとりだして怒るほどの屈辱的なメタファーだったのはなぜか。長崎では、にっくきやつに泥を舐めさせるような屈辱を与えるときには、そいつの家の門扉をはずすというしきたりがあるのか? あるとしたら、それは江戸時代から、あるいは隠れキリシタン時代の風習のなごりなのか? 門のないやつの場合は、はずすのは窓でもいいのか? 門よりもすごい侮辱、たとえば屋根をはずされた一族は末代まで村中の笑いものとか、そんな禁じ手はあるのか?
 まことに疑問はつきない。
 また、この警部補には逮捕前から多くの苦情が寄せられていた。そのひとつが、
「勤務中にモンゴリアン、モンゴリアンと言って歩いていた」
 ほんとか?!
 このような苦情をまじめに説明している住人がいて、それを真剣な面持ちでうなずきながらメモをとっている警官がいたということがまず驚きである。ある意味で治安がいいのかもしれない。しかしやはり門をはずされたぐらいで警官が公務員に銃をつきつけるのは穏やかではない。目の前で銃から実弾を抜きだして、
「本物ぞ」
 と言ったとのことだ。長崎弁が迫力ある。
「モンゴリアンぞ」
 とも、言っていたかもしれない。
「ホンモノのモンゴリアンぞ!」
「産卵期になって川をのぼってきた天然のモンゴリアンぞ!」
 しかしやっぱりなぜ「モンゴリアン」なのか。モンゴリアンとは歩いていた警部補にとっていて何だったのか? モンゴル人? モンゴルの女? だが勤務中だ。女じゃあるまい。やはり犯人か。犯人像がモンゴリアン。モンゴリアンに隠された符牒(ふちょう)。なんか、ダヴィンチコードみたいになってきた。
 符牒といって思いついた。
 「門」と「モンゴリアン」における「もん」の共通音。モンゴリアン教信徒である警部補に対する切支丹一派による迫害の構図が浮かんだ。門のメタファーはモンゴリアン教に対する警告にほかならない。解けた!
 僕はブロンドのガングロ秘書に言った。
「矢島クン、これから長崎に飛ぶぞ」
 

CB1100Rインプレッション

1982年製。すでに四半世紀を経ようとしている機械である。
公道に放たれたレーシングマシンであり、張りつめたアウラはいまだに色褪せていない。かえっって時を増すにつれ、古酒のように力強い酸味を募らせているように思う。
2005年秋にドカティ998Sボストロムと、ほぼ等価交換で手に入れた。「休日のおとうさん」の絵になりそうなオートバイということで、家族投票で購入を決めた。このいきさつについては「クズ鉄のココロ」に記した。
クラシックカーを所有するにあたっては、なんといっても信頼できるショップが近くにあるかどうかが重要だ。メカについてまるで素人の僕がこいつと安心して付き合っていけるかどうか興味ポイントである。

【カスタムリスト】
ミクニ社製TMRレーシングキャブレター
OVER社製アルミスウィングアーム
ブレンボ社製ブレーキマスターシリンダー
オーリンズ社製リヤツインショック(リザーバータンクつき)
オーダーメイド・チタン&カーボンフルエギゾースト
セミスモークスクリーン

最初からこれだけのカスタムがされていた。前のオーナーは趣味が合う。ツボをおさえていて、アクがない。全体に再塗装がなされていたが、マニアではないので、別にかまわない。売りに出すときマイナス査定要素となるぐらいか。
ショップの納車整備もかなりしっかりしたもので、トラブルもなく、これが四半世紀前の旧物かと思うぐらい調子がいい。ふつうすぎて気抜けがしたほどだ。使えないことはなかったが、おもに気持ちの問題として前後のタイヤ交換だけは行なった。
レーシングキャブレターのフィーリングは、やはりグッとくる快楽。FCRキャブレターはいくつも使ったが、TMRははじめて。FCRより耐久性が高い分、フィーリングで劣るかと勝手に想像していたが、じつに不当な先入観であった。
 さらに、一般型のTMRの他に、CB1100R用としてブラックボディに赤いヘッドが卑猥なほど魅力的なヨシムラMJNのTMRが現在まだ販売されているようだ。いつかはこれを狙いたい。古いエンジンなので、あわせて現状の直キャブ仕様からファンネル仕様にも変更したい。

 大味なギヤレシオ、エンジンのがさついた感じ、ライディングポジションのフィット感のなさは、すべてこれがクラシックカーということで美点となる。
 タンク容量はすごい。贅沢なアルミタンクである。データがないので正確なことは分からないが30リットルぐらい入るのではないか。燃費もいいので、400〜500キロぐらい航続できる。
 一方、取り回し、積載性、旋回性といった実用面はお世辞にもいいとはいえない。また、タコメーターがアル中老人の指先のように、ぶるぶる震えながら目盛りを指すさまが、せつなくいたわりの情感を呼ぶ。
 ワイヤークラッチはかなり重い。僕のはRC型だが、翌年に出された最終型のRD型では改善されているようである。
 サイドスタンドにしまりがないのが、ちょっと困る。こればかりはテイストでは済まされない。停車中に強風にあおられてオートバイがわずかに前進し、サイドスタンドが粘らず倒れた。サイドスタンドをかけた状態で、試しに後ろから軽く押してみると、あっさりとスタンドがはずれた。しかしこれもクラシックカーとの付きあい方が甘かったということだろう。ギヤを一速に入れて停車する癖をつけよということである。
 今のオートバイのように気合いらずで速くは走れない。が、もちろんそれも美点である。この圧倒的なアウラ(存在感)の前では。