輪るピングドラム13話〜確固たる存在の確立〜

輪るピングドラムは小道具や装置(物に限らない)が記憶や存在、つまりフィクション特に映像における現存に関するものなので観ていて混乱することがない。その上での圧倒的ドラマツルギー

『僕と君の罪と罰
脚本:幾原邦彦伊神貴世/絵コンテ:幾原邦彦・古川知宏
演出:市村徹夫/作画監督西位輝実

構成

内容に踏み込まずに台詞で追っていくと、

アバン【独白(晶馬)】

A【会話(現在→過去)→電話→テレビ→一言会話(現在)→独白(晶馬)】

B【独白(眞悧)→一言会話(現在)→テレビ→電話→会話→独白(苹果)】

引き【会話】

というお手本のようなA→A'→B→B'の構成(会話とかそういう順番)。独白で始まり独白で終わるのもスッキリする。
何で台詞で見たかというと、拙い自分のを挙げるのは気が引けますが(こちら)、序盤で注目した点が「脚本と日記」だったからでもあります。簡単に述べ直すと、劇(ドラマ)として重要なのが脚本で、*1それは運命と行動を示す物なので苹果の日記に対応しているということです。
そして、9話での陽毬の過去と大量の本で記憶が示され、6話・10話・11話では記憶を消す物の存在が示される。
それらを受けて陽毬の2度目の死という出来事が起こる12話での晶馬の物語を読むような独白、苹果への過去の告白によってその脚本の利用が変わってくる。今度は「声」なのだ。
脚本の人間に関する部分である行動を示すものの中では、その存在を現す台詞はとても重要なのである。
それによって、言い方はおかしいが「現存し始めた」人間としてのキャラクターのこれからの行動に注視せざるを得なくなる。


「現存し始めた」を表すものとして、冠葉や最後の苹果の意思表明も非常に重要であるが、もう一つ注目に値するシーンがあった。
それはBパートからの眞悧の独白シーンである。台詞の中に「声が聞こえた」というのもありますが、ここで注目したいのは光である。
9話でもここは本棚を背景にした印象的なピンスポットライトのような正面からの光源があったが、今回もそれがあり、しかもムービングライトであった。ムービングライトは動く人間を捉えるためのもので、これから動き出す物語をも予見させる。
そして、最も重要なことは眞悧はその光に捉えられても消えないが、そこで共に映しだされていた少女(桃果?)は後に消えてしまったことである。
ここの現存については、その後の真砂子の明るいところと暗いところについての台詞がよく示していると思うし、放送での成長したアイドルの姿も人間の姿で映しだされているのも同様である。*2


今回は発話する姿が映し出されないボイスオーバーが多用されていたが(口元まで範囲を広げられたらほぼ全編)、ボイスオーバーを/でここまで見せられる人なんてそうそういないんじゃなかろうか。
そして、そのすべてを受け止めるのが最後の引きである。ここはガラリと雰囲気を変える。冠葉の口元が大写しにされ、カメラまで揺れ始める。苹果の意思表明の独白から一気に人間として浮かび上がってくる。人間の、愛のそういうことが見えてくるのだ。
人間として浮かび上がってこなければ、薄い関係のままで終わってしまう。
これからの登場人物たちの行動、脚本(既存の言葉)という運命にどういう行動を取るのかが大変楽しみです。

おまけ

Aパート最初の心電図のピー音が最高だった。CarpetMusicsの『Sleeping (On Trains)]』かとおもた。

Carpet

Carpet

*1:もちろん演劇の脚本と映像の脚本は全く違っているが、それを言い出すと大変なことになるので、ここでは「劇(ドラマ)」という一言で収めたい。

*2:高倉家の家宅捜索のテレビ放送でも高倉家の名前がしっかり映し出されているのがこれを予兆させていた。