花咲くいろは 第10話

 次郎丸がまじめに仕事をしているところを初めて見たような気がする。
 出だしの静けさといゝ、病気で寝込む描写といゝ、静かな雰囲気を主としながらも、だからといって退屈することも無い。緒花の病気をネタに、気遣う様子気遣われる様子を描いていたが、クライマックスは「必要とされる自分」であった。前にも必要とされて奮起するなこちーの描写があったのだが、最近このテーマは食傷気味だ。
 自分なんていなくても職場は回る、だからいなくてもいゝという自己嫌悪がどうしてこういろんな作品に頻出するのか、ちょっと考えてみたが、あ、なるほど、昨今の厳しい就職事情なのかと気付いた。現れ方は反対になるのだが、この作品のターゲット層が基本M1およびF1層であるということを考えると、企業などで「おまえなんて居なくても、かわりはいくらでも居る」といった暴言を吐かれるという形で存在自体を否定されることが多い現状を鑑みての描写なのだという気がする。雇用状況が悪化の一途を辿っている現状、ブラック企業では日常茶飯事なんだろう。冒頭の緒花のがんばっている姿が泣かせる。現実の若手社員もそうなんだろう。若手は経験が無いなりに頑張っているのに、理不尽な上司に存在自体を否定される暴言を吐かれ、やる気をなくしてしまっているという状況があって、そういう層に対しての応援歌的要素が強いと思う。
 なんつーかね、自分はオッサンでもアニメを見てたりするんだけど、たぶんこういう描写を目にする必要があるのはむしろパワハラ層なんじゃないかと思うのだ。自分の職場でもバブル期に就職した層が、組織のほころびをなんとか補修しようとしている若手に向かって「あいつはわかってない」とかホザく場面を見て気分が悪くなったりする。そのバブル期の層は、じゃぁそいつ自身仕事が出来るか?というと、成果もあげられないし実績も無い、判断も硬直化していて周囲を振り回すだけの酷いのが一人いて、それが重職についているために現場も上手くまわらないし、雰囲気も沈滞化している。そういうのが管理職の覚えがめでたいからと、オレの指示は職務命令だから全員いうことを聞けってなもんで、わりと小さな失敗が多いのだが、指示間違いによるミスも他人に責任転嫁。そういうのが大抵人を陥れる発言をするもんだから一部の顧客も体制を見限っている様子。そいつが「おまえは使えない」とか言ってるもんだから、なんだかなぁといったところだ。
 なんつーか理想の管理職といったところで、やはりスイを俎上にのせるべきなんだろう。まづビックリしたのが緒花をぶっとばす場面だ。スイは従業員に手を上げるのが常習化しているのか?と思ったのだが、その後そういう場面をみない。たぶん緒花が身内だから容赦なく手を出せたんだろうと思ってはいるが、もしかすると手を上げてたのかもしれないな。いや、なこちーなんて叩かれたら辞めそうなんで、そこらへんスイの判断力を考えると、やはり手をあげてないんだろうとは思うが。そうやって厳しいキャラクターであるってことを示していたんだろう。その後今話に至るまでの描写を見る限り、どうも商売に対して透徹したものをもっているようであり、緒花に対する態度もごく初期から認めているように見える。緒花自体が自分で考えて行動するキャラのせいか、あれこれこうるさく言わず、要所要所を押さえている様子。馴れ馴れしくは出来ないが、やっぱ一種の理想の管理職(経営者)の姿を描いているように思う。それとも壊れたスイを今後見せてきたりするんだろうか?。トンチンカンな上司として祟子が描かれているが、コンサルなんで喜翠荘の従業員に対しての重要度が低くて、また常駐してなくてラッキーだよな。
 いや、みんちーの嫉妬振りがまたかわいらしかったな。もちろん緒花の人のよさがみんちーを柔らかくしているってのもあるんだけど、作品の雰囲気もみんちーのキャラもどちらも壊さないってとこも、どちらも感慨深いというか。

職場でふと思いついたのでメモ。

 自分でもなにやってんだ?とは思ったが、最近結構頭に浮かんでしまうと10分ほど頭を離れないイシューなんてものがある。まぁこのはてブもチラ裏というか個人的メモということで勘弁願いたい。
 なんで中国旅行のことが浮かんだのか謎ではあるのだが、そういや中国で映画はどうなってんだろと思いついたのだ。自分が中国で映画を見たのが10年ほど前、たしか荊州だったっけ?、確か潜水艦モノだったと思うんだが、それを入れ換え式の映画館で見た記憶がある。で、桂林を中心に旅行した時に、そういや映画館って一軒陽朔で閉鎖してロックアウトされた姿の建物しか見なかったな…と思い出したのだ。もちろんこの前の旅行でも、内陸部の娯楽の無いようなところでも街の中心部には無かったよなと思いつく。いや、もちろん自分が見つけられなかったゞけで、実はあったのかもしれないのだが、いや目にしなかったという事はやっぱり駆逐されちゃったんじゃない?という風に思ったのだ。
 代わりにといってはなんだが、街中にはネカフェがたくさん出来ていたし、そのネカフェでちょっとした映像作品を試聴することもできるので、それがとってかわったのかなと。いやね、だとしたら、むしろ日本は映画館ってのがよく生き残ってるな…さらに言えば邦画がよく生き残ってるな…と感心してしまったのだ。もちろん中国でも映画がつくられないことはないのだろうが、きっとものすごい勢いで映画館ってモノが払底したんだなという事実が結構衝撃ではあるのだ。
 たぶん映画館自体は戦前からあったと思うのだ。それが改革開放後の中国でも市民の娯楽として生き残っていたはずなのだ。自分が学生の頃の地球の歩き方中国編には、中国では映画がポピュラーだから是非体験してみようなんて記事があったと思う。それがたぶんこの10年で絶滅に近い形で無くなったんじゃないかという気がしてならないのだ。あれだけ人口が多い中国ですら、こうあっさりと切り捨てられるってのがね、なんかもう無常を感じずにはいられないというか。
 ま、なんか結論があるってわけでもなく、たゞ、気がついてしまったなということで。いや、もしかすると生き残っているのかもしれないが。

さて、野田政権への判断は早すぎるかな。

 うーん、実はあんまり印象はよくない。空き菅が酷かったせいか、やはり財務省を経由して総理大臣になったってのはあんまりねぇ。空き菅も酷いとは言ってはいるが、じゃぁ自民盗に比べて悪かったか?と言えば、それほどでもといった感じはあるし。
 で、野田の印象を一言でいえば、


 カネカネカネカネカネカネ


 だ。小沢派が忠告していた約束を守れといった言葉に耳を傾けるわけでもなく、ひたすらコイツは増税をしたいんだなとしか思えない。なんか目玉になる主張があるのかと言えば、あるのかもしれないが、やはりイメージは「カネくれ」としか言ってないような感じだ。いや、もうなんかね。ある意味清々しいんだけど、ホント政治屋ってこういうヤツばっかなんかねと思うと…。いや、まだ鳩山はいゝんだよ。彼が代表の時に選挙があり、その選挙公約に期待して投票もしたし、彼が総理大臣になってその公約も次々と実現してきたし、無理っぽくても努力はしてたろ。で、空き菅はどーなの?、野田はどーなの?。空き菅も野田も、別に国民に選択権があったわけじゃないぜ。民主党が内部の勝手な判断で、国民に対しては問答無用の形で総理大臣にしゃしゃり出てきたワケだよ。で、そいつらが公約を守ろうとしたか?。してねぇだろ。で、口を開きゃぁカネ・カネ・カネ。アホかと。