批評の手帖

2018-04-14

『表現者クライテリオン』5月号—「西部邁・永訣の歌」が4月16日に刊行されます。

 4月16日に『表現者クライテリオン』第二号―「西部邁・永訣の歌」が刊行されます。
 奇しくも西部邁自殺幇助者逮捕直後の刊行になりましたが、今、改めて自分の「西部邁論」を読んでも、修正の必要を感じません。それが、なぜなのかについては、読んでいただければ分かって頂けるものと思います。
 いずれにしても、今回の特集のために総勢64名もの方々から文章を頂くことが出来たのは本当に有難いことでした。左翼から右翼政治家から漫画家、学者から評論家、そして西部邁の因縁の敵から長年の友まで、この特集に集って下さった執筆者の方々の努力によって、「西部邁という多面体」「西部邁という謎」を浮き立たせることが出来たと考えております。西部邁についての「アルバム」「年表」「書誌」「付録」などもついて永久保存版としての価値もあるかと思います。藤井編集長を先頭に各編集委員も汗をかいてようやく仕上がった「追悼号」です。是非、お買い求めください!
 以下は、64名の執筆者の方々のご紹介と、もう一つ、この度の「西部邁自殺幇助者逮捕」のニュースを受けて書かれた私自身の意見表明(表現者クライテリオンメルマガ記事)です。私自身の「けじめ」として、この個人ブログでも発表させて頂きます。

表現者クライテリオン』5月号—「西部邁・永訣の歌」執筆者一覧(敬称略、おおよそ年齢順—長幼の序)
第一部―「西部邁を論ず」
 佐伯啓思富岡幸一郎小浜逸郎橋爪大三郎松原隆一郎、三浦小太郎、佐藤健志藤井聡、柴山桂太、村上正泰、中島岳志浜崎洋介、川端祐一郎、
第二部―「西部邁を追悼す」
 森田実野中郁次郎浜田宏一長崎浩、東原吉伸、中山恭子榊原英資、原洋之介、高山平一郎、佐高信脇雅史、大石久和、竹村公太郎、呉智英、宮本光晴、福田逸三田誠広上野千鶴子、芦澤泰偉、佐藤洋二郎、スガ秀実水島総中沢新一、杉原志啓、御厨貴、青山恵子、高澤秀次西村幸祐寺脇研小林よしのり東谷暁新保祐司、伊藤貫、前田雅之、木村三浩、雜賀風紗子、西田昌司、上島嘉郎、藤沢周中沢けい、澤村修治、辻本清美兵頭二十八、八木秀二、占部まり、森川亮、藤原昌樹、施光恒、毛利千香志、適菜収楊井人文

※以下は、4月11日に「表現者クライテリオンメールマガジンとして配信された「西部邁自殺幇助者の逮捕を受けて――『表現者クライテリオン』が問われること」(https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180411/)の全文です。念のため、このブログでも再掲しておきます。

 こんにちは、浜崎洋介です。
 今回は、予定を変更して、編集委員としてというよりは、私自身の「けじめ」として、二人の逮捕者を出した「西部邁自殺幇助事件」に触れざるを得ないと思っています。

 正直に書きます。少し前から私は、西部先生の自殺に関して、その幇助者がいるのではないかという噂を耳にしていました。ただ、そんな噂を耳にしはじめたのは、全ての追悼文と西部邁論(次号『表現者クライテリオン』に掲載予定)を書き上げた後のことで、自殺幇助の噂を聞いてから西部先生について書くのは、これが初めてのことになります(とはいえ、「西部邁論」の内容については、今なお私は、その訂正の必要を認めていませんが)。

 そこで、まず明確にしておきたいのは、今回の西部先生の自殺から、自殺幇助の疑惑報道、そして幇助者逮捕に至るまでの経緯のなかで、私が、どの段階で、西部先生に対する決定的な違和感を抱いたのかという点です。

 既に追悼文などで明らかにしていることですが、私は今回の「自殺」それ自体に関しては、特に問題にしてきませんでした。「保守」と「自殺」は矛盾するのではないかという話もありますが――つまり、自分より大きなものとしての「自然」(生と死)を受け容れ、それに従う姿勢を取るのが「保守」だろうとの趣旨だと思いますが――、私は、言行一致さえ果たしていれば、あとは西部先生と周囲の納得の問題だろうと考えていました。

 というのも、「自然」とは、人間の意志程度のものでどうにかなるものではないからこそ「自然」と呼ばれているのであって、人一人の「自殺」程度のことで、「自然」に逆らうも逆らわないもないと私は考えていたからです。言い換えれば、西部先生の今回の「自殺」は、「自然」に従う/逆らうという規準で考えるべき話ではなく、予め人間に与えられた「自然」のなかで選択された一つの行為として、まさしく「時と所と立場」によって、その適否(その自然さ)を見定めるべきものだと考えていたということです。

 また、自殺幇助についても、西部先生と幇助者との間に、もし契約関係があったのなら――つまり、幇助者がやくざ右翼だった場合には――法的な問題はさておいても、絶対に許されない行為だとは考えませんでした。というのも、その場合には、双方の間には「利害」を確認し合った(金銭授受を含めた)大人の合意があったと考えられるからです。

 しかし、今回逮捕され、その「容疑」を認めている二人の幇助者と西部先生との間にあったのは、おそらく契約関係ではありません。というのも、二人とも西部先生の思想に共鳴していた「弟子筋」にあたる人たちだからです――もちろん、私は二人と面識があります。そのことが明かになったとき、初めて私は、「それは絶対にちがう。先生は超えてはいけない一線を越えてしまったのではないか」という強い違和感を持ったのでした。

 というのも、これは教育に携わる人間ならすぐ分かることだと思いますが、師の言葉(思想)というものは、その非対称的な関係性において、ときに圧倒的な力を発揮してしまうがゆえに、その力の用い方については細心の注意を要するものだからです。

 たとえばそれは、精神科医と患者、教師と学生という非対称的な関係において、なぜ色恋沙汰が「禁忌」なのかを考えれば分かりやすい。その圧倒的な知識と論理、また、その精神的優位性を利用すれば、人の「心」に入り込み、それをある方向に誘導するなどということは朝飯前なのです。それゆえに、その力を上手く使えば(抑制的に使えば)、治療や教育に生かすこともできるわけですが、いや、だからこそ、その力を、依存関係の強化に使ったり、相手の人生を破壊するように使ってはならないのだということです。

 もちろん、そうは言っても相手(自殺幇助者)も大人ですから、西部先生の言葉に応えることの責任の重さは十分に自覚していたはずです(いや、自覚していたと思いたい)。ただ、それは建前としてはその通りですが、ときに「言葉の力」は、その建前を突き抜けて作用してしまうことがあるということも事実だと思います。そして、そんな「言葉の力」を最も熟知していたのは、他ならぬ西部先生だったはずなのです。実際、私自身、西部先生の側にいながら、ときに発揮される、人を焼き尽くすようなその「力」を常に感じていました。

 いや、だからこそ、西部先生は、「弟子」との関係においては、その一線を自覚しているはずだと思っていたのです。私が甘かったと言われればそれまでですが、藤井先生が指摘されている「言行一致」(倫理)の問題も含めて、そこは私は信じていたのです。

 もちろん、西部先生とは言え、一人の人間。ときに見せる言行不一致も、人間的弱さも、人間的な迷いもあったはずです。でも、そんな時でも先生は、それを何とか、あの強靭な精神力でねじ伏せようとしていた。その精神の振幅こそが、西部邁という男の複雑さと、その激しさを作り上げていたものであり、またその魅力の中心にあったものでした。

 その点、藤井先生と同じように、生徒への体罰で小学校をクビになったウィトゲンシュタインや、自分の子供を次々と捨てていったルソーの例を思い出してもいい。実際、私自身も、ときに「娘の手になつた、妻の手になつた、彼の実生活の記録さへ、嘘だ、嘘だと思はなければ読めぬ様な作家」であるドストエフスキー怪物性を思い出すことがあったというのは事実です(小林秀雄ドストエフスキイ生活』)。それほどまでに、歴史上の「偉人」たちは、凄まじい内的葛藤(矛盾)を抱えていたということなのかもしれません。

 とはいえ、今回のことは、西部先生と私との信頼関係の問題です。それを踏まえた上で言えば、この度の自殺幇助で、妻子ある一般人の逮捕者を二人も出してしまったことは、やはり、西部先生の「保守思想」を裏切ってしまっている事件だと言わざるを得ません――事実、先生は、「知識人ごとき」が、発言する場所も権利も持たない一般人を決定的に傷つけてしまうことは、厳に慎まねばならないと、いつも私の前で仰っていました。

 もちろん、先生は、もっと軽い気持ちで――つまり警察が、そこまで調べると思わずに――その「幇助」を頼んでいた可能性はあります。が、もしそうだとしたら、やはり先生は、最後の最後でバランスを崩してしまっていたということになります。あれだけの「配慮」の人が、もし、その後の事について配慮を行き届かせられなかったとするなら、それは無意識にでも、他者に対する「甘え」があったせいだと考えざるを得ないからです。

 ただし、そうはいっても、なお私は、「西部邁」という人間の「全て」を否定できるとは思っていません。いや、違う。もっと正確に言うと、こうです。それでも私は、私自身が先生から蒙った「恩」の事実は否定できないはずだと。その「出会い」の事実がなければ、今、こうして、私がメルマガを書いているということもありえなかったのですから。

 しかし、それなら、なお一層のこと、これから問われてくるのは、『表現者クライテリオン』の姿勢でしょう。「西部邁」という男の何を引き継ぎ、何を切断するのか。その問いを引き受け、その問いに正面から答えていくためにも、この「運動」は続けていかなければならない。失敗したのだから、その全てを清算してゼロからやり直せばいいという話ではないはずです。いや、むしろ、失敗したのだからこそ、その傷ついた「過去」を、自分自身の身に徹底的に引き受けようとする道があるはずだと私は考えています。

 いずれにしても、今回の事件は、今後の私の「生き方」に緊張を強いたことは確かです。それがどんな緊張なのかということについては、これからの私自身の文業を通じて示していくしかありません。それが、今のところ、私が出した答えだということになります。

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2018-03-01

「西部邁 最後の夜」を『正論』(4月号)に寄稿しました。

正論2018年4月号

正論2018年4月号

 「西部邁 最後の夜」を寄稿した『正論』が昨日自宅に届きました。
 この度は、西部邁の追悼文でもなければ、西部邁論でもありません。単純に「自裁」の夜にあった事実を記して、簡単な感想を付したノンフィクション記事です。つまり、これから様々な憶測を呼ぶであろう西部邁の死について、できる限り正確な事実を記録しておこうと思って書いた文章ということです。一読していただければ幸いです。

 ちなみに、既にご承知の方もいらっしゃるとは思いますが、『表現者criterion』の方で、メルマガ(無料)にも取り組み始めました。
 ハッキリ言って、今まで通りの書き方だと間に合わないので、メルマガ用の文体を開発する必要があるなと考え始めていますが、これもいい修行です(笑)。藤井先生(月曜日)、柴山さん(火曜日)、浜崎(水曜日)、川端さん(木曜日)の順番で配信されますが、執筆者不特定の明日(金曜日)は、私の「人生相談」が配信される予定です。
 メルマガ登録は以下(http://www.mag2.com/m/0001682353.html)からできますが、ネット(https://the-criterion.jp/category/mail-magazine/)の方でも読むこともできるようです。一読、よろしくお願いいたします。

2018-02-18

危機と対峙する保守思想誌―『表現者criterion』創刊!

 いよいよ、『表現者Criterion』が始動しました。
 この度は、座談会保守クライテリオン―ラディカルな実践を目指す保守思想」に参加し、特集原稿「現代人は愛しうるか―福田恆存クライテリオン」と、連載原稿「近代/日本を繋ぐもの―日本近代批評史試論・序」を書いています。その他にも書いたものは色々と細かくあるのですが、それはともかく、是非手に取って頂ければ幸いです。
 特集原稿の福田恆存論の方は、福田恆存に対して一度ケジメをつけておきたいという気持で書きました(福田恆存という固有名は、私にとって特別なもので―ほとんど恩人です―、これからも折に触れて考え続けていきたいと思っていますが、しかし、積極的なものとしては、これで一度区切りをつけたいと思っています)。今回は創刊号ということもあって、自分の「原点」を確かめるようなものを書いておきたかったということです。
 それに対して、連載原稿「近代/日本を繋ぐもの」の方は、私の新しい問題意識の展開としてあります。「内的なもの」と「外的なもの」とを繋ぐ回路をめぐる思考が展開されています。一読していただければ幸いです。

 これから、『表現者Criterion』を中心に、ウェブメルマガラジオシンポジウム…と多面的な運動を展開するなかで、この近代的ニヒリズムからの「自立」の可能性を、また、それが拠って立つ私たちの「クライテオリオン」(規準)の手触りを探究していきたいと思っています。「クライテリオン」が「実体」ではない限り、これからの試行錯誤の真剣さこそがこの雑誌の命だと思っています。何卒、よろしくお願い致します。

2018-02-13

『表現者Criterion』のホームページ始動+メルマガ受付開始+シンポジウム満員御礼

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夜明け前の竜飛崎灯台(『表現者Criterion』表紙/写真―佐藤雄治)
青森県外ヶ浜町に立つ竜飛崎灯台から、津軽海峡を挟んで北海道松前半島、函館を見渡す。
満州国建国昭和7年7月1日に初点灯。竜飛崎太宰治紀行文津軽』の舞台の一つ。
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 雑誌『表現者Criterion』2月16日の創刊+シンポジウムに先立ち「表現者Criterion」のホームページhttps://the-criterion.jp/)が始動いたしました。
 また、そのなかでメルマガ配信(無料)もしていくということで、何卒よろしくお願いいたします。メルマガでは、藤井聡編集長をはじめ、柴山桂太、川端祐一郎、浜崎などの編集委員、また『表現者Criterion』執筆メンバーが、時事ニュースをはじめ、政治、経済、社会、文学、技術、書籍紹介、サブカルチャーその他あらゆるテーマについて、雑誌では読めないオリジナルの記事をお届けしていくつもりです。メルマガ登録は以下の、http://www.mag2.com/m/0001682353.html から登録できるようです(ちなみに、私も初めてのメルマガ登録をしましたが、あまりの簡単さにビックリでした!)。 

 また、2月16日の『表現者Criterion』シンポジウム(於・日本プレスセンタービル)の方も、定員(250人)を100人以上超える応募があり、入り切れなかった方も出てしまいましたが(それでも急遽300席以上に席を増やしました)、シンポジウムの全国巡業も考えておりますので、今回受付できなかった方につきましては、またの機会に期待して頂ければと思っております。

 以下に、編集長からの「メルマガ開始」の挨拶(https://www.facebook.com/Prof.Satoshi.FUJII/posts/1265046196929654)を掲載させていただきます。

表現者』に是非、メールマガジンで一日一度ずつお触れください。

表現者criterion』編集長 藤井聡京都大学教授)

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 本年2月16日、『表現者criterion(クライテリオン)』が創刊されます。
https://the-criterion.jp
 この雑誌は、日本、および世界の政治、経済外交はもとより、社会、文化、芸術等、あらゆる問題を多面的に論じ、批評(critique)していく言論誌。本年1月21日に永眠された故西部邁先生が創刊し、運営されていた『発言者』『表現者』の後継誌として発刊されるものです。
 その発刊は日本や世界、さらには一人一人の「精神」に日々迫り来る数々の「危機」(crisis)と対峙することを企図してのもの。
 例えば今日本では、長引くデフレのため経済も社会もさらには政治もまた衰弱の一途を辿っています。
そしてその衰弱は、過激グローバリズムがほぼ無批判のまま進められることによってさらに加速させられています。
 いうまでもなく、南シナ海朝鮮半島の緊張は高まる一方。
結果、誠に情けなきことに日本はその対米従属の度合いを日に日に強めています。
にも関わらず憲法改正議論は先走り、このままでは、そもそも日本の自主独立を強化するためのものであった「憲法改正論」が、その意図とは逆に対米従属を「強化」し「固定化」するための道具に使われかねない状況に立ち至っています。
 そしてこうした危機的な不安定な状況の中で、人々はただいたずらに右往左往する他なくなってしまっているやに思われます。
結果、政治においては――例えば昨年の「小池ブーム」の乱高下のような――「炎上」が繰り返され、陳腐で軽薄なイメージで政局が大きく動く事態が繰り返されています。無論そうなればあらゆる危機がその深刻の度をさらに深め、人々はますます狼狽え、「炎上」が激化する――という悪循環が繰り返されています。
 かくして今、日本という国家もそれぞれの地域社会も共同体も、そして一人一人の精神も、尊厳ある形で持続していくことが困難となる「危機」に直面しているのが現状です。
 本誌『表現者criterion』はまさに、こうした「危機」と対峙することを企図して発刊するものなのです。
 そんな危機と「対峙」するために必要不可欠なものとして求められざるを得ないものが一体何なのかと言えば――それは、ものごとをどのように考えて判断し、振る舞うべきかの「基準」すなわち、「クライテリオン」(criterion)です。
 今私たちが直面している最大の危機の正体は、そうした諸々の判断のクライテリオン=基準が失われ始めていること、それ自身にあるのです。
 それが不在であれば、我々は「生きる糧」を摂らず、ただただ毎日「毒」を飲み続ける様な暮らしに埋没することになってしまいます。今の日本で見られる文学や芸術、さらにはそれぞれの地の庶民の生活文化の衰退、その裏側で進行する化学調味料たっぷりのジャンク・フードや単なる刺激の塊に過ぎないジャンクなTVや雑誌、言論の氾濫などはまさにその典型的状況です。
 そしてそんな状況が肉体の次元のみならず精神の次元で、そして個人の水準のみならず共同体や国家の水準で進行しているのが、この現代という社会です。
 結果、我々の活力はどんどん衰弱し、病に冒され、挙句に瀕死の状態に立ち至りつつあります。
 この末期的とも言うべき実状の中で、本誌『表現者criterion』は、そんな様々な危機と対峙し、乗り越える道筋を見いだすべく、あらゆる問題、あらゆる局面で求められる「クライテリオン」=基準を模索し、表現し続けんとするものです。
 ただし――雑誌『表現者criterion』は、隔月誌、その発刊は2ヶ月に1回。
 それぞれの問題を、長期的な視点でじっくりと議論するには、このペースは十分なものではあるかも知れませんが、如何せんこの危機の時代、あらゆる問題がめまぐるしく展開しています。
 こうした現状を踏まえ、本誌では(週末を除く)連日、編集長である筆者に加えて、編集委員の柴山桂太氏、浜崎洋介氏、川端祐一郎氏、ならびにその他執筆陣が各々週に一本ずつ、様々な問題をそれぞれの視点から批評していく論説をメールマガジンの形でネット配信することといたしました。
 こうした「メルマガ」を連日発行することで、本誌『表現者criterion』の誌面上では論じきれない大小様々な問題を社会科学文芸評論、思想や哲学など、様々な切り口で一つずつ論じていきたいと考えています。そしてそれを通してこの危機の時代においてますます求められている「クライテリオン=基準」を立体的に探し続け、表現していきたいと考えています。
 これまで故西部邁先生が創刊し、守り続けて来られた『発言者』『表現者』――本誌『表現者criterion』ではもちろん、その精神を引き継ぎ、その思想をさらに深化させ発展させるための「求心力」を拡充して参りたいと考えています。ですがその一方で、本メルマガも活用しながら多面的な問題に切り込み、その言論を裾野広く届けていく「遠心力」も同時に発揮して参りたいと考えています。
 こうした両面からの開を通してその言論の高度化と充実を実現せんとするのが、今まさに新たに船出する『表現者criterion』という我々の言論プロジェクトのかたちです。
 ついては是非、一人でも多くの皆様に『表現者criterion』メールマガジンにお目通しいただきたいと考えています。
 こうした記事にそれこそ「毎日」、少しずつでもお触れ頂くことが出来れば、この現代社会の中で我々が今、失い始めているあるべき判断や振る舞いの「基準=クライテリオン」を自ら問い直し、探り続ける契機を得ることができるに違いない―――これこそまた我々編集委員一同の自負であり願いであります。
 もちろん、より深い議論にご関心の方には是非、隔月誌『表現者criterion』をしっかりとお読みいただきたいと考えています。ですがそうでない方におかれましても、まずは是非、本メルマガに一日一度ずつ気軽にお触れいただきたいと考えています。
 「危機と対峙する保守思想誌」として船出する『表現者criterion』――本メールマガジンも含めて、何卒よろしく、御願い致します。

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2018-02-12

東京MXテレビ「激論サンデーCROSS」と、チャンネル桜「日本よ、今…闘論、倒論、討論」の出演

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 先月の1月28日、TOKYO・MXテレビの「激論サンデーCROSS」(毎週日曜日11:59〜13:25)という番組に、佐藤正久氏(自民党参議院議員・外務副大臣)とともにゲスト出演し、「改憲しないと自衛隊は認められないか?」という主題で「激論」を交わしました。他の出演者は、瀬尾傑氏(講談社第一事業広告部長) 山口真由氏(元財務官僚・ニューヨーク州弁護士) 高橋浩祐氏(国際ジャーナリスト)でしたが、さすがに5人で議論するには45分はあっという間でした。言いたいことの半分も言えたわけではなかったのですが、それでも、加憲論の不条理さを指摘できたことと、福田恆存の「防衛論の進め方についての疑問」からの言葉―引用をパネル二枚を使って紹介できたのは収穫でした。特に後者の方は、おそらく日本テレビ史上初めての快挙です(笑)。
 ただ、残念ながら動画はどこにも落ちていないようで、出演履歴は次のページ(http://s.mxtv.jp/variety/sunday_cross/gekiron.php?month=201801)で確かめるしかないようです。
 
 あともう一本は、2月10日にチャンネル桜で放映された「闘論、倒論、討論―追悼・西部邁と日本」です。こちらの方は、いつものようにネット動画で見ることができるようです。他の出演者は、上島嘉郎氏(元産経新聞社『月刊正論』編集長・ジャーナリスト)、クライン孝子氏(ノンフィクション作家、※ スカイプ出演)、佐藤健志氏(評論家)、富岡幸一郎氏(文芸評論家関東学院大学教授)、西田昌司氏(参議院議員)、藤井聡氏(京都大学大学院教授・内閣官房参与)、脇雅史氏(前参議院議員)と私です。どうぞ、よろしくお願い致します。