批評の手帖

2018-08-13

『表現者クライテリオン』9月号―特集「ポピュリズム肯定論」――が発売されました!

 先日、『表現者クライテリオン』の最新号(2018年9月号)が届きました!
 今回の特集は「ポピュリズム肯定論―『トランプ・英EU離脱』現象とは何だったのか」です。
 いつものことですが、藤井編集長を中心に、編集委員の柴山さん、川端さん、実務担当の毛利さん、啓文社の皆さんも汗をかいてようやく出来上がった9月号です(こうやって数号出しただけでも、雑誌を持続するという事が、どれだけ多くの人の手を借り、エネルギーを必要とする仕事なのかということを日々実感しています)。期待以上に面白かったかとか、勉強になるとかいう評価を聞く一方で、真面目過ぎるとか、小難しいとかいう意見も耳にしていますが(笑)、いずれにしろ精進して参ります。一人でも多くの方に手に取って頂ければ幸いです。
 
 私自身は、小浜逸郎先生をお呼びした特集座談会庶民からの反逆―市場から社会を防衛するのは誰か」に参加し、いつもの「対米従属文学論――『戦後的日常』への頽落/『第三の新人』をめぐって」をプロデュースし、「近代/日本を繋ぐもの―日本近代批評史試論」では「大正教養主義の蹉跌」という題名で連載第三回目を書いています。あと補足しておけば、特集原稿の質はもちろんのことですが、この度の「書評欄」や「読書欄」も充実しています。是非、手にとっていただければと思います。
 また、毎度のことになりますが、少しでも思白いと思っていただけるようであれば、是非、定期購読をお願い致します。雑誌の存亡がかかっているといっても過言ではありません(笑)。このネット全盛の時代に、お金も、労力もかかる「雑誌」を敢えてやるということの意味を少しでもご理解いただければ幸いです。

 ちなみに告知し忘れていましたが、先日も『チャンネル桜』さんで「表現者クライテリオンスペシャル」と題して、「戦後ナショナリズムを問う」という座談会をやったんでした(笑)。こちらの方も、お時間があれば是非。

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2018-07-06

三浦雅士著『孤独の発明』書評―「『孤独』と『社交』のあいだで」を『群像』(8月号)に寄稿しました。

群像 2018年 08 月号 [雑誌]

群像 2018年 08 月号 [雑誌]

孤独の発明 または言語の政治学

孤独の発明 または言語の政治学

 三浦雅士氏の新刊『孤独の発明』(講談社)の書評「『孤独』と『社交』のあいだで」を寄稿した『群像』が昨日自宅に届きました。三浦氏の本は550頁ある大著で、まさに博引旁証、古今東西生物学から歴史学文学から言語学の知見までを縦横無尽に渉猟しながら、人間の「孤独」の起源と、それが生み出す「社会」の問題を描き尽くそうとしています。
 ちなみに、実はかつて妻の指導教官でもあった三浦氏は、『福田恆存 思想の〈かたち〉』を書いたばかりの私を一度『群像』編集部に紹介してくれたことがありますが(覚えていらっしゃるかな…?)、今回は、その『群像』での書評という事で、何か因縁浅からぬものを感じています…(笑)。一読していただければ幸いです。

2018-06-17

『表現者クライテリオン』7月号を啓文社書房さんから刊行します!

 この度、版元をMXテレビさんから啓文社書房さんに移して『表現者クライテリオン』7月号を出すことができました。
 色々ありましたが、何とか刊行に漕ぎつくことができました。今のところは、まずホッとしています。
 創刊号に力を入れたことは言うまでもありませんが、しかし、この度の7月号(実質的な第二号)も、それに劣らず力を入れています。創刊号の時よりは、たった2回分とはいえ、少し心の余裕(慣れ)ができたせいか、書評欄や読者欄を充実させ、新連載や新企画を立ち上げるなど、より幅広い雑誌作りができたと思っています。また、もちろん特集原稿(依頼原稿)についても、素晴らしい寄稿を頂くことが出来ました。この場を借りて、関係者の皆さんには深くお礼申し上げます。また、急な版元移行にも関わらず、諸事万端、環境を整えて下さった啓文社書房のみなさんにも、改めて感謝したいと思います。ありがとうございました!

 ちなみに、雑誌については、以下の『表現者クライテリオン』のオフィシャルページ(https://the-criterion.jp/backnumber/79_201807/)で確認していただくとして、私個人としては、まず「ナショナリズムとは何か―『右』と『左』を超えて」という特集座談会に参加しつつ、「失われた『ナショナリズム』を求めて」という特集原稿を草しております。また、新企画として「対米従属文学論―第一回:なぜ、今、対米従属論なのか」という連続座談会(計8〜9回)を立ち上げ、その司会・構成などを務めつつ、更に連載原稿として「近代/日本を繋ぐもの―日本近代批評史試論第二回」を寄稿しております。もちろん力を抜いたものは一つもありません。手に取って頂ければ幸いです。
 また、できることなら雑誌を定期購読していただければと思います。雑誌を続けていく上で、定期購読が一番の支えになるのは当然ですが、一人でも多くの読者の皆さんと志を共にできればと思っております。また、この度は啓文社書房さんの配慮で、Amazonなどでの売り切れも避けられるように工夫して頂いております。何卒よろしくお願い致します!

2018-05-25

『西部邁 最後の思索「日本人とは、そも何者ぞ」』(飛鳥新社)が発売されました!

西部邁 最後の思索「日本人とは、そも何者ぞ」

西部邁 最後の思索「日本人とは、そも何者ぞ」

 告知が遅れましたが、この度、5月23日に、飛鳥新社さんから『西部邁 最後の思索「日本人とは、そも何者ぞ」』が発売になりました。
 去年放映された、MXテレビ『西部邁ゼミナール』の20回シリーズ企画「日本人とは、そも何者ぞ」の書籍化です。
 とはいえ、もちろん書籍にするに当たっては、一つ一つの発言に、できるだけ丁寧に手を入れて編集し直していますので、テレビをご覧になった方でも、改めて楽しんでいただけるのではないかと思っています。間違いなく新鮮な発見があるはずです。
 この「日本人とは、そも何者ぞ」は、文字通り西部先生の「最後の思索」になりましたが、それと同時に、私にとっても掛け替えのない「宝」となりました。その後のドタバタ――西部先生の自殺から、自殺幇助者の逮捕、そして『表現者クライテリオン』の版元移動に至るまでの慌ただしい日々――はあったものの、それでも、この「日本人」を巡る思索が、やはり現在においてこそ必要なものであるという自信は揺らぎません。手に取って頂ければ幸いです。
 座談はもちろんのこと、この度の書籍化の企画でも終始リードして下さった澤村修治さん、西部先生との時間を作って頂いた西部智子さん、番組作りに協力して頂いた窪田哲学さんと今村有希さん、装幀家の芦澤泰偉さん、そして、文字起こしから構成までを一貫して支えて下さった飛鳥新社の工藤博海さんに、この場を借りて、改めて感謝の意を記しておきたいと思います。ありがとうございました!

 ちなみに、「まえがき」(4月6日付)で記した「けじめ」というのは、私自身は、例の『表現者クライテリオン』の4月11日付メルマガ西部邁幇助者の逮捕を受けて――『表現者クライテリオン』が問われること」(https://the-criterion.jp/mail-magazine/20180411/)で示したつもりです。発表順は、メルマガが先で、本書の「まえがき」が後になってしまいましたが、執筆順は、本書の「まえがき」の方が先だったことは断っておきたいと思います。

2018-05-14

草奔志塾「表現者第挟創刊記念セミナーシンポジウム」(in札幌)にご参加の皆さん、ありがとうございました。

 ちょっと忙しくて、予めの告知ができなかったのですが、この度、北海道札幌)の草奔志塾の出口さんにお誘い頂いていた「表現者第挟創刊記念セミナーシンポジウム」(5月12日)を無事終えることが出来ました。
 私自身、「文学」を生業としているということもあってか、地方巡業に行くということは少なく、行ったとしても、だいたい「学会」なんかにお呼ばれする程度だったのですが、この度は『表現者クライテリオン』の編集委員として地域の皆さんとお話しすることができて、私自身大変勉強になりました。
 東京への一極集中によって思っている以上に地方が疲弊しているということ、そして、それを東京人がほとんど意識できていないし、問題にもしていないことを思い知らされました。何というか「同胞愛」と「想像力」の欠如によって、日本そのものがミニEU化しているというか(つまり、ギリシア人に同胞愛を持たないドイツが、事情も考慮せずに緊縮をギリシア要求するといった…)、政治家官僚が「国家」(国家の全体を顧慮する理性)より先に、省益や自分の出世のことを先に考え出すと、どのようにおぞましい事態が出来するのかといったことの一端を見た気がします。
 いや、もちろん、それはある程度までは知ってはいたことでしたが、この度の旅で、それを改めて実感して帰ってきたという次第です。やはり「精神」の問題抜きにして、この国の回復も自立も見込めないものと思います。参加して下さった皆さん、また、出口さんはじめ草奔志塾の皆さん、藤井先生、柴山さん、川端さん、ありがとうございました。

 また、『表現者クライテリオン』は引き続き、精力的に地方巡業をしていきたいと考えております。次は8月20日に沖縄に行く予定だった…と思います。また詳しいことが決まり次第、告知できる余裕があれば告知したいと思います(笑)。よろしくお願いします。