浅草在住、断腸亭錠志の断腸亭料理日記はてな版です。(内容は本店と同じです。)

断腸亭料理日記本店



その12 今、聞きたい噺。断腸亭・このフレーズが可笑しい


この落語案内、お気付きかも知れないが、段々、
書いている内容が、思い付き、になってきてしまった。
最初は、ある程度、体系的に書いているつもりでいたのだが、
だめである。
毎週、金土曜日、書くことにしたのだが、
日記を書くのとは、やはり、大違いである。
日記であれば、基本的には、ありのまま、を書けばよい。
この落語案内も、書く内容は、前の日か、その日に考える。
そうそう、体系的に書けるものではない。


と、いうことで、言い訳が先になってしまった。
今日は、素直に、筆者の好きな噺を書いてみたい。


前に、聞くべき噺家として、昭和の三名人、志ん生文楽、円生。
そして、それぞれで、三席のお薦めを書いた。


ノンジャンル、演者も決めないで、好きな噺、三席。


と、思ったのであるが、このような選び方は、
さすがに自分でも、あまりにも乱暴である、と、思う。
そこで、今、聞きたい噺、というようなことで書いてみたい。


落語を長年(?)聞いていると、ここが聞きたいから、
この噺を聞く、と、いうような聞き方をする、ことがある。
前にも書いている、このフレーズが可笑しい、と、いうのは
これ、である。
こうした聞き方は、なにも、筆者だけのものではなく、
談志家元、志らく師なども同じようなことを、いっている。


落語というのは、何度同じ噺を聞いても、同じ様に可笑しい、
と、落語の好きな人は、誰しもいうのではないかと思う。
これは、何度聞いても、飽きないで、必ず笑ってしまう、
フレーズがある、ということなのである。
(これは、演ずる場合も同じである。このフレーズを言いたいために
この噺をする、と、いうこともあるのである。)


さて、そんな三席。付き馬、花色木綿、笠碁。


いかがであろうか。
これは、うんちくも、いわれも、なにもない。
とにかく、可笑しい。


それも、噺全体がよい、のでもなく(悪くはない)、
全体が可笑しいのではなく、
どうしようもなく、可笑しいフレーズがある。
そういう噺である。

付き馬


これは、有名な噺であろう。
落語ファンであれば、一度は聞いたことぐらいは
あるのではなかろうか。
誰かといえば、やはり、志ん生であろう。
「付き馬」という言葉自体は、今は死語であろうが、
もともとは、普通の言葉であった。
主に、吉原などの遊郭で、遊び、お金が足らなくなる。
と、どうするかというと、昔であれば、みな、そう遠いところに
住んでいるわけではないので、帰りに、
店の者が家まで付いて来て、取り立てる。
この、ついてくる、店の者のことを、「付き馬」と、
いったのである。


筋は、とある男が、吉原をひやかして歩いている。
呼び込みの牛太郎(ぎゅうたろう。呼び込みの若い衆のことを
なぜか、こう呼んだのである。)に声をかけられ、
金がないのに、フワフワと、うまいことをいって、
登楼(あが)ってしまう。
翌朝(昔の、吉原は、基本的に泊まりで、翌朝帰る。)、
その牛太郎が、馬(付き馬)になってついて来る。
近くに、お金を取り立てるところがある、だの、
田原町におじさんがいるなどと、うまいことをいって、
あっちこっちと、引っ張り回す。
で、まあ、最終的には、逃げてしまう、というはなしである。


●このフレーズが可笑しい
「じゃ、、俺、ちょっと、たばこ、買ってくるから、、。じゃ、、」


これは、説明しても、可笑しさは伝わらない。
是非、志ん生師のものを聞いていただきたい。


よく、芸人のことを、あの人は、フラ、がある、と、いうような
言い方をすることがある。
この、フラ、とは、天然の可笑しさ、というような
ニュアンスであろうかと思うが、
付き馬は、志ん生師の、フラ、どうしようもなく、可笑しいのである。
特に、上のフレーズは、男が消えてしまう、
最後のセリフであるが、どうしようもなく、可笑しい。


花色木綿


この噺は、あまり、名人といわれた人がやっていないので
知らない方も多いかも知れない。
(コロンビアから、八代目春風亭柳枝師のものが出ていると、思う。)


はなしは、これも、たいしたものではない。


とある、こそ泥。
こやつが、貧乏長屋の、なぁ〜にもない部屋に泥棒に入ってしまう。
取るものは、本当に、なにもない。
ふんどしが一本。


と、そこへ、その住人の男が帰ってきてしまう。
慌てて、こそ泥は、台所の縁の下へ隠れる。


住人の男は、土足で上がった跡があり、泥棒が入り、
ふんどしが一本取られた、ということに気が付く。
もともと、何もない。ふんどし一本。
泥棒など入っても、痛くもかゆくもない。
しかし、この男、一計を案じる。
店賃が溜まっているが、泥棒に入られたのを、大家さんへの
言い訳にしよう、と考える。


で、大家さんを呼んできて、
「なにを取られた?」と、いう問いに、
取られてもいないものをああだこうだと、並べ立てる。
まったく、落語らしい、すばらしく馬鹿馬鹿しい。
これぞ、落語、では、なかろうか。


談志家元は、本当の話かどうかわからぬが、自分の家に実際に泥棒が入った時に
警察に聞かれ、この噺を真似て、あることないこと、いった、という。
「落語家はこういう了見(りょうけん)じゃなきゃ、だめだ」との、仰せであった。


●このフレーズが可笑しい
「裏は花色木綿。丈夫であったかだ。」


とにかく、可笑しい。是非、お聞き願いたい。

笠碁


これは、そこそこ知られた噺であろう。
柳家小さん人間国宝。先代金原亭馬生師。(志ん生師の長男。)
談志家元も演(や)る。


ストーリーは、ある、商家の旦那二人。
碁敵(ごがたき)というやつである。
二人とも、囲碁が大好きで、腕前も同程度で、ちょうどよい。
閑さえあれば、パチパチと、やっている。


ある日、片方が、マッタ、をする。
これを、待て、待てない、で二人は、大喧嘩になる。
顔もみたくない、帰れ!。二度とお前となんかと、碁はしないぞ!。
と、いうことで、喧嘩別れ。


何日か経ち、ちょうど、梅雨時。店もひま。
二人とも、ひまでひまで、碁を打ちたくて打ちたくて、
うずうずしている。
我慢しきれず、雨の中を、笠をかぶって、様子を見に行く、
さて、どうなるか、、。


●このフレーズが可笑しい
お婆さんとの会話が、やはり、どうしようもなく、可笑しい。


「お茶です。お茶!」


「猫ばばあ!」


お婆さんのキャラもまたよい。


「じゃ、私に、濡れてけ、っていってるんですか?」
「濡れてけ、とはいってません。
 傘を持ってっちゃいけない、って、いってるんです」


 笠をかぶって、
「行ってくるよ・・・。」(談志)

おまけ


「お化け長屋」


全体としては、今、たいして可笑しい噺でもないが、
筆者にとっては、なぜか、とてつもなく、可笑しいフレーズがある。
円生師のものだが、ストーリーとは、
ほとんど関係のない場所である。


「あそこにいた、青瓢箪(あおびょうたん)に、屁(へ)、ひっかけたような奴」


聞いていると、どんな奴だ、それは!?
と、突っ込みを入れたくなる。
この噺は、本当に、ここだけが聞きたくて、聞いている。